アルフレッド大王の遺骨は、いま駐車場の下に眠っている?——研究者が「場所を特定」と主張

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イングランド王アルフレッド大王。ヴァイキングの侵攻からウェセックスを守り、のちの統一イングランドの土台を築いたとされる9世紀の王だ。その遺骨は、100年以上も行方が分からないままになっている。そこへある研究者が「場所を突き止めた」と主張して話題になっている。しかも、その場所というのが駐車場の下だという。

2013年に、リチャード3世の遺骨がレスターの駐車場の下から見つかった一件を覚えている人なら、既視感を覚えるはずだ。ただ、今回はまだ「一人の研究者の主張」の段階で、発掘も検証もこれからという点は先に押さえておきたい。

アルフレッド大王とは

アルフレッドは871年から899年まで、いまの南・南西イングランドにあたるアングロサクソンの王国ウェセックスを治めた。ヴァイキング撃退の武勲で知られるほか、教育の重視や「バラ(burh)」と呼ばれる城壁で囲まれた町の整備など、国のかたちを整える改革を進めた人物として語られる。こうした取り組みが、のちのイングランド統一につながる土台になったと評価されている。

遺骨はどこへ消えたのか

王としての評価は安定している一方で、埋葬地のほうは何度も動いている。899年に亡くなったあと、アルフレッドはまずウィンチェスターの大聖堂「オールド・ミンスター」に葬られた。息子のエドワード(長兄王)が新しい大聖堂「ニュー・ミンスター」を建てると、遺骨はそちらへ移された。さらに1110年ごろ、今度はハイド修道院へ移され、妻と息子にはさまれる形で主祭壇の前に安置された。

雲行きが怪しくなるのは、ヘンリー8世による修道院解散(1536〜1540年)からだ。ハイド修道院も取り壊されたが、王家の遺骨は地中に残されたままだった。1788年にはその跡地に救貧院と刑務所が建てられる。1860年代には好古家ジョン・メラーが跡地を発掘し、「アルフレッドの骨だ」と考えた遺骨を掘り出して売却、セント・バーソロミュー教会の無名墓に再埋葬された。

ところが2013年、ウィンチェスター大学と地域プロジェクト「Hyde900」が、この骨を放射性炭素年代測定にかけたところ、話がひっくり返る。埋まっていたのは少なくとも6人分の骨で、いずれもアルフレッドの死から200年以上あとに亡くなった人たちのものだった。つまり、メラーが持ち出した骨はアルフレッドのものではなかった、というわけだ。

「駐車場の下」という主張

今回の主張の主は、著述家・歴史調査者のグレアム・フィリップス氏。自らを「現実のインディ・ジョーンズ」と称し、歴史上の謎を扱う本を27冊書いてきたという人物で、アルフレッドの遺骨の探索には13年をかけてきたと語る。きっかけは、13年前に行われて空振りに終わった発掘だった。

フィリップス氏によれば、ケンブリッジ大学の資料のなかから1800年ごろの文献を見つけたという。そこには、18世紀の刑務所を建てる際に骨が掘り出され、近くに再埋葬されたことが、地図つきで記されていた。その地図が指す場所が、いまは駐車場になっている。現在の記念碑(メモリアル・スラブ)から20ヤードほどの地点だという。フィリップス氏は、この場所を非破壊のレーダー調査で確かめたいと考えている。

本人の言葉を借りれば、「奇妙なことに、リチャード3世と同じで、骨は駐車場の下にある」。かつて世界を驚かせたリチャード3世の発見をそのままなぞるような話で、読み物としての引きは強い。

もう一つの手がかり——ハイド修道院の骨盤

アルフレッドの行方をめぐっては、駐車場説とは別の手がかりも並んで存在している。骨考古学者のケイティ・タッカー氏(ウィンチェスター大学)は、1990年代にハイド修道院跡から運び出されていた遺骨を改めて調べた。そのなかから、主祭壇の位置で見つかっていた骨盤の骨に注目する。

オックスフォード大学による放射性炭素年代測定では、この骨は895〜1017年のものと出た。骨の分析からは、死亡時の年齢が26〜45歳ほどの男性のものと判明している。大学側は、この骨がエドワード(長兄王)かアルフレッド大王のいずれかのものである可能性が最も高い、との見方を示している。こちらは大学が関わって進めてきた、駐車場説とは別ルートの手がかりだ。

留意点

面白い話ではあるが、受け取り方には注意がいる。まず、フィリップス氏の説は査読を受けておらず、ウィンチェスター大学が公式に認めたものでもない。詳細が明かされたのも学術論文ではなくテレビ番組だ。同大学の歴史家キャサリン・ワイカート氏のコメントも、主張そのものを支持するというより、「中世史に関心が集まるのは喜ばしい」という穏当な距離の置き方にとどまっている。

レーダー調査もまだ行われておらず、仮に骨が出てきたとしても、それを本人と確定するのは簡単ではない。リチャード3世のときは生きている子孫が特定できてDNA照合ができたが、9世紀のアルフレッドで同じことができる保証はない。並行して語られるハイド修道院の骨盤の話にしても、「可能性が高い」という段階で、確定ではない。

いまの時点で言えるのは、「駐車場の下にアルフレッド大王が眠っているかもしれない」という有力な仮説が一つ増えた、というところまでだ。裏づけがとれるかどうかは、これからのレーダー調査や発掘しだいということになる。歴史ミステリーの続きを、気長に待ちたい。

参考リンク

An English King’s Bones Were Moved Over Centuries and Eventually Lost.(Smithsonian Magazine)

King Alfred the Great’s remains claim(BBC News)

The Search for Alfred the Great(University of Winchester)

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