タコの賢さの正体は、細胞の中の「切れ目」かもしれない

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ハーバード大学の研究チームが、タコの細胞の中に、ほかのどんな動物にも見つかっていない構造を見つけました。しかもきっかけは、大学院生が「実験に失敗した」と思った一件です。5年かけて追いかけた結果は、2026年7月29日に Current Biology でオンライン公開され、8月17日号に掲載されました。

見つかったのは、生き物のなかでもっとも変わらない部品とされてきた場所にあった、たった一箇所の「切れ目」でした。

実験の失敗に見えた発見

およそ5年前、ハーバード大学医学大学院の大学院生だったリチャード・ハン氏は、カリフォルニア・ツースポットタコ(学名 Octopus bimaculoides)の組織から、リボソームRNA(rRNA)という分子を取り出していました。リボソームは、細胞のなかでタンパク質を組み立てる装置です。rRNAはその骨組みにあたる部品で、リボソームの立体的な形をつくっています。

このときハン氏がやっていたのは、別の実験のための下準備でした。rRNAの配列は動物どうしでほとんど変わらないので、研究者は「取り出した材料が壊れていないか」を確かめる目安として、日常的にこれを使います。健康診断でいえば、毎回まったく同じ値が出るはずの基準線のようなものです。

ところが、タコのrRNAは、本来ひとつのかたまりとして見えるはずのところが、はっきり2つに分かれていました。

最初はチーム全員が、自分たちの手際が悪かったのだろうと考えたそうです。ハン氏が所属していたエイミー・リー氏の研究室と、共同研究先のニコラス・ベロノ氏の研究室は、それでも何度も実験をやり直しました。すると、同じ場所に、同じ切れ目が何度でも出てきます。タコのどの組織でも、どの成長段階でも同じでした。最終的に、著者10人・約5年がかりの研究になりました。

タコの神経系という例外

そもそもタコは、無脊椎動物のなかで際立って賢い生き物として知られています。瓶のふたを開け、迷路を解き、道具を使い、人の顔を見分けます。神経細胞の数はおよそ5億個で、これは小型の霊長類に匹敵する規模です。

変わっているのは、その配置です。タコの神経細胞の大部分は、脳ではなく8本の腕にあります。吸盤ひとつに約1万個の感覚細胞が詰まっていて、腕でさわりながら同時に「味わう」ことができる。脳が中央にどんと構えている脊椎動物とは、まったく別のつくりです。

ところが不思議なことに、タコのゲノム(遺伝子の全体像)を調べても、ほかの無脊椎動物と比べて目立って新しい遺伝子が並んでいるわけではありません。タコの複雑な神経系は、新しい遺伝子を手に入れて生まれたというより、みんなが持っている遺伝子の使い方を変えることで生まれた、と考えられてきました。

生命でもっとも変わらない部品

一方のリボソームは、進化の話のなかではほとんど登場しない部品です。細菌からヒトまで、基本の設計はほぼ共通で、rRNAの一部は生物学が知るかぎりもっとも変化の少ない配列に数えられます。だからこそ、実験の品質チェックに使えるほど信頼されてきました。

リー氏は、この前提そのものが今回の驚きだったと述べています。ここは変わらない、というのが当たり前の想定だった、と。

そのため、タコに見つかった切れ目は、単なる例外の報告では済まなくなりました。変わらないはずの装置が変わっていたのなら、次に知りたいのは「変わったことで、何が起きているのか」です。

浅い海のタコだけに入った切れ目

上の図の左側が、ヒトを含むふつうの動物のrRNAです。ひとつながりの部品として、リボソームの骨組みをつくっています。右側がタコで、同じ部品が2つに分かれています。切れたままでも両方はきちんと組み合わさって働くので、リボソームは問題なくタンパク質を作れます。

研究チームがまず調べたのは、この切れ目がどこに入っているかでした。場所は、リボソームの中でも要にあたる部分です。運ばれてきたアミノ酸が、遺伝暗号の指示と合っているかを照合する、いわば検品台のあたりに切れ目がありました。

では、そこに切れ目があると何が変わるのか。チームは同じ切れ目を大腸菌のリボソームに組み込んでみました。すると、この大腸菌がタンパク質を作るときの正確さが、通常のおよそ2倍になりました。タンパク質は、アミノ酸をつないだあとに正しい立体構造へ折りたたまれて初めて働きます。組み立ての段階でアミノ酸を取り違えると、折りたたみに失敗して、くっつき合った塊(凝集体)になってしまう。切れ目は、この取り違えを減らしていました。

