1908年4月2日の夜、イギリス海峡のワイト島沖で、イギリス海軍の駆逐艦タイガー(HMS Tiger)が巡洋艦と衝突して真っ二つに折れた。乗員57人のうち35人が死亡している。戦時ではない。夜間演習の最中に起きた事故だった。
海軍は翌週から現場を捜索したが、船体は見つからなかった。それから118年、潜水調査グループのProjectXploreが、ワイト島の南、水深およそ62メートルの海底で二つに割れた船体を確認し、タイガーであると特定した。イギリス海軍が2026年8月10日にこの発見を発表している。

灯火を消した夜の演習
その夜、ポーツマスから出た12隻の駆逐艦が、本国艦隊ポーツマス戦隊の戦艦・巡洋艦6隻に対して夜襲の訓練をしていた。演習は灯火を消して行われ、月のない暗い晩だった。
午後8時5分ごろ、タイガーは同型艦のリクルートとともに戦艦プリンス・ジョージの左舷側を通過した。ところがタイガーはリクルートに続かず、そこから左に舵を切って艦隊の列の中へ入り、装甲巡洋艦バーウィックの前方をほぼ直角に横切る針路をとった。
バーウィックがタイガーを見つけたときの距離は90〜140メートルほど。タイガーの速力はおよそ20〜21ノット。バーウィックの艦長はただちに取り舵一杯を命じたが、間に合わなかった。午後8時15分ごろ、9800トンの巡洋艦が、400トン級の駆逐艦の胴体を、2番煙突と3番煙突のあいだで切り裂いた。
タイガーの機関大尉だったセシル・ヴィニング氏は、後に、魚雷攻撃を模擬するために撃たれた照明弾が異常にまぶしく、そのあとしばらく何も見えなかったと語っている。自分が立っていた側の船体は水面の高さまで沈み、舷側を越えてきた波にのまれた、とも述べた。船体の一方はほとんど即座に沈み、もう一方は3分ほど浮いていた。
周囲の艦がただちに救助にあたり、22人が海から引き上げられた。艦長のウィリアム・ミドルトン大尉を含む35人が亡くなっている。近くの艦にいた乗員は、タイガーには機関車に対するイワシの缶詰ほどの分もなかった、と振り返った。
誰の責任でもないとされた事故
事故は一面で報じられ、翌日には国王エドワード7世が海軍大臣に弔意の電報を送っている。数週間後に開かれた軍法会議では、照明弾が視界を妨げたのではないかという証言も出た。ただ法廷はこの点について明確な判断を示さなかった。
結論は、タイガーの生存乗員の誰にも責任は帰せられず、バーウィックの艦長にも責任は問えない、というものだった。つまり、なぜタイガーが隊列を離れて巡洋艦の前に出たのかは、説明がつかないまま残された。当時ある海軍士官は記者に、この謎が解ける日は来ないだろうと語っている。
二つに離れて沈んでいた船体
ProjectXploreがタイガーを探し始めたのは2022年9月のこと。海軍省の記録から事故当時の状況を組み立て直し、二つの船体が沈んだ可能性の高い範囲を絞り込んでいった。地元の潜水船スキッパーで、1980年代からこの海域の沈没船を調べてきたデイヴィッド・ウェンデス氏も加わっている。
2026年3月10日のソナー調査で、ようやく該当する船影が出た。6月23日と24日に船尾側へ最初の潜水。7月8日と9日には、船尾からあらかじめ計算した方位をハンドコンパスで追い、ほぼ真っ暗な海底を水中スクーターで5分ほど移動して、予測どおりの場所で船首を見つけている。
二つの船体は約140メートル離れ、それぞれおよそ34メートル×6メートル。船尾は砂と礫の上に、船首は大きな岩がつくる棚の上に載っていた。
特定の根拠は積み重ねで示されている。甲板上の18インチ魚雷発射管2基の配置、ホチキス6ポンド砲とその弾薬、12ポンド砲の砲架と薬莢、3ドラム式ノルマン式ボイラー4基、タイガーが建造された時期に作られた型のデント社製液体コンパス4個。船体には鐘も残っていて、海生生物の付着の下から「HMS」の文字が見えている。そして船体の切断位置が、2番煙突と3番煙突のあいだで切られたという当時の証言と合っていた。チームはPythonとQGISを使ってソナーデータから直接寸法を測る手法も組み、タイガーの仕様と食い違う寸法や構造は一つも見つからなかったと報告している。
舵はほぼ直進、機関は全速
そして、118年ぶりに人の目に触れた計器が二つあった。
一つは舵の角度を示す計器(舵角指示器)である。目盛りには「PORT(左)」「STARBOARD(右)」と刻まれていて、針は右へおよそ5〜10度のところで止まっていた。舵をほとんど切っていない位置である。
もう一つは、機関室に速力を伝える船尾の指示器(機関回転数通信機)だった。こちらの針は「全速」を指したままだった。
ProjectXploreの報告書は、この二つから、タイガーが衝突の直前にバーウィックを避けるための転舵をしておらず、減速もしていなかったと読んでいる。海面上では、バーウィックの艦長が取り舵を命じ、乗員が衝突を予期していた。その同じ数十秒のあいだ、タイガーの艦橋からは、避けようとした指示が一つも出ていなかったことになる。

