ケタミンという薬があります。もともとは手術で使う麻酔薬で、痛み止めとしても、うつ病の治療薬としても使われている、少し変わった立ち位置の薬です。この薬がどうやって効いているのかについて、半世紀ちかく決着していなかった議論がありました。それに構造の証拠で答えを出した論文が、ワシントン大学医学部のタオ・チェ氏らのチームから出ています。分子生物学の専門誌 Nature Structural & Molecular Biology に、2026年6月に掲載されました。
結論から言うと、ケタミンの効き方の説明が、書き換えられたのではなく書き足されました。長く教科書に載っていた説明は間違っていない。ただ、それだけでは足りなかった、という話です。
ケタミンの説明に残っていた空白
ケタミンが効く仕組みは、ずっとNMDA受容体という場所で説明されてきました。受容体というのは、細胞の表面にある鍵穴のようなものです。特定の分子がそこにはまると、細胞の中でスイッチが入る。NMDA受容体は、脳の神経が興奮するときに使う鍵穴で、ケタミンはそこに詰め物をして働きを止めます。麻酔も、痛み止めも、うつ病への効果も、これで説明されてきました。
ところが、この説明にはずっと穴がありました。NMDA受容体を塞ぐ薬はケタミン以外にもあるのに、それらがケタミンと同じように効くわけではないのです。たとえばMK-801という、NMDA受容体だけをもっと正確に狙い撃ちできる薬があります。理屈のうえではケタミンより強く効いてよさそうなのに、抗うつ効果を示さず、痛みも直接には抑えません。
同じ鍵穴を塞いでいるはずの薬が、まるで違う顔をする。ケタミンは、NMDA受容体以外のどこかにも触れているのではないか——そう考えるだけの理由が、最初からあったわけです。
決定打を欠いたまま続いた議論
候補として真っ先に挙がっていたのが、オピオイド受容体でした。モルヒネやフェンタニルが結合する、あの鍵穴です。μ(ミュー)、κ(カッパ)、δ(デルタ)の三種類があり、痛みの抑制にも、依存の形成にも関わっています。
疑いは古くからありました。1978年には、ケタミンの親にあたるPCP(フェンシクリジン)という薬とその仲間が、オピオイド受容体に結合しうるという報告が出ています。1984年には、オピオイド受容体を塞ぐナロキソンという薬を先に投与すると、ケタミンの麻酔効果が邪魔されるという報告も出ました。ナロキソンは、オピオイドの過剰摂取を救命するときに使われる薬です。
それでも決着しませんでした。逆の結果を出す実験もあり、四十年以上、賛成と反対が並んだまま来てしまった。分子を撮影する技術が進んでも、いちばん見たいものが撮れていなかったからです。つまり、ケタミンがオピオイド受容体の主要な結合ポケット、モルヒネが収まるまさにその窪みに、実際に入り込んでいる姿です。
モルヒネと同じ窪みに収まっていたケタミン
チェ氏らがやったのは、まさにそこを撮ることでした。使ったのはクライオ電子顕微鏡という装置です。試料を一瞬で凍らせ、電子線を当てて分子の形を写し取る技術で、タンパク質のかたちを原子のレベルで見られます。
撮れた構造は六つ。μ受容体とケタミン、κ受容体とケタミン、それぞれにPCPを組み合わせたもの、さらに何も結合していない状態のκ受容体まで押さえました。何も入っていない状態を撮ったのは、比較のための「空っぽの写真」として重要です。そこに何も写らないと確認できてはじめて、薬が入った写真に写っているものが本物だと言えます。

上の図のような二方向の働きが、実際に確かめられたわけです。ケタミンは、μ受容体とκ受容体の主要な結合ポケットに、そのまま収まっていました。壁の外側からこっそり影響を与えていたのではなく、モルヒネやフェンタニルが座るのと同じ席に、正面から座っていた。培養細胞を使った実験では、δ受容体も含めた三種類すべてに結合し、しかもすべてで部分作動薬として働いていました。部分作動薬というのは、スイッチを全部まで入れず、途中までしか押さない薬のことです。
鎮痛の効果を消した二つの拮抗薬
ただ、分子がはまっているからといって、生き物のなかで意味のある働きをしているとはかぎりません。そこでチームはマウスで確かめました。
