【地球年表08】古生代 石炭紀 – 巨大昆虫が飛んだ、酸素の濃い森

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石炭紀は、約3億5900万年前から約2億9900万年前まで、およそ6000万年続いた時代です。古生代を構成する6つの紀のうち5番目にあたり、前がデボン紀、次がペルム紀。古生代はここから残り1紀になります。

名前はそのまま石炭から来ています。1822年、イギリスのウィリアム・コニビアとウィリアム・フィリップスが、石炭を含む地層のまとまりに対して名付けました。北アメリカでは前半をミシシッピ亜紀、後半をペンシルベニア亜紀と呼び分ける習慣があり、地質の本でこの2つの名前を見かけたら、それは石炭紀の前半と後半のことです。

陸上植物が現れてから4億年以上が経ちますが、いま人類が掘り出している石炭は、その大半がこの紀と、続くペルム紀の地層から出てきます。石炭ができる仕組み自体はいまも動いているのに、量がこの一時期に極端に偏っている。年表の上では6000万年の一区画にすぎない時代が、そういう偏りを抱えています。

赤道をまたいでいた湿地の森

この時代、大陸は一か所に集まりつつありました。北のローラシアと南のゴンドワナが接近して衝突し、あいだに山脈を押し上げながら、超大陸パンゲアの形になっていく途中です。その山脈の裾に広がった低地が、ちょうど赤道の上に乗っていました。年じゅう雨が降り、水はけの悪い湿地が延々と続く土地です。

そこに生えていた森は、いまの森とはだいぶ違う顔ぶれでした。いちばん背が高かったのはリンボク(鱗木)の仲間で、高さ30メートル、幹の太さが1メートルを超えるものもあります。見た目こそ木ですが、系統としてはヒカゲノカズラ類——現在のミズニラやヒカゲノカズラに近い植物の、木のように大きくなった一族です。幹の表面はうろこ状の模様に覆われていて、これは落ちた葉の跡でした。中身の作りも現代の樹木とはかなり違うのですが、その話は後で出てきます。

足元には、フウインボク(封印木)、トクサの仲間であるロボク(蘆木)、大型のシダや種子シダが茂り、後半になると針葉樹に近いコルダイテス類も加わります。花はまだありません。緑一色で、湿った空気がこもった森です。

一方、南のゴンドワナには氷床が広がっていました。後期古生代氷河時代と呼ばれる、地球史でも長いほうの寒冷期です。氷が増えれば海面が下がり、減れば海面が上がる。赤道の湿地はそのたびに海に沈んでは戻るのを繰り返し、その履歴が地層にはっきり残りました。石灰岩、砂岩、泥岩、石炭という順番の重なりが何十回もくり返される「サイクロセム」がそれです。アメリカ中西部やイギリスの炭田では、この縞模様を一枚ずつ数えることができます。

酸素の濃い空気と大型化した節足動物

大量の植物が分解されずに地中へ埋まると、その分だけ酸素が使われずに残ります。石炭が溜まった時代は、そのまま大気の酸素が増えた時代でもありました。

どのくらい増えたのかは、モデルによって数字が違います。長く引用されてきたのは「最大35パーセント」という値で、これは硫黄と炭素の収支から酸素を逆算する計算に基づくものです。2023年に英リーズ大学のベンジャミン・ミルズさんらが各種の手法を突き合わせて出した見直し版では、石炭紀からペルム紀にかけての値は「25パーセント超」とされました。幅はありますが、現在の21パーセントより高かったこと、そして顕生代——生き物の姿が化石で追える5億年余り——を通じてここが最高だったことは、どの推定でも共通しています。

この空気の中を飛んでいたのがメガネウラです。トンボに近い仲間で、翼を広げると70センチほど。現代の最大のトンボが20センチ弱ですから、桁がひとつ違います。地面には、全長2.5メートルに達したアースロプレウラがいました。ヤスデの仲間で、これまで知られている陸上の節足動物では最大です。

アースロプレウラについては、2024年10月に姿の理解が大きく進みました。仏リヨン第1大学のミカエル・レリティエさんらが、サイエンス・アドバンシズに頭部の記載を発表したのです。フランス・モンソー・レ・ミーヌの約3億500万年前の地層から出た、鉄分の多い団塊の中に閉じ込められた幼体2匹。岩を割らずにマイクロCTと放射光で中を撮影したところ、170年間見つからなかった頭が出てきました。

