三畳紀は、約2億5190万年前から約2億140万年前まで、およそ5000万年続いた時代です。中生代を構成する3つの紀の最初にあたり、前が古生代のペルム紀、この次がジュラ紀になります。
名前の由来はドイツの地層です。1834年、ヴュルテンベルクの鉱山技師フリードリヒ・フォン・アルベルティが、南西ドイツで上下に重なる三つの地層——赤い砂岩(ブントザントシュタイン)、貝殻を含む石灰岩(ムシェルカルク)、泥や砂を主とするコイパー——をひとまとめの区分として「トリアス(三つ組)」と呼びました。日本語の「三畳紀」は、この三層構造をそのまま訳したものです。
空いた席を埋めにきた顔ぶれ
三畳紀は、直前に起きた史上最大の大量絶滅の後始末から始まります。古生代の終わりに海の生物の大半が消え、陸の生態系も崩れました。前期三畳紀の地球は暑く乾いていて、生態系が元の複雑さを取り戻すまでには数百万年かかっています。
ただ、席が空いたということは、そこに入り込む余地ができたということでもあります。
海では、陸で暮らしていた爬虫類の一群が水に戻りました。魚竜です。その巨大化は、驚くほど速く進みました。2021年にScience誌で報告されたキンボスポンディルス・ヤンゴルムは、アメリカ・ネバダ州の中期三畳紀の地層から出た魚竜で、頭骨だけで2メートル、全長は17メートルを超えると見積もられています。大きなマッコウクジラに並ぶ体格です。研究チームによれば、魚竜のなかまが現れてから、長く見積もっても800万年後の姿でした。クジラの系統が同じ大きさに達するまでにかけた時間と比べると、桁が違います。

陸で勢いを増したのは、主竜類(しゅりゅうるい)と呼ばれるグループです。いまの言い方をすると、ワニと鳥の共通祖先から広がった一群にあたります。三畳紀の初めごろ、主竜類はすでに大きく二つの系統に分かれていました。片方は鳥に至る側で、恐竜と翼竜がここから出ます。もう片方がワニに至る側です。
哺乳類につながるキノドン類も、この時代を生きていました。2026年8月にFrontiers in Mammal Science誌で報告された研究は、その一員について意外な指摘をしています。アルゼンチン北西部で見つかった約2億3600万年前のキノドン類、キニクオドン・テオトニクスの大腿骨と尺骨を薄く切って顕微鏡で調べたところ、骨の中心近くに「新生線」——生まれた瞬間に対応する組織の切り替わりで、現生の哺乳類ではよく知られています——が見つかったといいます。その位置での骨の太さから逆算した出生時の体重は約1.68キログラム。成体の12キログラム近くに対して、1割から2割にあたります。
この比率は、卵を産む爬虫類や鳥はもちろん、有袋類や単孔類よりも、胎盤を持つ哺乳類に近いものです。研究チームは、これを哺乳類につながる系統における胎生の最古の証拠とみて、その起源が従来考えられていたより9000万年から9500万年さかのぼる可能性を指摘しています。ただし根拠は、いまのところ1種の骨の組織にとどまります。キノドン類のなかでこれが例外なのか、それとも広く見られたことなのかは、まだ分かっていません。
乾いた大陸に降り続いた雨
三畳紀の陸地は、ほぼひとつながりでした。超大陸パンゲア。内陸は海から遠く、この時代の大半を通じて乾いた土地が広がっています。
ところが途中に、雨が続いた区間があります。カーニアン多雨事件と呼ばれる、約2億3400万年前から2億3200万年前にかけての200万年ほどです。地層には、乾いた堆積物のあいだに、湿潤な環境でしかできない土壌や、川が運んだ粗い砂礫の層が挟まっています。

