デボン紀は、約4億1900万年前から約3億5900万年前まで、およそ6000万年続いた時代です。古生代を構成する6つの紀のうち4番目にあたり、前のシルル紀からそのまま引き継がれて、次の石炭紀へと渡されます。
名前の由来はイングランド南西部のデヴォン州。1839年にアダム・セジウィックとロデリック・マーチソンが、この地域の地層に対して名付けました。英語圏ではこの時代を「Age of Fishes」——魚の時代と呼びます。日本語の教科書でもこの通称はよく使われていて、あわせて「両生類が登場した時代」と説明されることが多い時代です。
「魚の時代」と呼ばれる理由
あごを持つ魚はシルル紀にはすでにいましたが、種類も数も一気に増えたのはデボン紀です。この時代の海と川には、いま生きている魚のグループの原型がひととおりそろっていました。
目立つのは板皮類(ばんぴるい)です。頭と胸のまわりを骨の板で覆った、いわゆる甲冑魚のグループ。その代表がダンクルオステウスで、あごの縁が刃物のように尖った、脊椎動物として最初期の頂点捕食者にあたります。
この魚の大きさについては、近年に大きな修正が入りました。長らく全長5〜10メートルという数字が流通していましたが、根拠のある推定ではありませんでした。板皮類は頭と胸の装甲しか化石に残らず、体の後ろ半分は軟骨だったため腐って消えてしまうからです。2023年、ラッセル・エンゲルマンが現生魚類と近縁の板皮類3169件のデータをもとに頭の比率から推定し直したところ、典型的な成体で3.4メートル前後、最大級の個体でも4.1メートルほどという結果になりました。短くなったぶん、ずんぐりとした体型に描き直されています。

板皮類のほかに、サメの仲間である軟骨魚類、いま最も繁栄している条鰭類(じょうきるい)の祖先、そして肉鰭類(にくきるい)がいました。肉鰭類は、ヒレの付け根に肉厚の柄があって、その中に骨が入っているグループです。現在の生き残りはシーラカンスとハイギョしかいませんが、デボン紀には川や浅い海の主役の一角でした。この記事の後半で出てくる話は、すべてこのグループの中で起きます。
陸を覆いはじめた森
陸の側では、それ以上に大きな変化が進んでいました。シルル紀の陸上植物は、高さ数センチの棒のようなものでした。それがデボン紀のあいだに、木になります。
世界最古の森として知られているのは、アメリカ・ニューヨーク州カイロの採石場で見つかった化石林です。2019年に『Current Biology』で報告されたもので、年代は約3億8600万年前。ここで見つかったのは幹ではなく、地面の下に残された根の跡でした。採石場の床がちょうど当時の地表のすぐ下を水平に切った断面になっていて、掘り出す必要もなく、根の広がりがそのまま見える状態で残っていたのです。
驚かれたのは、その形です。アーケオプテリスという木の根は、幹のあった位置から半径11メートルほどに放射状に広がり、太いものは直径15センチ、先端には細い根が枝分かれしていました。研究者が「自宅の庭で見るものとほとんど変わらない」と表現したほど、現代の木の根と同じ構造をしていました。

