娘の結婚式に出席した数日後、65歳の女性が胸の痛みと息苦しさで病院に運ばれた——。カタールの医療チームがまとめた症例報告が、医学誌Oxford Medical Case Reportsに掲載されました。検査の数値は心筋梗塞そのもの。ところが心臓の血管を調べてみると、詰まりはどこにも見つかりませんでした。
診断名は「たこつぼ型心筋症」。日本の医師が名付けた、世界中の医学論文に「takotsubo」と日本語のまま登場する病気です。そして今回の症例には、この病気の中でもさらに珍しい特徴がありました。
結婚式のあとに続いた胸の痛み
症例報告によると、この女性には高血圧・糖尿病・脂質異常症の持病があり、以前から原因のはっきりしない胸の痛みで循環器の外来に通っていました。ただ、当時の心電図や心臓超音波の検査結果は正常で、本人も検査を続けることをためらい、いつしか通院は途絶えていたそうです。
それから数か月後。娘の結婚式に出席したあと、胸の痛みと息苦しさが3日間続き、女性は近くのクリニックを受診します。そこで撮った心電図に、心筋梗塞を疑わせる変化(ST上昇)が出ていました。すぐに救急へ搬送されます。
病院に着いたころには胸の痛み自体はおさまっていたものの、検査の結果は穏やかではありませんでした。血液検査では、心臓の筋肉が傷ついたときに血液中へ漏れ出すトロポニンというタンパク質が上昇。心臓超音波では、血液を送り出す左心室のポンプの力(駆出率=1回の拍動で送り出せる血液の割合)が、5か月前の58%から35%まで落ちていました。健康な人はおおむね50〜70%なので、はっきりと低い数字です。
ここまでなら、典型的な心筋梗塞の経過です。ところが、カテーテルで造影剤を流して心臓の血管を映し出す検査(冠動脈造影)をしてみると、血管はどこも詰まっていませんでした。心筋梗塞は血管の詰まりで起きる病気ですから、これでは説明がつきません。
代わりに映っていたのは、左心室の先端が風船のようにふくらみ、動きを止めている姿でした。
日本の漁具が名前になった病気
左心室の付け根はぎゅっと収縮しているのに、先端だけがふくらんだまま動かない。この造影画像の形が、タコ漁に使う壺——蛸壺(たこつぼ)にそっくりなのです。

この病気の第1例を経験したのは、広島市民病院の佐藤光医師で、1983年のことでした。心筋梗塞とそっくりの経過なのに血管に詰まりがなく、しかも短期間で自然に回復してしまう。当時の常識では説明のつかない症例でした。佐藤医師は1990年、同様の3症例をまとめて報告し、その中で左室造影の形を「ツボ型」と表現します。ここから「たこつぼ型心筋症」という病名が生まれ、やがて世界に広まりました。今回のカタールの症例報告にも、「最初の症例は1983年に広島市民病院で報告された」と明記されています。日本の地方病院での観察が、そのまま世界標準の病名になった、めずらしい例です。
発症の引き金になるのは、強い精神的・身体的ストレスと考えられています。ストレスで急増したアドレナリンなどのホルモンが、一時的に心臓の筋肉を麻痺させるのではないか、という説が有力ですが、詳しい仕組みはまだ分かっていません。
典型的なきっかけは、近親者との死別や大きな事故、重い病気の告知といった、つらい出来事です。だからこの病気は英語で「broken heart syndrome」——直訳すれば「傷心症候群」と呼ばれてきました。悲しみが心臓を壊す病気、というのが通り相場だったわけです。
引き金は悲しみではなく喜び
ところが今回の女性の引き金は、娘の結婚式でした。人生でもっとも幸せな日のひとつが、心臓を止めかけたのです。
実は、喜びが引き金になるたこつぼ型心筋症には、すでに名前がついています。「happy heart syndrome(幸せハート症候群)」。2016年、チューリッヒ大学のGhadri医師らが、世界中の患者データを集めた国際たこつぼレジストリの解析から初めて報告しました。その解析では、感情的な出来事がきっかけになった症例のうち、引き金が喜びだったものは約4.1%。誕生日パーティー、息子の結婚式、ひいきのチームの勝利——そんな出来事のあとに発症した患者が、ごく少数ながら確かに存在したのです。
つまり、強い喜びは、強い悲しみと同じように体のストレス反応を呼び起こすことがある。感情の中身が正反対でも、心臓にかかる負荷としては同じ側に振れうる、ということになります。
今回の女性の診断は、メイヨー・クリニックの診断基準に沿って確定されました。左心室の動きの異常が1本の血管の支配範囲を超えて広がっていること、血管に詰まりがないこと、新しい心電図変化とトロポニンの上昇があること、そして心筋炎など他の病気が除外できること。心臓MRIでも、心筋梗塞の痕や組織の線維化がないことが確認されています。
回復した心臓と残された問い
女性はベータ遮断薬をはじめとする標準的な心不全の治療を受け、状態が安定したところで退院しました。その後の検査では、35%まで落ちていた駆出率が56%まで回復。もとの58%とほぼ同じ水準です。日常生活にも制限なく戻れたと報告されています。心臓の筋肉が壊死してしまう心筋梗塞と違い、たこつぼ型心筋症は多くの場合、時間とともに元に戻る——この「可逆性」が、この病気の大きな特徴です。
ただ、分かっていないことも残っています。幸せハート症候群は、悲しみ型に比べて心臓のふくらむ場所が違う(先端ではなく中ほどや付け根がふくらむことが多い)とされてきましたが、今回の症例は典型的な「たこつぼ」の形、つまり先端型でした。喜び型は症状が軽く経過も良い可能性がある、という報告もありますが、論文の著者たち自身が「確認にはさらなるデータが必要」と慎重な姿勢をとっています。症例の数がまだ少なく、全体像を語れる段階ではないのです。
念のため書き添えておくと、これは一人の患者についての症例報告であり、「結婚式やお祝い事が心臓に危ない」という話ではまったくありません。喜びが引き金になるのは、たこつぼ型心筋症というもともと珍しい病気の、そのまた一部にすぎません。ただ、胸の痛みや息苦しさが続くときに、「思い当たるストレスがないから大丈夫」とは限らない——直前にあったのが幸せな出来事だったとしても、症状が続く場合は早めに医療機関を受診してください。
出典
Rhabneh, L. et al. “An unexpected sequel to happiness: happy heart syndrome” Oxford Medical Case Reports, Volume 2026, Issue 7 (2026年7月8日公開)
https://doi.org/10.1093/omcr/omag108
Live Science “Diagnostic dilemma: A joyful wedding nearly broke a woman’s heart in a rare case of ‘happy heart syndrome'”(2026年8月19日)
https://www.livescience.com/health/heart-circulation/diagnostic-dilemma-a-joyful-wedding-nearly-broke-a-womans-heart-in-a-rare-case-of-happy-heart-syndrome


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