そこにあったのは、ヤスデらしい7節の触角と、ムカデらしい大あご、そしてカニのように柄の先についた目という、妙な組み合わせでした。体の作りから、獲物を狩るのではなく落ち葉や倒木を食べていたとみられています。柄のついた目については、幼いうちは水中で暮らしていた名残ではないかという見方も出ていますが、まだ説明はついていません。

なぜここまで大きくなれたのか。昆虫は肺ではなく気管という管で体の奥まで空気を送るので、酸素が濃いほど体を大きくしやすい——という説明はよく知られています。ただ、これで話が終わるわけでもありません。2012年、米カリフォルニア大学サンタクルーズ校のマシュー・クラパムさんとジェレッド・カーさんが、化石の翅の長さを1万500点以上集めて酸素濃度の推定値と並べました。すると、最大サイズが酸素をよく追いかけるのは石炭紀からジュラ紀末までで、白亜紀に入ると酸素が上がってもサイズは下がっていく。時期が鳥の登場と重なることから、空を飛ぶ捕食者が現れて以降は、大きさより身のこなしのほうが有利になったのではないか、と2人は書いています。あくまで相関から組み立てた議論ですが、酸素だけでは説明が閉じないことは示しています。

水辺を離れた卵

この時代の陸で起きたもうひとつの変化が、卵の作りです。

両生類の卵は水の中に産むしかありません。殻がなく、乾けば終わりだからです。ところが石炭紀のどこかで、胚のまわりに膜と液を備えた卵が現れました。羊膜卵と呼ばれるもので、いわば持ち運べる池です。これを手に入れた系統——有羊膜類——は、繁殖のたびに水辺へ戻る必要がなくなりました。爬虫類も鳥も、そして哺乳類も、この系統から出ています。

長らくその最古の証拠とされてきたのが、カナダ・ノバスコシア州のジョギンズで見つかったヒロノムスです。約3億1800万年前、体長20センチほどの、トカゲに似た小動物。化石が出てくる場所が変わっていて、倒れて中が腐り、筒状に空洞になったリンボクの切り株の内側から出てきます。虫を追って入り込んだまま抜け出せなくなったのだろう、と考えられています。

この年代が、2025年5月に大きく動きました。豪フリンダース大学のジョン・ロングさんらがネイチャーに発表したのは、オーストラリア・ビクトリア州マンスフィールド近郊、ブロークン川の岸で見つかった35センチほどの砂岩の板です。地元のアマチュア2人が見つけたもので、表面には雨粒の跡と一緒に、5本指の足跡がいくつも並んでいました。

決め手は爪でした。指先の引っかき傷がはっきり残っていて、こうした爪は有羊膜類にほぼ限られる特徴です。地層は石炭紀のいちばん初め、約3億5500万年前。ヒロノムスより3500万年から4000万年も古いことになります。同じ論文では、ポーランドのシロンスクで見つかった約3億3000万年前の足跡も報告されました。

有羊膜類の起源がここまで下がると、その手前の分岐はさらに古く、デボン紀まで押し込まれます。魚が陸に上がってから卵が水を離れるまでの時間は、これまで考えられていたよりずっと短かった、ということになります。足跡だけで骨は見つかっていないので、今後の検証を待つ段階ではありますが。

「腐らなかったから残った」という説明

さて、石炭の話に戻ります。

なぜこの時代に石炭が偏るのか。長く広く受け入れられてきた説明はこうでした。石炭紀の木はリグニンを大量に含んでいた。リグニンは細胞壁を固める丈夫な物質で、分解するのが難しい。そしてこれを分解できる白色腐朽菌が、当時はまだ進化していなかった。だから倒れた木は腐らずに積み上がり、そのまま埋まって石炭になった。ペルム紀に入って菌類がようやく追いつき、石炭の時代は終わった——。

筋が通っていますし、話としても面白い。分解する側が追いつくまでのあいだ、地球にだけ都合よく炭素が溜まった、という構図です。

これを裏づけたように見えたのが、2012年の研究でした。米クラーク大学のデイヴィッド・ヒベットさんらが31種の菌類のゲノムを比較し、リグニン分解に関わる酵素(クラスIIペルオキシダーゼ)が生まれた時期を分子時計で推定したところ、約2億9000万年前——石炭紀の終わりからペルム紀の初めごろ——という値が出たのです。石炭が減りはじめる時期とぴったり重なる。この結果が出て以降、説明はほぼ定説として扱われるようになり、教科書や科学番組でもよく紹介されています。

