亡くなった人の口のなかに、舌の形をした薄い金の板を納める。来世で神の前に立ったとき、ちゃんと言葉を話せるように——。そんな古代エジプトの埋葬のならわしを裏づける金の遺物が、地中海に面した港町の跡から24点まとめて見つかった。エジプト観光・考古省が発表した。
場所はアレクサンドリアの西およそ100km、マリーナ・エル・アラメイン遺跡。王家の墓所ではなく、ギリシャやローマの文化が流れ込んでいた交易の港町の墓地から出てきた、というのがこの発見の面白いところだ。

「金の舌」とは何か
古代エジプトの人々にとって、金は特別な金属だった。さびず、くすまず、いつまでも輝きを保つことから、「神々の肉体」そのものと考えられていた。その金を舌の形に薄くのばし、亡くなった人の口に入れる。これが「金の舌」と呼ばれる副葬品だ。
なぜ舌なのか。エジプトの死生観では、亡くなった人は来世で冥界の王オシリスの前に引き出され、生前の行いをめぐる「審判」を受けると信じられていた。そこで自分の潔白を申し立て、決められた言葉を唱えなければならない。うまく話せなければ来世に入れてもらえない。金の舌は、その大事な場面で死者に「声」を与えるためのお守りだった、というわけだ。
今回の発表で観光・考古省のヘシャム・フセイン次官(下エジプト・シナイ考古担当)は、金の舌をプトレマイオス朝からローマ時代にかけての埋葬でよく確認される特徴だと説明している。オシリスの審判で語り、来世で聖なる言葉を唱えるための、象徴的なお守りと受け取られている、というのが標準的な理解だ。
港町の墓地から出てきたもの
今回見つかったのは18基の墓。うち11基は地中深く掘り込まれた岩窟墓で、深いものは地下8mほどにおよぶ。残る7基は地表近くに石灰岩で築かれていた。時代はプトレマイオス朝(紀元前322〜前30年)からローマ時代(紀元前30〜紀元395年)にかけて。マリーナ・エル・アラメインでは1986年以降に発掘が進んでおり、これで墓の総数は44基になった。
墓のなかからは24点の金の舌のほか、ホルスの目をかたどった金の護符も見つかっている。ホルスは空と結びついた隼(はやぶさ)の姿の神で、その目は魔よけの意味を持つ図像として、エジプトの墓でしばしば見つかる。ほかにも、「偽扉(ぎひ)」をかたどった台を持つ供物台、ギリシャの女神アフロディテを彫りかけた像、ふたが閉じたままの長さ2.5mの花崗岩(かこうがん)の棺なども出土した。棺のなかの人骨はこれから調べられる。
この町はかつてレウカスピスと呼ばれ、地中海交易でにぎわった港だった。ギリシャやローマの人・ものが行き交う、多様な人々の暮らす土地。そこで、エジプト伝来の来世観にもとづく金の舌と、ギリシャの女神像が同じ発掘現場から出てくる。ふだんはギリシャ語を話し、ローマ風の服を着ていたかもしれない人々が、埋葬のときにはエジプト古来のならわしに従っていた——ふたつの文化が日々の暮らしのなかで溶け合っていた様子が、こうした遺物からうかがえる。現地で発掘にあたったのはエジプト人考古学者たちで、この遺跡には長年ポーランドとエジプトの合同調査隊が入ってきた経緯もある。
解釈上の留意点
華やかな発見だが、いくつか距離を置いて見ておきたい点がある。
まず、これは学術論文ではなく、観光・考古省による現地からの発表という段階の情報だ。詳しい分析や査読を経た報告はこれから、という前提で読むのがよい。
金の遺物についても、専門家から慎重な声が出ている。発掘に関わっていないローマ考古学の研究者(ヴェローナ大学の元教授)は、公開された写真を見たうえで、出土品のなかには本当に「金の舌」と呼べるのか判断が難しいものも混じっているのではないか、と指摘する。なかには麦の穂をかたどったように見えるものもあり、それはヨーロッパのローマ時代の聖域で見つかる銀製の麦の穂に近い、という見立てだ。
「偽扉」の供物台についても意見は割れている。この遺跡で過去に発掘経験のあるワルシャワ大学の研究者は、台の図像を偽扉とすぐ結びつけるのは慎重にすべきで、単に彫りかけで偽扉のように見えているだけかもしれない、とコメントしている。別の研究者は、それは偽扉ではなく「供物」を表す象形文字ではないか、との見方を示している。金の舌が来世で言葉を授けるお守りだった、という大枠の解釈は多くの専門家が共有しているが、個々の品が何であるかは、今後の分析を待つ部分が残っている。
出典・もっと知りたい人へ
発見の概要は、エジプト観光・考古省の発表と、それを報じた各メディアで確認できる。


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