ミイラの体の中から、ホメロスの叙事詩が出てきた
エジプトで見つかった約1600年前のミイラを調べていたら、その腹部からパピルス(古代の紙)の断片が出てきた。書かれていたのは、ホメロスの叙事詩『イリアス』の一節だった——という発見が、バルセロナ大学の発掘チームから報告された。
ミイラとギリシャ文学。組み合わせだけでも意外だが、研究チームによれば「文学作品がミイラづくりの過程にこういう形で組み込まれていた、はっきりした考古学的な例は今回が初めて」だという。

パピルスの宝庫、オクシリンコス
見つかった場所は、エジプト・カイロの南およそ190kmにあるアル・バフナサ。古代にオクシリンコスと呼ばれた都市の跡だ。ギリシャ・ローマ時代のエジプトでは有数の大都市で、いまは砂に埋もれているが、地中には大量のパピルスが眠っていることで知られる。
19世紀末以降、この遺跡からは50万点ともいわれるパピルスの断片が掘り出されてきた。役所の税の記録や個人の手紙にまじって、それまで失われたと思われていた古代ギリシャの喜劇や叙事詩の写しも見つかっている。研究者にとっては、古代の文章が丸ごと保管された倉庫のような場所だ。
バルセロナ大学の古代近東研究所(IPOA)は、1992年からこの地で発掘を続けてきた。スペインでも屈指の長寿命エジプト調査プロジェクトで、今回の断片は2025年11月から翌年2月にかけての最新シーズンの成果にあたる。
腹部に置かれていた「船のカタログ」
問題のミイラは、22区画のうち「65号墓」と呼ばれる墓から出た。時代はローマがエジプトを支配していた頃、いまから約1600年前のものだ。ヌリア・カステリャーノ率いるチームが2025年の11月から12月にかけて掘り当てた。
ミイラの腹部の上に載っていたのが、そのパピルスだった。翌年1月から2月の分析で断片を丁寧に読み解いた結果、書かれていたのは『イリアス』第2巻の「船のカタログ」と呼ばれる部分だと分かった。トロイア戦争に向かうギリシャ軍の武将たちを延々と並べていく箇所で、西洋文学のなかでもよく知られたくだりだ。
ミイラにパピルスを入れること自体は、この遺跡では珍しくない。ただ、これまで同じような位置から見つかってきたものは、決まって呪文や儀礼にまつわる内容だった。文学作品が、しかも誰もが知る叙事詩が、その役割で出てきたのは今回が初めてだという。
断片を読み解いた人たち
テキストの同定にあたったのは、保存修復を担当したマルガリダ・ムナル、パピルス学者のレア・マスシア、そしてプロジェクトを率いる古典文献学者のイグナシ=シャビエル・アディエゴ教授。マスシアの読みをもとに、アディエゴ教授が『イリアス』の一節と突き止めた。
ちなみに、この個人が亡くなった頃のエジプトでは、アレクサンドロス大王の征服(紀元前332年)以降、教養ある人々の言葉はギリシャ語だった。『イリアス』はその時点ですでに「古典中の古典」。日本でいえば、いまの私たちにとっての『源氏物語』のような立ち位置の作品が、埋葬に使われていたことになる。
ギリシャ文学とエジプトの埋葬習慣が交わる場所
この発見が面白いのは、単に古い写本が出てきたからではない。ギリシャ由来の文学と、エジプトの伝統的な埋葬のしきたりが、一体のミイラの中で交わっている点だ。オクシリンコスのようなギリシャ・ローマ時代のエジプトが、複数の文化の混ざり合う場所だったことを、こういう小さな断片が具体的に映し出している。
なぜ『イリアス』だったのか。故人が生前この詩を愛していたのか、それとも防腐処理を担った人たちに別の意図があったのか。研究チームは「いまさまざまな仮説を検討している段階」としていて、答えはまだ出ていない。
解釈上の留意点
この話題、実は「なぜそこにあったのか」の解釈が割れている点に注意したい。発掘チーム(バルセロナ大学)は、パピルスが腹部にきちんと置かれていたことから、防腐処理の儀礼の一部として意図的に納められたと見ている。一方で、古代には高価なパピルスを使い回す習慣があったため、単に手近な反故(ほご)紙が包帯やカルトナージュ(パピルスを重ねて固めた覆い)に再利用されただけではないか、と見る専門家もいる。象徴的な意味があったのか、たまたまの再利用なのか——ここはまだ決着していない。
もう一点、この発見は現時点では研究チームの発表(プレスリリースや講演)で示されたもので、査読を経た論文として公表された段階ではない。断片そのものもごく小さく、文字の一部しか残っていない。今後の詳しい研究で、読みや解釈が更新される可能性はある。過度に「愛読書だった」と物語化せず、分かっている範囲で受け止めておきたい。
出典
この記事は、以下の情報をもとにまとめました。


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