アーケオプテリスは葉を持ち、木質の幹と根を持ちながら、まだ種子ではなく胞子で殖えていました。種子を持つ植物が現れるのはデボン紀の終わりごろです。つまり、いまの森に近い姿かたちのほうが、種子より先に完成していたことになります。
根が深く伸びるということは、岩を砕いて土壌を作るということでもあります。地表に土ができ、大気の二酸化炭素が岩石の風化を通じて取り込まれていきました。デボン紀を通じて大気中の二酸化炭素が大きく下がったのは、この森の広がりと結びつけて説明されています。
海を酸欠にした二つの事変
ところが、この森の広がりが、海に対しては打撃になった可能性があります。
デボン紀の後半には、大きな絶滅が二度起きました。ひとつはケルヴァッサー事変。約3億7200万年前、フラスニアン期とファメニアン期の境目にあたり、五大絶滅のひとつに数えられます。当時のサンゴ礁を作っていた層孔虫(そうこうちゅう)や四射サンゴがほぼ壊滅し、浅くて暖かい海の生態系が崩れました。もうひとつはデボン紀の最後、約3億5900万年前のハンゲンベルク事変で、こちらは脊椎動物への打撃が大きく、板皮類はここで姿を消しています。
どちらの層にも共通するのは、海底が酸欠になった証拠——黒色頁岩です。有機物が分解されずにそのまま溜まった地層で、デボン紀の岩石が石油の根源岩として重要なのも、この事情によります。
では、なぜ海が酸欠になったのか。有力な候補として挙げられているのが、陸にできたばかりの森です。根が土壌を作り、風化を加速させ、リンなどの栄養塩が川を通じて大量に海へ流れ込む。栄養が増えれば藻類が増え、その死骸を分解するのに酸素が使われ、浅い海が先に酸欠になる。2023年に『Communications Earth & Environment』で発表された地球システムモデルの計算では、デボン紀の湖の記録から見積もったリンの流出量の増加だけで、絶滅を起こせる規模の無酸素化を作り出せるという結果が出ています。
ただし、これで決着したわけではありません。無酸素化ではなく寒冷化が主因だという説もありますし、当時の無酸素状態は地球全体で同時に起きたわけではなく、場所によっては軽かったり、なかったりしたことも分かっています。火山活動の影響を組み合わせる見方も並行して検討されています。
上陸をめぐる古典的な筋書き
さて、ここからが本題です。
20世紀の教科書に載っていた上陸の説明は、おおむねこうでした。デボン紀の大陸は乾季と雨季を繰り返し、池がしばしば干上がる。取り残された魚のうち、丈夫なヒレを持つ肉鰭類だけが、次の水たまりまで這って移動できた。その移動を繰り返すうちにヒレが丈夫になり、やがて足になった——アルフレッド・ローマーが1950年代に提唱した、いわゆる「干上がる池」の筋書きです。
この説明にあわせて、ユーステノプテロンという肉鰭類が陸を這っている復元画が繰り返し描かれました。いまでは、この魚は完全な水生だったというのが研究者の共通見解です。
筋書き自体を支える化石も、その後に見つかっています。2004年にカナダ北極圏のエルズミーア島で発見され、2006年に記載されたティクターリクです。約3億7500万年前の地層から出たこの動物は、平たい頭を持ち、首が動き、胸ビレに機能する手首の関節がありました。エラ蓋の骨が減って頭と肩が切り離されているため、体を動かさずに頭だけを持ち上げられます。魚と四肢動物のちょうど中間という位置づけで、教科書の図版にもすぐ採用されました。

水の中で完成していた手
この筋書きに最初のひびを入れたのは、グリーンランド東部で見つかった一群の化石でした。
アカントステガという、約3億6500万年前の動物です。全長は60センチから1メートルほど。1987年の発掘で200点を超える骨が一か所からまとまって出てきて、ケンブリッジ大学のジェニー・クラックがこれを詳しく調べました。四肢に指があり、四肢動物として最初期に位置づけられる動物です。
1990年、クラックとマイケル・コーツが報告した内容は、それまでの前提を崩すものでした。アカントステガの前肢には、指が8本あったのです。同じグリーンランドのイクチオステガは後肢の指が7本、ロシアのトゥレルペトンは6本。つまり、私たちの5本という指の数は、四肢動物の出発点ではありませんでした。最初期の四肢動物は指の本数がばらばらで、5本に落ち着くのはもっとあとの話だったことになります。
翌1991年、二人はさらに踏み込んだ報告を出します。アカントステガの喉の骨を調べたところ、魚と同じ内鰓——水中で呼吸するためのエラ——が残っていました。肩帯の前の縁には、魚でエラ蓋室の後ろ壁を支える骨の板もありました。空気呼吸のための肺も持っていましたが、この動物は水の中で息をしていたのです。
骨格の他の部分も、陸向きではありません。手首の関節がなく、肋骨は短くて、水から出たときに胸を支えられません。四肢は体重を長く支えられるほど頑丈でもなく、指のあいだには水かきがあったと考えられています。

