熱いコーヒーをテーブルに置くと、熱はまわりへまんべんなく逃げていく。どちらか一方だけに流れたりはしない——それが日常の実感で、物理の教科書でも熱は「高いところから低いところへ、あらゆる方向に広がるもの」として扱われてきた。
ところが、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の研究チームが、この常識から外れる現象を室温で捉えた。特別な半導体の結晶の中で、熱が均等ににじむのではなく、光線のように決まった向きへ筋になって走っていたという。論文は2026年7月23日付で学術誌『Nature Physics』に掲載された。
光ならレンズで集められる。音ならメガホンで向きを揃えられる。では熱は?——この問いに「材料しだいで、できる」と答えた研究だ。
熱を運ぶ原子の振動
まず、固体の中を熱がどう伝わるのかを押さえておきたい。
石でもガラスでも半導体でも、中身は原子がびっしり規則正しく並んだ格子だ。片側を温めると、そこの原子が激しく揺れはじめ、その揺れが隣の原子へ、また隣へと波のように伝わっていく。この「原子の振動のかたまり」が熱の運び手で、物理学ではフォノンと呼ばれる。粒そのものではないが、エネルギーを決まった単位で運ぶので、粒のように数えて扱える。
そしてフォノンには、意外な性質がある。結晶の中では原子の並びに向きがあるため、フォノンにも進みやすい方向と進みにくい方向ができる。その結果、一点から出た熱が円くにじむのではなく、決まった方向へ何本かの筋になって集中して伝わることがある。これを「フォノン集束(フォノン・フォーカシング)」という。上から見ると、熱の模様が星の光条のような放射状の筋に見えるのが特徴だ。

極低温という60年来の制約
フォノン集束そのものは、新発見ではない。最初に観測されたのは1969年で、半世紀以上前から知られていた現象だ。ただし、見るための条件がとんでもなく厳しかった。絶対零度に近い、マイナス270℃前後の極低温でしか観測できなかったのである。
理由ははっきりしている。温度が上がるほど、結晶の中を飛び交うフォノンの数が増え、フォノンどうしが頻繁にぶつかるようになる。ぶつかるたびに向きが乱れるので、せっかくの筋はあっという間にほどけて、ただの「均等なにじみ」に戻ってしまう。私たちが普段目にする熱の広がり方は、いわばフォノンが衝突しすぎて個性を失った姿だ。
だから室温のフォノン集束は、長らく「原理的にはありえても、実際には見えないもの」とされてきた。極低温でしか成立しない現象なら、研究はできても応用には遠い。実験室の冷凍機の中だけの物理、というのがこの60年の相場だった。
前提を崩したヒ化ホウ素
UCLAのチームがこの前提を崩した鍵は、材料の選択にあった。使ったのはヒ化ホウ素(BAs)——ホウ素とヒ素からなる半導体の結晶で、熱をきわめてよく通す物質として2018年に注目を集めた材料だ。実はその高熱伝導を実験で最初に確かめたのも、今回の研究を率いたYongjie Hu氏の研究室である。
ヒ化ホウ素が特別なのは、結晶の中でフォノンどうしの衝突が極端に少ないことだ。筋がほどける原因が衝突なのだから、衝突の少ない材料なら、温度が高くても筋が生き残るかもしれない——理屈はそうなる。問題は、それを確かめる手段だった。室温で起きる熱の模様は、ナノメートル(100万分の1ミリ)の尺度でしか現れない。ふつうの温度計で測れる話ではない。
そこでチームは、先端がナノスケールまで尖った金の探針を、熱源と温度センサーの両方として使う測定法を編み出した。探針で結晶の一点を温め、そのまわりの温度分布を一点ずつなぞって、熱の広がり方を地図にしていく。レーザーと探針を組み合わせたラマン分光という手法の応用で、髪の毛の太さの何百分の1という細かさで温度の模様を描き出せる。

結果は明快だった。ふつうの材料では、予想どおり熱は円く均等に広がった。ところがヒ化ホウ素では、およそ300ケルビン——つまり27℃前後の室温で、熱がくっきりとした放射状の筋になって走っていた。筋は250ナノメートル、髪の毛の太さのおよそ300分の1の距離を、崩れずに伸びていた。日常の感覚ではごく小さいが、この種の実験では十分に長い距離で、フォノン集束が本当に起きている確かな証拠になった。絶対零度近くの専売特許だったはずの現象が、私たちが暮らす温度で見えたのだ。
結晶の向きで変わる熱の模様
もうひとつ面白いのは、この筋の模様が偶然の産物ではなく、結晶の向きで決まっていたことだ。
チームが結晶の切り出す面を変えて測ってみると、熱の筋は6本の対称パターンになったり、8本や4本になったりと、面の向きに応じて規則的に変化した。しかもその模様は、理論計算の予測と一致した。つまり、どの向きに切った結晶ならどんな模様で熱が走るかを、あらかじめ設計図のように予測できるということだ。
Hu氏は「熱をナノスケールの精度で導き、集束させ、再配分できるようになることで、この発見は量子熱工学の基礎を築くものだ」と述べている。光ファイバーが光を決まった経路に閉じ込めて運ぶように、熱を決まった道筋で運ぶ——そんな発想が、少なくとも原理の上では室温で成立すると示されたことになる。
排熱に悩む電子機器への含み
この話が注目される背景には、現代の電子機器が抱える切実な事情がある。パソコンでもスマートフォンでもAI用のチップでも、性能の頭を押さえている大きな要因は熱だ。処理を速くするほど発熱は増え、熱がこもれば性能を落として身を守るしかない。量子コンピュータにいたっては、熱によるノイズそのものが計算の敵になる。
いまの排熱設計は、広がってしまった熱をあとから逃がす発想でできている。もし熱が発生した瞬間に、決まった経路へ導いて捨てられるなら、冷却の考え方は根本から変わりうる。今回の研究は、その入口にあたる「室温でも熱は導けるらしい」という事実を、初めて実験で見せたものだ。
解釈上の留意点
ただし、割り引いて読むべき点もはっきりしている。
まず、観測されたのは250ナノメートルという、あくまでナノスケールの現象だ。手のひらサイズの装置で熱を自在に曲げられるようになった、という話ではまったくない。「熱を操る技術が完成した」のではなく、「操れる可能性の土台になる現象が、室温で確認された」段階である。Hu氏の「量子熱工学の基礎」という言葉も、確立した成果ではなく今後への期待の表明として読むのが正確だ。
また、この現象はどんな材料でも起きるわけではない。フォノンの衝突が例外的に少ないヒ化ホウ素だからこそ見えたもので、この材料は大きな結晶を作ること自体がまだ難しい。名前のとおりヒ素を含む化合物でもあり、扱いには相応の管理が要る。身のまわりの製品に組み込まれるとしても、そこまでの道のりは長い。
それでも、「極低温でしか起きない」と60年間信じられてきた現象の温度の壁が、材料の選び方ひとつで破れた意味は小さくない。熱は集められる——その一点が室温で確かめられたことが、この研究の核心だ。この先、どこまでの距離で、どんな材料で同じことができるのか。検証はこれから続いていく。
出典
Man Li氏らによる論文「Phonon focusing at room temperature」は、2026年7月23日付で『Nature Physics』に掲載されています(DOI: 10.1038/s41567-026-03335-y)。研究の概要はUCLA工学部のプレスリリースと、ScienceAlertの記事(2026年8月24日、David Nield氏)で読めます。


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