方法は単純です。麻酔にならない程度の量のケタミンをマウスに投与し、しっぽを温かい水につけて、引っこめるまでの時間を測る。痛みが鈍っていれば、引っこめるのが遅くなります。実際、ケタミンを打ったマウスは、はっきり遅くなりました。
ここからが本題です。あらかじめオピオイド受容体を塞いでおいてから、同じことをする。使ったのは、受容体を広く塞ぐナロキソンと、κ受容体だけを狙って塞ぐアティカプラントの二つでした。すると、どちらの場合も、マウスはケタミンを打たれていないときと同じ速さでしっぽを引っこめました。効果が消えたのです。
つまり、ケタミンの痛み止めとしての働きには、オピオイド受容体が関わっている。写真で「座っている」ことを見せ、実験で「どかすと効かなくなる」ことを見せた。この二段構えで、四十年の議論に構造の裏づけがつきました。論文に添えられた解説で、バルセロナ大学のジョルディ・ボナベンチュラ氏と米国立薬物乱用研究所のマイケル・ミカエリデス氏は、ケタミンの効き方を二つの機能が組み合わさったものとして捉えるべきだ、と書いています。
結合の強さと、実際に届く濃度
ここで大事なのは、この発見が「ケタミンはオピオイドだった」という話ではないことです。論文はそこから慎重に距離を取っています。
鍵になるのは結合の強さです。ケタミンがオピオイド受容体にくっつく力は、NMDA受容体にくっつく力より十倍から百倍弱い。ラットの脳の膜を使った測定では、NMDA受容体への結合力がμ受容体の約21倍でした。ケタミンにとってオピオイド受容体は、寄りやすい場所ではなく、濃度が上がってはじめて手が届く場所なのです。
その濃度の話が、そのまま実際の使われ方につながります。うつ病の治療で使われる量、たとえば体重1キロあたり0.5ミリグラムを40分かけて点滴する場合、血液中の濃度は最大でも1マイクロモルに届きません。一方、ケタミンがオピオイド受容体に結合しはじめる濃度はおよそ10マイクロモル。十倍以上の開きがあります。麻酔として使うときは血中濃度が9マイクロモル前後まで上がり、一気に静脈注射した直後には38から108マイクロモルに達することもある。論文は、オピオイド受容体が関与するのは麻酔時や大量に摂取したときのような高い濃度の場面だろう、と書いています。
そして今回の実験が示したのは、あくまで痛みへの効果についてです。うつ病への効果にオピオイド受容体が関わっているかどうかは、この研究では調べていません。過去の研究には関与を示唆するものも、関与しないことを示唆するものも両方あり、そこは今も議論の途中です。
解釈上の留意点
動物を使った実験と、培養細胞にヒトの受容体を作らせた実験の組み合わせであって、人での臨床試験ではありません。撮影された構造そのものはヒトの受容体ですが、しっぽの実験はマウスです。
それから、ケタミンが結合する力は弱く、しかも一つの決まった姿勢ではなく複数の姿勢を取りうることも、この研究で示されています。小さな分子が、ゆるく、ふらつきながらはまっている。だから撮影も難しかった。この曖昧さがどう効いているのかは、まだ分かっていません。
研究チームが最後に投げかけているのは、こういう問いです。NMDA受容体とオピオイド受容体、それぞれの働かせ方のバランスをうまく調整できれば、ケタミンの治療上の利点だけを残して、乱用されやすい性質のほうを切り離せるのではないか。今回明らかになった構造は、その設計図の手がかりになるかもしれない。ただしこれは見通しであって、成果ではありません。
薬が効いている、という事実と、なぜ効くのかという説明は、別のものです。ケタミンは六十年ちかく使われてきて、多くの人を助けてきた。その間ずっと、説明のほうは半分だけだったことになります。今回埋まったのはその片方で、もう片方——うつ病への効果がどこから来るのか——は、まだ空欄のままです。
出典
関連する解説:Jordi Bonaventura、Michael Michaelides によるコメンタリー(同誌)
紹介記事:‘Unambiguous’: Ketamine Is an Opioid, New Molecular Evidence Shows(ScienceAlert)


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