分かったことと、分からないままのこと
この二つの針が示すのは「何をしなかったか」であって、「なぜしなかったか」ではない。照明弾で艦橋の目が利かなかったのか、艦隊の位置関係を読み違えていたのか、それとも別の理由があったのか。海底の証拠はそこまでは答えていない。軍法会議が結論を出せなかった問いは、いまも開いたままである。
チームは船体を撮影し、寸法を測り、3Dの記録を作ったが、何も持ち帰らなかった。置いてきたものが一つだけあって、船の舵柄(かじづか)に供えられたポピーの花輪である。沈没船の正確な座標も、保護のために公開されていない。
発見の時期も、イギリスの法改正の動きと重なった。軍艦の残骸は1986年制定の軍事遺物保護法で守られるが、いまの制度では船ごとに個別に指定する必要があり、見つかってから指定されるまでのあいだは無防備になる。現在議会で審議中の国防軍法案には、軍務中に沈んだイギリス船を発見の時点から自動的に「保護区域」として扱う改正案が含まれている。潜って見ることはこれまでどおりできるが、許可なく遺物を持ち出すことは違法になる。ProjectXploreはこの改正案を歓迎する立場を表明している。
留意点
発見を発表したのは民間の潜水調査グループであり、その内容をイギリス海軍が公式に伝えたという形になっている。学術機関による発掘調査や査読を経た報告ではない。
計器の針の位置から読める範囲は「回避の操作をしていなかった」という事実にとどまり、事故の原因が特定されたわけではない。原因不明という1908年の結論は、現時点でも変わっていない。
数値には報道間で幅がある。バーウィックの排水量は9800トンとする資料と1万トンとする資料があり、水深も62メートルと約200フィートという二つの言い方が混在している。探索期間も「4年近く」と「5年」の両方が出てくる。この記事では潜水チーム側の詳細な記述に沿って書いた。
タイガーの船体は現在も35人の墓所である。潜水の対象としてではなく、その点を前提に扱われている場所である。
出典
スミソニアン・マガジン(2026年8月21日、Ellen Wexler):Shipwreck Hunters Discover the Ruins of a British Destroyer That Split in Half During a Tragic Peacetime Accident 118 Years Ago
イギリス海軍の発表(2026年8月10日):Wreck of tragic Tiger found in Channel after 118 years as Government strengthens historic shipwreck protection
調査と特定の詳細について(DIVE Magazine、2026年8月18日):Royal Navy destroyer HMS Tiger found 118 years after fatal collision
ProjectXploreの調査報告(PDF):The discovery of HMS Tiger


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