説明と合わない事実

ところが2016年、米スタンフォード大学のマシュー・ネルセンさんとケヴィン・ボイスさん、スミソニアン国立自然史博物館のウィリアム・ディミケーレさん、米ウィスコンシン大学マディソン校のシャナン・ピーターズさんが、この説を退ける論文をPNASに出しました。タイトルからして「菌類の進化の遅れは古生代の石炭のピークを作らなかった」です。

いちばん効いているのは、石炭のもとになった組織そのものの話でした。石炭のもとは泥炭で、その泥炭を作っていたのは主にリンボク類です。そしてこの植物、木材にあたる組織はごくわずかしか持っていません。体積の大半は、幹の外側にある分厚い「周皮」——現代の樹木でいえば樹皮にあたる部分——が占めていて、泥炭に入る有機物の8割に達する層もあります。しかも放射光を使って細胞壁をひとつずつ調べた分析では、この周皮はリグニン化しておらず、コルク質に近いスベリンのような成分でできていた可能性が高いと出ました。

つまり、石炭の主成分としてまず疑われていたリグニンは、この時代の泥炭では脇役だったことになります。それだけでなく、同じ化石の中で分解されずに残っているのはリグニンを含まない周皮のほうで、リグニンを含む木材のほうが先に崩れている。通説が予測する順序とは逆です。

もし菌類とリグニンの綱引きが石炭の量を決めていたなら、森の顔ぶれが変われば堆積の速度も変わるはずです。実際、石炭紀の後半にはリグニンの多いコルダイテス類が勢いを増した時期があり、さらに後にはリンボク類がほぼ姿を消してヘゴのようなシダが主役になります。入ってくる有機物の化学組成は、そのたびに大きく入れ替わりました。ところが北アメリカのデータを見るかぎり、石炭の堆積速度はどの入れ替わりをまたいでもほぼ同じままです。

菌類がいなかったわけでもありません。石炭紀の地層からは菌類の化石が多様に出てきますし、デボン紀後期の木材にはすでに白色腐朽らしい分解の痕が残っています。石炭紀の泥炭が丸ごと石になった「コールボール」を調べると、根に対して地上部の量が異常に少ない。枝も葉も幹も、大量に分解されて消えていた証拠です。

そして数字が合いません。当時の陸上の生産量が現在の4分の1しかなく、そのうち2割がリグニンだとしても、年に30億トン規模のリグニンが作られます。これが1億年にわたって分解されずに埋まり続けたとすれば、大気中の二酸化炭素は100万年たらずで消えてしまう。そんな痕跡はどこにもありません。中国の地層では、菌類が「追いついた」はずのペルム紀の後期まで石炭が大量に積もり続けています。

湿った赤道と、沈み続ける盆地

では、何が石炭を作ったのか。

有機物が溜まるために必要なのは、単純に2つです。生産が分解を上回ること。そして、水に浸かって酸素が届かないこと。前者は暖かく雨の多い熱帯で最大になり、後者は水位の高い湿地で成り立ちます。石炭紀の赤道は、この2つを同時に満たしていました。

ただ、それだけでは石炭になりません。泥炭がその場に残り続けるには、地面そのものが沈み続けている必要があります。沈まなければ、いずれ削られて流れていくだけです。

ここで効いてきたのが、パンゲアの組み立てでした。大陸どうしの衝突は山脈を押し上げますが、同時にその手前の地殻を重みでたわませ、広くて浅い盆地を作ります。前縁盆地と呼ばれるもので、沈む速度が泥炭の溜まる速度と近いことが多く、厚い炭層ができやすい場所です。石炭紀には、この盆地群がちょうど赤道の湿潤帯に並んでいました。氷床の増減による海面の上下が、その上に泥炭を埋める蓋を何度も被せていきます。

この見方を後押しするのが、もっと後の時代の石炭です。古第三紀、北アメリカ西部でロッキー山脈ができたとき、その手前に同じ種類の盆地ができました。そこに積もった石炭の堆積速度は、石炭紀のそれとほぼ変わりません。白色腐朽菌が疑いなく存在するようになってから2億年後の話です。菌類の有無が石炭の量を決めているなら、こうはならないはずです。