つまり、指のある手足は、陸に上がるために作られたものではありませんでした。水の中にいるあいだに、すでに完成していたのです。順番が逆だった、ということになります。
この見方は、その後に見つかった化石でさらに補強されました。2020年に『Nature』で報告されたエルピストステゲは、カナダ・ケベック州で見つかった全長1.57メートルの標本です。胸ビレの骨格が完全な形で残っていた初めての例で、高エネルギーCTで中を見たところ、腕の骨、前腕の骨、手首にあたる骨の列、そして指の骨が並んでいました。それでいて、外側は鱗とヒレ条に覆われた、見た目には普通のヒレのままでした。ヒレの中に手ができていた、という状態です。
歩けなかった四足動物
では、四肢を持った最初期の動物は、陸でどう動いていたのでしょうか。
この問いに答えたのが、2012年に『Nature』で発表されたイクチオステガの3次元解析です。ステファニー・ピアス、ジェニー・クラック、ジョン・ハッチンソンの三人が、化石をスキャンして関節を組み上げ、可動域を数値で出しました。比較対象として、サンショウウオ・ワニ・カモノハシ・アザラシ・カワウソの5種を同じ方法で測っています。
結果は、肩と股関節の可動域が現生のどの動物よりも狭いというものでした。とくに、四肢を長軸まわりに回転させる動き——現代の陸上動物が歩くときに欠かせない動作——ができません。左右の足を交互に前に出す、サンショウウオ式の歩き方は不可能だったことになります。
ではどう動いたか。研究チームが挙げたのは、トビハゼでした。前肢を左右同時に前へ出し、松葉づえのように使って体を引きずる動き方です。後肢はほとんど地面に届かず、尾とあわせて後ろを支える程度の役割しか果たせません。

クラックはこの結果について、博物館の展示や図鑑によくある「4本の頑丈な脚で、大きなサンショウウオのように歩くイクチオステガ」という復元は正しくない、とはっきり述べています。
四肢が役に立った場所
陸を歩くためでないなら、指のある四肢は何の役に立ったのか。
有力な見方は、浅い水の中です。デボン紀の後半には、陸に森ができていました。森ができれば、倒木や落枝、根が水辺に入り込みます。泥と植物のかけらでごちゃごちゃした浅瀬では、体をくねらせて泳ぐより、何かを押したり掴んだり、底を蹴ったりできる四肢のほうが有利だったのではないか、という説明です。
この見方に立つと、承の部分で見た森の広がりと、四肢の誕生が同じ時期に重なっていることの意味が変わります。森は海を酸欠にした容疑者であると同時に、浅い水の中の環境を作り替えた張本人でもあった、ということになります。
そして、水の中で完成していた四肢が、あとになって陸で使えることが分かった。8本や7本という指の数は、その時点ではまだ意味を持っていませんでした。5本という形に落ち着くのは、石炭紀に入ってからのことです。
決着していない問題
ただ、この時代については、まだ分かっていないことがかなり残っています。
ひとつは、アカントステガの化石そのものです。2016年に『Nature』で発表された研究では、シンクロトロン放射光で上腕骨の断面を撮影し、木の年輪のように残る成長線を数えました。すると、いちばん大きな個体でも6歳以上ではあるものの、まだ成長が鈍っておらず、性成熟に達していないことが分かりました。つまり、これまで成体だと思われていた化石は、全部が子どもだったのです。大人がどこで、どんな暮らしをしていたのかは分かっていません。
もうひとつは足跡の化石です。2010年に『Nature』で報告されたポーランド・ザヘウミエ採石場の足跡は、指の跡まで残った四肢動物のもので、年代は約3億9000万年前。体の化石より1800万年ほど古いことになります。この報告に対しては、2015年に「四肢動物の足跡ではなく魚の巣穴や摂食痕だ」という反論が出て、2018年には堆積環境が海ではなく一時的な湖だったという再解釈が示され、2019年にはあらためて反論への反駁が出ました。決着はついていません。
それと、四肢を得た系統がまっすぐ陸へ向かったわけでもないようです。2022年に記載されたキキクタニアは、ティクターリクの近縁で、発見場所も1.5キロしか離れていません。ところが上腕骨には、体を押し上げるときに必要な筋肉の付着跡や突起がなく、滑らかなブーメラン型をしていました。泳ぐための形です。いったん支えるための四肢を持った系統の中から、水に戻ったものがいたことになります。
デボン紀が終わり石炭紀に入ってからの2000万年ほどは、四肢動物の化石がほとんど見つからない空白期間になっていて、ローマーのギャップと呼ばれています。水の中で作られた手足が、いつ、どういう順序で陸で使えるものになったのか——その肝心のところが、ちょうど記録の抜けている区間に落ちています。
出典
ケンブリッジ大学動物学部プレスリリース(イクチオステガの四肢可動域)
Cloutier et al., “Elpistostege and the origin of the vertebrate hand”, Nature (2020)
カーディフ大学・ビンガムトン大学プレスリリース(カイロ化石林)
ケース・ウェスタン・リザーブ大学プレスリリース(ダンクルオステウスの体長推定の見直し)
カリフォルニア大学バークレー校 Understanding Evolution「The origin of tetrapods」


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