マジックマッシュルームの成分「シロシビン」を摂った脳は、活動がばらばらになって無秩序に陥る——これが、この分野で長く共有されてきた理解でした。ところが、オーストラリアのモナシュ大学のチームが5年をかけて集めた大規模な脳画像データから、その「無秩序」の中に、状況に合わせて組み変わる別の秩序が隠れていたことが分かりました。論文は2026年8月19日付で科学誌Natureに掲載されています。
先にひとつ、大事なことを書いておきます。日本では、シロシビンとシロシビンを含むキノコ(いわゆるマジックマッシュルーム)は麻薬及び向精神薬取締法で規制されており、所持・使用・栽培は犯罪です。今回の研究は、法的に承認された海外の臨床研究として、医師や専門スタッフの管理下で行われたものです。この記事は脳の仕組みに関する基礎研究の紹介であり、使用を勧めるものではありません。
「脳がばらばらになる」というこれまでの説明
シロシビンは、脳内のセロトニン受容体という部位に作用して、幻覚や気分の変化を引き起こします。その間、脳の中で何が起きているのかについては、これまでの脳画像研究で一貫した答えが出ていました。ふだん足並みをそろえて働いている脳の各領域が、てんでばらばらに活動し始める——専門的には「脱同期」と呼ばれる状態です。2024年には「シロシビンは人間の脳を脱同期させる」と題した論文がNatureに載り、この見方を裏付けていました。
秩序が壊れるから、ふだんと違う体験が起きる。自分と世界の区別があいまいになるのも、脳内の統率が失われた結果である。筋の通った説明で、実際に測定データもそれを支持していました。ただ、この説明にはひとつ、見過ごされていた前提があります。これまでの研究の多くは、数分間の脳活動を平均してならした「時間で均したつながり」を、しかも大勢の被験者の平均として見ていました。いわば、長時間露光で撮った1枚の写真です。写真がぶれて写ったからといって、被写体がでたらめに動いていたとは限りません。ぶれの中に、実は規則的な動きがあったのかもしれない——時々刻々の動きを追わない限り、そこは確かめようがありませんでした。
5年がかりで組まれた実験の中身
モナシュ大学のチームが立ち上げたのは、この「瞬間ごとの動き」を個人単位で追うための実験でした。参加したのは、サイケデリック(幻覚剤)の使用経験がまったくない18〜55歳の健康な成人62人。集められたデータは、単一施設によるサイケデリック脳画像研究として過去最大の規模になりました。
参加者はシロシビン19mgを摂る前と当日の2回、fMRI(血流の変化から脳のどこが働いているかを捉える装置)と脳波計の両方で脳活動を記録されました。ポイントは、記録中にやることを次々に切り替えたところです。目を閉じてただ安静にする、音声ガイドに沿って瞑想する、音楽を聴く、そして目を開けて映像を眺める。同じ薬の影響下でも「そのとき何をしているか」で脳の振る舞いがどう変わるのかを、条件をそろえて比べられる設計です。
そして解析には機械学習が使われました。脳全体の膨大な活動データを、時点ごとに少数の座標へ圧縮し、脳の状態が時間とともにどう動いていくかを1本の「軌跡」として描き出す手法です。時間で均してしまう従来のやり方と違い、この軌跡には瞬間ごとの変化がそのまま残ります。

無秩序の中に浮かび上がった構造
軌跡を描いてみると、意外なものが見えてきました。シロシビンの影響下にある脳の活動は、でたらめに散らばっていたのではなく、安静のとき、瞑想のとき、音楽のとき、映像のときで、それぞれ別のまとまりを作っていたのです。しかもそのまとまりは、シロシビンを摂っていないときよりむしろくっきりしていました。機械学習の分類器に「この瞬間の脳活動はどの状況のものか」を当てさせると、シロシビン下のデータのほうが高い精度で言い当てられたほどです。
もし薬が脳活動をただのノイズに変えるだけなら、軌跡は拡散して重なり合い、分類の精度は下がるはずです。実際に起きたのはその逆でした。つまり脳は、混沌に沈んでいたのではなく、そのときの状況に合わせて活動を別の編成へ組み変えていた——時間で均した写真には写らない秩序が、動きの中に隠れていたわけです。なお、時間平均の指標で見ると脳のネットワークのまとまりが崩れて見えること自体は、この研究でも従来通り確認されています。「無秩序」の測定が間違っていたのではなく、その測り方では見えない秩序が同居していた、というのが正確なところです。
さらに興味深いのは、この秩序の現れ方に個人差があったことです。秩序がもっともはっきり現れたのは、自分と外の世界の境目が薄れる感覚を、肯定的な体験として強く報告した人たちでした。逆に、不安や思考の混乱といった否定的な体験とは、ほとんど関係がありませんでした。研究チームはこの「環境と切り離されているのではなく、環境と連続している」という感覚をエンベデッドネス(embeddedness)と名付け、脳活動が状況と足並みをそろえる現象の、体験側の対応物だと位置づけています。この足並みの度合いは、翌日に本人が報告した心境の変化とも相関していました。
「自分と世界の境目」をめぐる示唆と留意点
筆頭著者のデヴォン・ストーリカー氏は、自分と世界の境目は固定されたものではないかもしれず、脳のシステムがこの区別を能動的に維持していて、シロシビンはそれを一時的に緩めるのだろう、と説明しています。ふだん意識することのない「自分はここまで、世界はここから」という線引きが、実は脳が働き続けることで保たれている構築物だとしたら——この研究がいちばん考えさせるのは、薬の話というより、私たちの日常の意識のほうかもしれません。
一方で、割り引いて読むべき点もはっきりしています。対象はサイケデリックの経験がない健康な成人62人という限られた集団で、うつ病などの患者は含まれていません。参加者全員が何を摂るか知っている「オープンラベル」の研究で、思い込みの影響を排除する盲検化もされていません。研究チーム自身、今回見つかった脳活動のパターンが治療上の変化を予測できるかどうかは、これからの検証課題だとしています。責任著者のアディール・ラジ氏も、問うべきは既存の治療に置き換わるかどうかではなく、どんな人に、どんな条件で、どれだけ確実に効きうるのかだと、慎重な言い方をしています。
「脳が混沌になる」と思われていた状態の中に、状況に応じた秩序が隠れていた。そしてその秩序の深さは、体験の質と結びついていた。分かったのはここまでで、それが治療にどうつながるのかは、まだ誰にも分かっていません。ただ、サイケデリック研究において「体験」を単なる副作用として切り離せないだろうということは、データの上でも輪郭を持ち始めたように見えます。
出典
Stoliker, D. et al. “Psychedelics align brain activity with context” Nature(2026年8月19日、オープンアクセス)
https://www.nature.com/articles/s41586-026-10910-z
Mike McRae “Landmark study upends how we think the brain responds to psychedelics” New Atlas(2026年8月19日)
https://newatlas.com/mental-health/order-comes-from-psychedelic-chaos/


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