石炭を作ったのは、分解者がいなかったことではなく、湿った赤道と沈み続ける盆地が同じ場所に来たことだった。そしてこの組み合わせが世界規模でそろったのは、過去4億年でパンゲアが組み上がったこの一度きりでした。石炭紀の名前の由来になった石炭は、生物の都合ではなく、大陸の配置と気候の帯がたまたま重なった位置にできた、ということになります。

森が途切れた時期

その重なりは、石炭紀のうちに一度崩れています。

約3億500万年前、ゴンドワナの氷床の増減が激しくなり、赤道の熱帯が乾く時期が長く続くようになりました。年じゅう湿っていた低地の森は、水の残る場所だけを残して急速に断片化していきます。石炭紀雨林崩壊と呼ばれる出来事です。

これが陸の動物に効きました。英ブリストル大学のサルダ・サーニーさんとマイケル・ベントンさん、英ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校のハワード・ファルコンラングさんが2010年にGeology誌へ報告したところによると、この時期に四肢動物の絶滅率がピークに達し、1つの産地あたりで見つかる科の数は20から7へ落ち込みました。そして、それまで各地で似た顔ぶれだったものが、地域ごとに違う種類へと分かれはじめます。森が島のように切れて、行き来ができなくなったことの現れです。

打撃が大きかったのは、繁殖のたびに水へ戻る必要のある両生類でした。逆に、乾いた場所でも卵を産める有羊膜類は相対的に有利になります。ペルム紀の陸を爬虫類と単弓類(哺乳類につながる系統)が占めていく流れの出発点は、この森の断片化にありました。羊膜卵という発明が本当に効いてきたのは、それが生まれてからずいぶん後、環境の側が乾いてからのことです。

決着していない部分

菌類がまったく関係なかったと証明されたわけではありません。

ネルセンさんらの論文と同じ2016年、ヒベットさんらはCurrent Biology誌に反論を出しています。分子時計の推定は白色腐朽菌がペルム紀ごろに広がったことと矛盾しないし、現代の生態系から考えれば、リグニンを効率よく分解できる菌が現れたことが有機炭素の埋まる速度に影響したとみるのは自然だ、という主張です。地形と気候が主役だとしても、脇で効いていた可能性は残ります。

菌類の化石が残りにくいことも、話をややこしくしています。標準的な標本の作り方では菌類の痕跡が失われやすいと近年になって分かってきましたし、デボン紀の木材に見える分解の痕も、それが担子菌によるものだと決めるための特徴までは残っていません。分子時計の推定にも幅があり、リグニン分解の獲得をデボン紀まで遡らせる余地はあります。

はっきりしたのは、「分解する者がいなかったから積もった」という一本の説明では足りない、というところまでです。石炭紀の石炭は、進化がたまたま追いつかなかった空白の産物というより、赤道の雨と沈み続けた地面が重なった場所に溜まったもの——というのが、いまのところの見立てです。

出典

本文中の境界年代は、国際層序委員会(ICS)の国際年代層序表に基づいています。stratigraphy.org

Nelsen et al., “Delayed fungal evolution did not cause the Paleozoic peak in coal production”, PNAS (2016)全文PDF

Hibbett et al., “Climate, decay, and the death of the coal forests”, Current Biology (2016)

Scientific American(2012年の菌類ゲノム研究の解説)

Long et al., “Earliest amniote tracks recalibrate the timeline of tetrapod evolution”, Nature (2025)

フリンダース大学プレスリリース(マンスフィールドの足跡)

Lhéritier et al., “Head anatomy and phylogenomics show the Carboniferous giant Arthropleura belonged to a millipede-centipede group”, Science Advances (2024)

Clapham & Karr, “Environmental and biotic controls on the evolutionary history of insect body size”, PNAS (2012)

カリフォルニア大学サンタクルーズ校プレスリリース(昆虫の体サイズと酸素・捕食者)

Mills et al., “Evolution of Atmospheric O2 Through the Phanerozoic, Revisited”, Annual Review of Earth and Planetary Sciences (2023)

Sahney, Benton & Falcon-Lang, “Rainforest collapse triggered Carboniferous tetrapod diversification in Euramerica”, Geology (2010)

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