2020年にScience Advances誌で発表された、中国地質大学(武漢)のヤコポ・ダル・コルソさんとブリストル大学のマイク・ベントンさんらによる総説は、この時期に何が起きたのかを地質と化石の両面から整理しました。原因として挙げられているのは、いまのカナダ西部にあたるランゲリアで起きた大規模な火山活動です。噴火のピークがカーニアンに重なり、放出された二酸化炭素が気温を押し上げ、暖まった海から立ちのぼった水蒸気が大陸の内側まで届いた、という筋書きになります。
この総説によれば、海では属の33%がこのとき姿を消しました。一方で、入れ替わりに現れた顔ぶれは、かなり現代的です。いまのサンゴ礁をつくる造礁サンゴ、石灰質の殻を持つ微小なプランクトン、そして陸ではカメ、ワニ形類、トカゲのなかま、哺乳形類、翼竜。琥珀がまとまった量で残りはじめるのもこの時期です。針葉樹の森が広がり、石炭紀以来はじめて、まとまった石炭層ができました。
恐竜もここに含まれます。2018年にNature Communications誌で報告された研究は、イタリア・ドロミーティ地方の、年代のよく分かった足跡化石群を軸に、骨と足跡の記録を突き合わせました。すると、恐竜の足跡が現れる時期が、カーニアン多雨事件とぴったり重なっていました。恐竜そのものはそれより2000万年ほど前から存在していたとみられますが、地層に目立つ形で残りはじめるのは、この雨のあとです。
ダチョウに似た、ワニの系統
1947年、アメリカ・ニューメキシコ州のゴーストランチで、古生物学者エドウィン・コルバートが骨を大量に含む岩塊を掘り出しました。コエロフィシスという小型の肉食恐竜がぎっしり詰まって出ることで有名な採石場です。石膏で梱包された岩塊はニューヨークのアメリカ自然史博物館に送られ、そのうちのいくつかは開けられないまま棚に置かれました。
59年後の2006年、大学院生だったスターリング・ネスビットさんが、コエロフィシスの新しい標本を探して、その梱包を開きます。中から出てきたのは、ほぼ完全な骨格でした。全長2メートルほど、後ろ脚で立ち、首は長く、腕は小さく、顎には歯が一本もなく、生きていたときはくちばしに覆われていたとみられる動物。白亜紀のオルニトミムス類——いわゆるダチョウ型の恐竜——にそっくりです。
ところが、足首の構造がまるで違いました。ネスビットさんが2007年に記載したこの動物、エフィギア・オキーフェアエは、恐竜ではありません。ワニに至る系統、偽鰐類(ぎがくるい)に属します。ダチョウ型の体つきは、恐竜がそれを手に入れるよりずっと前に、まったく別の系統で独立に現れていたことになります。

エフィギアは例外ではありませんでした。三畳紀の陸には、ワニの系統の動物が驚くほど多様に暮らしています。いまのワニそっくりの姿で川に潜んでいたフィトサウルス類。背中を骨の板で覆い、植物を食べていたアエトサウルス類。体長4メートルを超え、四足で歩いた頂点捕食者ポストスクス。水辺にも乾いた平原にも、それぞれの形をした偽鰐類がいました。

少数派だった三千万年
2008年、当時ブリストル大学にいたスティーブン・ブルサッテさんとマイケル・ベントンさんらは、Science誌でこの時代の主竜類を数字で比べました。恐竜と偽鰐類のそれぞれについて、骨格の特徴がどれだけ広くばらついているか(形態的多様度)と、その特徴が変化していく速さ(進化速度)を算出したのです。
長く語られてきた筋書きは、こうでした。恐竜は真下に伸びた後ろ脚や効率のよい呼吸といった優れた設計を持っていて、三畳紀を通じて競争相手を少しずつ押しのけ、最後に陸を制した——。
数字はそれを支持しませんでした。形態的多様度は、三畳紀を通じて偽鰐類のほうが有意に大きい。進化速度には、両者のあいだに区別できるほどの差がない。恐竜は生態系のなかで、およそ3000万年ものあいだ、少数派の立場に留まっていました。
なぜ増えられなかったのか。2015年にPNAS誌で報告された研究が、低緯度地域についてひとつの答えを出しています。アメリカ南西部のチンリー層——当時のパンゲアでは赤道に近い場所にあたります——から、花粉や胞子、山火事で生じた炭、有機炭素の同位体、そして当時の二酸化炭素濃度の指標を、まとめて取り出したものです。
浮かび上がったのは、極端に不安定な環境でした。二酸化炭素濃度は現在の4倍から6倍。雨の多い年と干ばつの年が激しく入れ替わり、枯れた植物を燃料に、600度に達する山火事が繰り返し起きています。研究チームは、こうした条件のもとでは、体が大きく成長の速い植物食恐竜が必要とする安定した食料をまかなえなかったと考えました。同じ場所で、偽鰐類を中心とする動物群集のほうは、三畳紀の終わりまで持ちこたえています。