タコとは何億年も離れた細菌に移してさえ効くのですから、この切れ目そのものに、正確さを上げる働きがあることになります。

そして、切れ目を持つ相手の顔ぶれが、話をさらに面白くします。タコの仲間は大きく2つに分かれます。ひとつはマダコやミズダコ、イイダコなどが属する無触毛亜目(むしょくもうあもく/マダコ亜目)で、浅い海の底で暮らし、発達した神経系と複雑な行動を持つグループ。もうひとつは有触毛亜目(ゆうしょくもうあもく/ヒゲダコ亜目)で、ダンボオクトパスの名で知られるジュウモンジダコやメンダコの仲間です。深海をゆっくり漂い、神経系は単純で、獲物を待ち受けて食べます。両者が分かれたのは、およそ1億年前です。

切れ目は、調べた浅い海のタコ5種すべてにありました。そして、深海のダンボオクトパスにはありませんでした。約3億年前にタコと分かれたイカにも、ありませんでした。

つまり、この切れ目は、賢さで知られるほうの系統にだけある——タコの頭の良さを支えているものは、大きな脳でも新しい遺伝子でもなく、細胞の中でタンパク質を作る精度なのかもしれない、という話です。

編集の暴走を抑えるブレーキという見方

なぜ、作る精度が神経細胞に効くのか。理由は神経細胞の寿命にあります。皮膚や腸の細胞は次々に入れ替わりますが、神経細胞は長く生き続け、作り替えがききません。折りたたみに失敗したタンパク質が出ると、その細胞はその失敗を長く抱え込むことになります。共著者のリシャブ・ミトラ氏は、取り違えを減らすことが神経細胞を健康に働かせる助けになりうる、と説明しています。

もうひとつ、タコならではの事情があります。タコやイカを含む頭足類は、DNAから写し取ったRNAを、ほかの生き物とは比べものにならないほど頻繁に書き換えます。RNA編集と呼ばれるしくみで、同じ遺伝子から性質の違うタンパク質を作り分けられる。冷たい水に合わせて神経のタンパク質を調整する、といった芸当もこれでやっています。

ただし、書き換えれば書き換えるほど、折りたたみに失敗する余地も増えます。ベロノ氏は、今回見つかった切れ目が、この書き換えが暴走しないようにするブレーキ、あるいはフィルターとして働いているのではないかと述べています。ひとつの遺伝子からたくさんの製品を作れるけれども、リボソームが通すものだけが実際に作られる、という見立てです。リー氏はこれを、遺伝情報の「制御された柔軟さ」と表現しています。

解釈上の留保

ここから先は、慎重に読む必要があります。

まず、この切れ目がタコの知能の拡大と結びついているという直接の証拠は、今回の研究では得られていません。研究に関わっていない海洋生物学研究所のジョシュア・ローゼンタール氏も、発見自体は非常に興味深いとしたうえで、rRNAの変化が高度な脳や行動の進化を実際に引き起こしたと示すには、さらに研究が必要だと指摘しています。この生き物の遺伝学は、まだ入口に立ったところだ、というのが同氏の見方です。「賢い系統にだけある」という分布は示唆的ですが、それは相関であって、因果が確かめられたわけではありません。

もうひとつ、正確さが2倍という数字は、大腸菌に切れ目を組み込んだ実験の結果です。タコの体の中で2倍になっている、という意味ではありません。

そのうえで、応用の話も出ています。アルツハイマー病やパーキンソン病のように、折りたたみに失敗したタンパク質が関わる病気があります。リー氏は、自然界を手がかりにして、狙いを定められる場所を見つけ始めているところだと述べ、タコの切れ目をまねてヒトの細胞で正確さを上げる薬が設計できないか、と期待を語っています。もっとも、これは現時点では方向性の話であり、具体的な治療法があるわけではありません。

変わらないと思われていた装置が、実は進化の舞台になっていた。今回の研究がはっきり示したのはそこまでで、その先——タコの賢さが本当にここから来ているのか——は、まだ開いたままです。

出典

論文:Mitra R, Han R, Scott TJ, et al. “Evolution of a core ribosomal innovation in octopus.” Current Biology, 2026. DOI: 10.1016/j.cub.2026.07.008(Cell Press

査読前に公開されたプレプリント版は、bioRxiv で全文を無料で読めます。

ハーバード大学の発表を伝えた記事:Phys.orgAZoLifeSciences

解説記事:Smithsonian Magazine(Sara Hashemi、2026年8月19日)

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