オーストラリアのセアカゴケグモのオスは、交尾の最中にバク転をして、自分の腹をメスの牙の前に差し出します。つまり、自分から食べられにいくのです。この一見わけのわからない行動が、実はメンデルのエンドウ豆と同じくらい単純な遺伝のパターンで決まっていた——そんな研究結果を、ドイツ・ハンブルク大学のチームが2026年8月、学術誌Biology Lettersに発表しました。
オスが自分から食べられにいく交尾
セアカゴケグモ(学名:Latrodectus hasselti)は「ゴケグモ」の名のとおり、メスが交尾相手のオスを食べてしまうことで知られるクモです。ただ、この種の場合、オスはただ食べられているわけではありません。交尾の途中でオスは体を反転させ、腹部をメスの口元へ運びます。研究者たちが「サマーソルト(宙返り)」と呼ぶ動作です。
食べられている間、交尾は続きます。かじられる時間が長いほど精子を送り込む時間も延びるので、オスにとっては子を残すうえで有利にはたらくと考えられています。しかもオスは、腹部をくびれさせるように締め付けて、食べられながらもすぐには死なないようにします。精子の受け渡しを最後までやり遂げるための、いわば延命の工夫です。仕上げに、精子を送る器官(触肢)の先端をメスの体内に折り込んで栓をし、後から来るオスの精子をブロックします。
自分の命と引き換えに、父親の座を独り占めする。ここまで徹底した「自己犠牲型」の交尾は動物界でもかなり珍しく、ゴケグモの仲間(Latrodectus属)31種の中でも、この行動が確認されているのはセアカゴケグモとハイイロゴケグモの2種だけです。
共食いをしない隣人カティポ
ここで面白い比較相手が登場します。ニュージーランドに生息するカティポ(Latrodectus katipo)です。カティポはセアカゴケグモに最も近い姉妹種で、オーストラリアからニュージーランドへ渡ったセアカゴケグモの集団から、およそ10万年前に分かれたと考えられています。10万年というと長く聞こえますが、進化の時間感覚ではまばたきほどの短さです。
ところがこのカティポ、バク転もしなければ、共食いもしません。オスは求愛のダンスをして、交尾がすんだら立ち去る。オスもメスも複数の相手と交尾します。ごく近い親戚どうしなのに、交尾のやり方がここまで違うのはかなり珍しいことです。
そして、ここに研究のチャンスがありました。分かれてから日が浅い2種は、いまでも掛け合わせて雑種を作れます。「バク転する種」と「しない種」を交配して、生まれた子がどちらの行動をとるかを見れば、行動の遺伝のしかたを調べられるわけです。エンドウ豆の掛け合わせで遺伝の法則を見つけたメンデルと、発想は同じです。
2種を掛け合わせる実験
ハンブルク大学の博士課程に在籍するKardelen Özgün Uludağさんらのチームは、まずカティポのメスとセアカゴケグモのオスを交配して、雑種のメスを得ました。次にその雑種メスを、セアカゴケグモのオス、またはカティポのオスと掛け合わせて、遺伝子の混ざり具合が異なるオスたちを作りました。
逆向きの組み合わせ、つまりセアカゴケグモのメスとカティポのオスから始めることはできませんでした。セアカゴケグモのメスは、カティポのオスを交尾相手として受け入れず、ただの餌として食べてしまうからです。
観察にもひと工夫あります。できあがった雑種のオスたちは、カティポのメスと組ませて行動を記録しました。共食いをしないカティポのメスが相手なら、オスが途中で食べられて観察が終わってしまう心配がないためです。バク転をするか、腹部を締め付けるか——貴重な雑種オスを失わずに、行動だけを確かめられる組み合わせでした。

バク転を決めていた単純な遺伝パターン
結果は、チームの予想を超えるものでした。バク転の遺伝のしかたを追うと、性染色体であるX染色体に連鎖していて、しかも単純な優性・劣性のパターンできれいに説明がついたのです。授業で習う「丸いエンドウ豆としわのエンドウ豆」のような、遺伝の教科書そのままの継承パターンが、この曲芸じみた行動の背後にありました。クモではメスがX染色体を2セット持つのに対し、オスは1セットしか持たないため、X染色体上の性質はオスに現れやすいという事情もかみ合っています。
ただし、注意したいのは「バク転の遺伝子が見つかった」わけではないことです。特定の遺伝子はまだ同定されていません。今回分かったのは、あくまで「継承のパターンが単純だった」というところまでで、その正体を突き止めるのはこれからの遺伝子解析の仕事です。
一方、もうひとつの行動——延命のための腹部の締め付けは、まったく別の顔を見せました。こちらは単純なパターンに当てはまらず、複数の遺伝子が関わっているか、あるいはメス側の行動に強く影響される、もっと複雑な性質らしいのです。実際、雑種のオスがバク転と腹部の締め付けの両方をそろって見せたのは半分ほどで、残りはどちらか一方だけでした。ひとつづきの「自己犠牲」に見えていた行動は、遺伝的には別々の部品でできていたことになります。
見えてきたことと残る謎
この研究が示したのは、複雑に見える行動でも、その設計図は驚くほど単純な場合がある、ということです。わずか10万年ほどで、片方の種は命がけのバク転を続け、もう片方はそれを手放した。行動の一部が単純な遺伝で決まっているなら、この速さにも納得がいきます。
とはいえ、謎は残ります。バク転を担う遺伝子の正体はまだ分かっていませんし、腹部の締め付けがどう受け継がれるのかも未解明です。そもそも、なぜセアカゴケグモだけがこの行動を保ち、カティポは捨てたのか。Uludağさんは、ゴケグモの仲間をもっと広く調べて比較したいと話しています。ちなみに比較相手のカティポはニュージーランドの固有種で、生息地の減少などから数を減らしており、いまでは見つけるのが難しくなっているそうです。
日本にいるセアカゴケグモ
最後に、日本の話をひとつ。実はこのセアカゴケグモ、日本にもいます。もともとオーストラリア原産の外来種で、1995年11月に大阪府高石市で初めて見つかって以来、荷物や車にまぎれて分布を広げ、これまでに青森県を除く46都道府県で確認されています。外来生物法の「特定外来生物」に指定されており、毒性が強いのはメスのほうです(オスの毒は弱いとされています)。
攻撃的なクモではないので、いたずらに怖がる必要はありませんが、素手で触ると咬まれることがあります。ベンチの裏や自動販売機の下、室外機まわりなど、日当たりのよい場所の物陰を好むので、見つけても触らず、お住まいの自治体に連絡するのが基本です。命がけのバク転をする風変わりなクモは、案外身近なところにひそんでいます。
出典
・Özgün Uludağ, K., Ivanov, V., Krehenwinkel, H., & Schneider, J. M. “Crossing experiments suggest a simple genetic basis of complex male self-sacrifice phenotypes in widow spiders.” Biology Letters, 22: 20260211 (2026) https://doi.org/10.1098/rsbl.2026.0211
・Live Science “Genetics triggers male black widows to blackflip into death, study finds”(2026年8月11日) 記事はこちら
・RNZ “Male redback’s bizarre death somersault during sex is in its genes” 記事はこちら
・環境省「セアカゴケグモ・ハイイロゴケグモ」 日本の外来種対策ページ


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