勝者ではなく、生存者
三畳紀の終わりは、約2億140万年前です。パンゲアが割れはじめ、いまの北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・ヨーロッパにまたがる巨大な火山活動が始まりました。中央大西洋マグマ分布域(CAMP)と呼ばれ、痕跡の残る範囲は1000万平方キロメートルを超えます。地球の歴史でも最大級の火成活動で、海と陸を合わせて種の4分の3ほどが消えたとする見積もりがあります。マグマが有機物に富む堆積盆地に貫入し、それを焼いてガスを吐き出させた——ペルム紀末と似た筋書きも提出されています。

この絶滅を、偽鰐類はほとんど通り抜けられませんでした。残ったのは、のちのワニにつながるワニ形類の一部だけ。フィトサウルス類もアエトサウルス類もポストスクスの仲間も、ここで途切れます。一方、恐竜は通り抜けました。そして空いた席へ広がっていきます。
ブルサッテさんらの結論は、ここに結びつきます。恐竜が陸の主役になったのは、長い競争に勝ったからではなく、大量絶滅という一回きりの出来事を、たまたま生き延びたからだ、というものでした。三畳紀の3000万年をかけて優劣がついていたのなら、勝っていたのは偽鰐類のほうです。
まだ説明されていない、運の中身
ただし「運がよかった」は、それ自体では説明になりません。なぜ恐竜が通り抜け、偽鰐類が通り抜けられなかったのか。その中身は、いまも詰められていないままです。
そもそも「恐竜が生き残った」という言い方も、少し雑かもしれません。2026年4月、バージニア工科大学のシンバ・スリバスタバさんとスターリング・ネスビットさんが、Papers in Palaeontology誌で新種の恐竜を記載しました。プティコテラテス・ブックレントゥスと名づけられたその動物は、エフィギアが出たのと同じゴーストランチの採石場で1982年に採集され、その後ずっと引き出しにしまわれていた、22センチほどの頭骨から見つかっています。
分類上は、恐竜のなかでも早くに枝分かれした肉食のグループ、ヘレラサウルス類にあたります。この系統は三畳紀の後半には消えていたと考えられてきましたが、化石が出た地層は三畳紀末の絶滅の直前にあたる可能性があるといいます。そして、この仲間はそれ以降どこからも見つかっていません。スリバスタバさんは、三畳紀末の絶滅が消したのは恐竜の競争相手だけではなく、恐竜自身の古い系統も含まれていたことになる、と述べています。
絶滅の現場の様子も、少しずつ見えてきました。2026年7月にNature Geoscience誌で報告された研究では、ドイツ、ルクセンブルク、デンマーク、イギリスから採取したボーリングコアの花粉と胞子の色を1万5000点測り、絶滅の区間で化石が一様に黒ずんでいることを示しています。熱を受けた証拠です。CAMPの二酸化炭素で気温が5度から10度上がり、樹木の森が倒れたあと、そこにシダが一面に広がった。そのシダ自身が燃料になり、地下の根から何度も再生してはまた燃えた。ユトレヒト大学のバス・ファン・デ・スホートブリュッヘさんらは、この繰り返しが、シダばかりが茂る時期を数万年から30万年ほど引き延ばした可能性があるとしています。

最古の恐竜がいつ現れたのかも、決着していません。タンザニアで1930年代に採集され、2012年に記載されたニアササウルスは約2億4300万年前とされますが、残っているのは上腕骨と数個の椎骨だけです。記載者自身が「最古の恐竜でないとしても、いまのところ最も近い親戚」という慎重な言い方をしています。
三畳紀は、しばしば「恐竜の時代の始まり」という一行でまとめられます。ただ、この時代の後半に陸を歩いてみたとしたら、まず目に入る大きな動物は、たいてい恐竜ではなく、ワニに近い系統の爬虫類だったはずです。恐竜がこの時代の主役に見えるのは、そのあとに何が起きたかを、わたしたちが知っているからです。


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