【地球年表09-1】古生代 ペルム紀 – ひとつになった大陸

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ペルム紀は、約2億9900万年前から約2億5200万年前まで、およそ4700万年続いた時代です。古生代を構成する6つの紀の最後にあたり、前が石炭紀、この次からは中生代の三畳紀になります。

名前の由来はロシアのペルミという街です。1841年、イギリスの地質学者ロデリック・マーチソンが、ウラル山脈の西側に広がるこの地方の地層をまとめて「ペルム系」と名づけました。日本の古い教科書にある「二畳紀(にじょうき)」は別の由来で、ドイツではこの時代の地層が赤い砂岩の下部と、石灰岩や岩塩を含む上部の二段に分かれて見えるため「ダイアス(二つの層)」と呼ばれ、その訳語が定着したものです。

ひとつながりの陸を示す証拠

この時代の世界地図を描くと、陸地がほぼ一か所に固まっています。超大陸パンゲア。残りはすべてひとつづきの海で、パンサラサと呼ばれます。東側からは、大きく口を開けたテチス海が切れ込んでいました。

陸がかつてつながっていたという考えを、証拠をそろえて世に出したのはドイツの気象学者アルフレート・ウェゲナーです。1912年の講演と1915年の著書で彼が並べた根拠のうち、いくつかはペルム紀の生き物でした。

ひとつはグロッソプテリスという種子植物のなかま。舌のような形をした葉の化石が、南アメリカ・アフリカ・マダガスカル・インド・南極・オーストラリアから出てきます。種子は重く、海を越えて風で運ばれるようなものではありません。もうひとつはメソサウルス。淡水にしか住めない小さな水生の爬虫類なのに、化石が出るのは南アメリカ南部と南アフリカだけです。どちらも「間に海があった」では説明がつきません。

氷河の痕跡も同じ方向を指しています。ペルム紀の初めごろ、南半球の大陸には厚い氷床が広がっていました。氷が岩を削った擦り傷は、いまは赤道に近い場所にも残っています。しかもその向きをつなぎ合わせると、ばらばらの大陸を寄せ集めたときにきれいにそろいます。

ただ、「ペルム紀にパンゲアが完成した」という言い方は、少し先回りしています。南の大陸群(ゴンドワナ)と北側の陸塊が衝突して本体ができたのは石炭紀のうちで、シベリアがつながったのもそのころ。ところが東の縁——いまの中国にあたる華北や華南などの陸塊——は、まだ別々の島のように離れていました。これらが本体にくっつくのは三畳紀に入ってからです。教科書でおなじみのパンゲアの一枚絵は、東側についてはやや理想化された姿ということになります。

日本にも、この時代の海の記録が残っています。山口県の秋吉台をつくる石灰岩は、前期石炭紀から中期ペルム紀にかけて、パンサラサの大洋のまん中にあった海山の頂上でサンゴ礁として育ったものです。約8000万年ぶんの気候と海水準の変動が記録されていて、それがプレートに運ばれて日本列島に付け加わりました。

氷の終わりと、乾いていく内陸

ペルム紀は、氷の時代として始まりました。デボン紀後期から続いていた後期古生代氷河時代の頂点は、石炭紀の終わりからペルム紀の初めにかけて。ゴンドワナの大部分が氷に覆われていました。

その氷は、前期ペルム紀のうちに大きく後退します。主要な氷床が消えたのはアルティンスキアン期(約2億9000万年前ごろ)まで。2025年にNature Geoscience誌で報告されたホウ素同位体の記録では、この氷の終わりに大気中の二酸化炭素の急な上昇が重なっています。東ゴンドワナ、いまのオーストラリアのあたりには山岳氷河が約2億6000万年前ごろまで残りましたが、地球規模の氷床としては、ここで一区切りがついたことになります。

入れ替わりに現れたのが、乾燥でした。陸が一か所に集まると、内陸は海から遠くなります。海がなければ水蒸気の供給もない。加えて、南北に長く伸びた大陸は夏と冬で極端に温まり方が変わるため、季節ごとに風向きが入れ替わる巨大なモンスーンが発達したと考えられています。雨は大陸の縁に集中し、内側には届きにくくなりました。

その結果が地層に残っています。この時代の地層には、赤い砂岩の砂丘堆積物と、海水が干上がってできた岩塩や石膏の層が世界各地で見つかります。ドイツからポーランドにかけて広がるツェヒシュタインの岩塩層はその代表格で、いまも採掘されています。

植物の顔ぶれも入れ替わりました。石炭紀の湿地を埋めていた背の高いシダ植物のなかま(リンボク類など)は、水位の高い場所でしか生きられません。乾いていく世界では分が悪く、代わって勢いを増したのが、種子で増える植物たちでした。北半球では針葉樹やソテツのなかま、コルダイテス類。南半球のゴンドワナでは、さきほどのグロッソプテリスが広大な森をつくりました。種子は乾燥に耐え、風や動物に運ばれます。胞子のように、湿った地面がなければ次の世代に進めない、という縛りがありません。

陸をおさえていた系統

この時代の陸で、いちばん大きな動物だったのは単弓類(たんきゅうるい)です。頭骨の目の後ろに、片側1つずつ穴が開いているのが特徴で、私たち哺乳類はこの枝の先にいます。

ここで、古い呼び名にひとつ注意が要ります。単弓類は長らく「哺乳類型爬虫類」と呼ばれてきましたが、これは正確ではありません。単弓類と、現在のトカゲやワニや鳥につながる系統(竜弓類)は、石炭紀のうちにすでに分かれた別々の枝です。単弓類は爬虫類の中から出てきたのではなく、最初から爬虫類の隣にいました。背中に大きな帆を立てたディメトロドンは、恐竜でないどころか爬虫類ですらなく、私たちの側の枝の根元近くにいる動物です。

前期ペルム紀の主役は、ディメトロドンやエダフォサウルスのような、脚が横に張り出した体型のグループでした。中期以降になると、脚が体の下へ入り、より活発に動けそうな獣弓類(じゅうきゅうるい)が広がります。くちばしと2本の牙を持つディキノドン類、サーベル状の犬歯を持つゴルゴノプス類。体重1トンを超える大型の植物食動物も現れました。

単弓類だけではありません。パレイアサウルス類という、ずんぐりした装甲つきの草食動物も大型化しています。爬虫類の側の枝では、カプトリヌス類が世界中に散らばりました。

逆さまだった食物ピラミッド

いまの陸の生態系を思い浮かべると、シマウマやシカのような植物食の動物がたくさんいて、それを食べるライオンやオオカミは少数です。ピラミッドの下が広く、上が細い。これは当たり前の形に見えますが、生命の歴史の中では、わりと最近になって出来上がったものです。

脊椎動物が陸に上がってから石炭紀の前半ごろまで、陸の四足動物はほとんど全員が肉食か食虫でした。食べていたのは魚と節足動物。つまり栄養の出どころは水の中で、陸に上がった動物たちも水辺から離れられなかったということになります。地層から出てくる骨を数えると、肉食動物のほうが多い群集がふつうでした。ピラミッドが逆さまに立っていたわけです。

なぜ植物を食べなかったのか。食べられなかったからです。植物の細胞壁の主成分であるセルロースは、動物が自前で持っている消化酵素では分解できません。これを栄養にするには、いくつもの道具を同時にそろえる必要があります。硬い葉や茎をすりつぶす歯と、上下がきちんと噛み合う顎。大量の低カロリーな食物を長時間ためておける大きな胴と腸。そして何より、腸の中でセルロースを分解してくれる微生物との同居です。

この一式が、石炭紀の終わりごろから前期ペルム紀にかけて、少なくとも5つの系統でそれぞれ独立に組み上がりました。ディアデクテス類、エダフォサウルス類、カセア類、ボロサウルス類、カプトリヌス類。互いに近縁ではない者どうしが、ほぼ同じ時期に、別々にたどり着いています。

そしてペルム紀の後期には、大量の植物食動物を少数の肉食動物が食べるという、いまと同じ構造ができあがっていました。1998年にトロント大学のハンス=ディーター・スースさんとロバート・ライスさんがTrends in Ecology & Evolution誌でまとめたとおり、この時点で陸の生態系は「現代的な姿」になっていたことになります。地球の陸上で食物ピラミッドが正しい向きに立ったのは、このときが初めてでした。

起源そのものは、いまも書き換わっている途中です。2026年2月にNature Ecology & Evolution誌へ報告された研究では、カナダ・ノバスコシア州で見つかった「微竜類」の一種(Tyrannoroter heberti)の歯を高解像度CTで調べたところ、切る動きとすりつぶす動きの両方の摩耗が確認されました。同じ特徴は約3億1800万年前の標本まで遡れるといい、植物食は有羊膜類だけの発明ではなかった可能性が出てきています。ただしこのグループの系統上の位置はまだ定まっていません。

水辺から離れた生態系

植物を直接食べられる動物が現れたことの意味は、食事のメニューが増えたことにとどまりません。陸の生態系が、水から自立したということです。

それまで、陸の動物たちの栄養は川や湖からやってきていました。魚を食べ、水辺の虫を食べ、その捕食者を食べる。だから群集は水辺に貼りついているしかありません。植物を食べる動物が現れると、太陽の光と土から始まる食物連鎖が陸の上だけで完結します。水がなくても、植物さえ生えていれば動物の群れが成り立つ。

これは、乾いた内陸を抱えたパンゲアという舞台とかみ合っていました。ペルム紀の後半、ディキノドン類は南アフリカから南極、インド、ロシア、中国まで、大陸のほぼ全域から化石が見つかります。乾燥地に耐えられる体と、そこで食べられる植物と、大陸の内側までひとつながりの陸地。この三つがそろったのはこの時代が初めてでした。

ただし、分かっていないことも多く残っています。セルロースを分解する腸内微生物は化石になりません。当時の動物が本当にそれを持っていたかどうかは、歯の形と体の大きさ、そして胴の広さから推定するしかない。植物食への移行が石炭紀末という短い期間にいくつも重なった理由も、まだ説明がついていません。気候の変化が引き金だったのか、それとも植物の側に何か変化があったのか。答えは、これから掘り出される化石の中にあります。

出典

国際層序委員会 ペルム系小委員会(ICS Subcommission on Permian Stratigraphy)

Sues & Reisz, “Origins and early evolution of herbivory in tetrapods”, Trends in Ecology & Evolution (1998)

Mann et al., “Carboniferous recumbirostran elucidates the origins of terrestrial herbivory”, Nature Ecology & Evolution (2026)

Ponstein, MacDougall & Fröbisch, “A comprehensive phylogeny and revised taxonomy of Diadectomorpha with a discussion on the origin of tetrapod herbivory”, Royal Society Open Science (2024)

Brocklehurst, “Rates of morphological evolution in Captorhinidae: an adaptive radiation of Permian herbivores”, PeerJ (2017)

“Rapid rise in atmospheric CO2 marked the end of the Late Palaeozoic Ice Age”, Nature Geoscience (2025)

Xu et al., “The Serpukhovian–Bashkirian Amalgamation of Laurussia and the Siberian Continent and Implications for Assembly of Pangea”, Tectonics (2022)

「石炭-ペルム系秋吉石灰岩の堆積作用とカルスト化作用」地質学雑誌(2019)

NASA Earth Observatory「Alfred Wegener」

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