川が干上がると現れる石、その刻みは実測と4cm以内で一致していた

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中央ヨーロッパの川が、この夏、記録的な低水位になっています。水が引いた川底から、石が出てきました。

ドイツのピルナ、オーバーポスタ地区。ドレスデンの南東およそ24kmの、エルベ川の岸です。この石には過去の渇水の年がいくつも刻まれていて、いちばん古い刻みは1707年。ドイツ国内でも最大級で、最もよく知られたものの一つとされています。ライン川では、ケルンの北にあるレバークーゼン付近でも似た石が現れました。こちらには1959年の刻みがあります。チェコ側でも、ドイツ国境に近いドルニー・ジュレプで石が姿を見せました。

こうした石を、ドイツ語でHungerstein、日本語では飢餓の石と呼びます。川が干上がるほどの渇水になると、ふだん水面下にある岩が現れる。そこにその年を刻む。この習わしが16世紀から20世紀まで、エルベ川とライン川の流域で続きました。

そして、いちばん有名な一文が、チェコのデチーンにある石にあります。ドイツ語で「Wenn du mich siehst, dann weine」——私が見えたら、泣け。

有名な一文の出どころ

この一文を彫らせたのは、デチーンで船頭をしながら宿屋も営んでいた、フランツ・マイヤー(Franz Mayer)という人物です。年は1904年。エルベ川が極端に減水した年でした。

マイヤーは船を造る家の出で、川の水位はそのまま一家の暮らしに直結していました。船が動かなければ、船を曳く人も、船で働く人も、その日の稼ぎがなくなる。飢餓の石という呼び名は、そういう日雇いの人たちが渇水のたびに仕事を失ったことに由来します。

そのマイヤーが何をしたか。石の脇にビールの栓を据えて、見物に来た人から料金を取ったのです。当時の地元紙は、来る日も来る日も人が岩の上に群がっていること、そして踏まれ続けることで砂岩の刻みが読めなくなりそうだ、と書いています。上流のテフロヴィツェでは、別の宿屋の主人が同じことをやりました。

1904年の渇水は、この石を有名にすると同時に、危うく消しかけてもいます。航行の妨げになる岩を川から取り除く工事が計画され、この石も対象になりかけました。デチーン(当時のドイツ語名テッチェン)の船頭組合が当局に嘆願し、工事の経路を石の周りに回すことで残されています。1911年にふたたび強い渇水が来たとき、マイヤーの一文は、今度はより深く彫り直されました。

つまり、いちばん有名な警告文は、渇水に苦しむ人の叫びであると同時に、客寄せでもあったわけです。こうした事情もあって、飢餓の石は長いあいだ、渇水の年を記念した素朴な言い伝えの類いと見られてきました。水管理の専門家も歴史家も、刻まれた年号は干ばつの象徴で、その位置はだいたいの見当で決められたのだろう、と考えていました。

記念碑ではなく測定記録という結論

2020年、チェコ水文気象研究所のリボル・エレデル(Libor Elleder)らのグループが、この見方をひっくり返す論文をClimate of the Past誌に発表しました。

きっかけは、2014年から2019年にかけて続いた渇水です。ふだんは水面下にあるデチーンの石が、長く露出した。研究チームはこの機会に、石の周りに積もった土砂を人力で取り除き——2015年の測量では堆積が70cmほどあり、数人がかりで3時間以上かかっています——刻み一つひとつの高さを、近くの測量基準点に結びつけて測りました。2018年には石全体を3Dスキャンし、現場では見落としていた刻みも拾い出しています。

測った高さを、実際の水位記録と突き合わせる。デチーンの水位観測は1851年に始まっています。それより前についても、マクデブルク(1727年〜)、ドレスデン(1801年〜)、プラハ(1825年〜)の古い日々の水位記録が研究所の書庫や当時の新聞に残っていて、それを掘り起こして使いました。

結果はこうです。1868年以降で照合できた11の年最低水位のうち、8つは実測との差が4cm以内。残りも、最大で9cmほどのずれに収まっていました。

つまり刻んだ人たちは、渇水を記念していたのではありませんでした。その年の最低水位を、測って記録していたのです。論文は、刻みを作った人の目的は追悼や記念の碑文を残すことではなく、正確な最低水位を登録することだったと結論しています。

最低水位を見きわめる作法

考えてみると、最低水位に印をつけるのは、洪水の到達点に印をつけるより厄介な仕事です。洪水なら、水が引いたあとにいちばん高い痕跡が残ります。渇水にはそれがない。いま見ている水面が今年いちばん低いのかどうかは、その場では分からないからです。

論文が復元した手順はこうです。彫る場所をあらかじめ小さな囲いで仕切っておく。そして水が下げ止まり、上がり始めたのを確かめてから彫る。実際、デチーンの刻みの多くは、その年の最低水位を記録した日の1日から15日前に彫られたと推定されています。最低の瞬間に彫るのではなく、最低を過ぎたと分かってから、その高さに戻って彫っていたことになります。

石の上から身を乗り出して彫った刻みは、年号が逆さになっていて、水位を示す線が年号の下ではなく上に来ています。1536年、1707年、1892年、1893年、1904年、1911年、1934年の刻みがそうです。彫る場所が足りなくなると、面を変えました。デチーンの石では、川岸を向いた面に16世紀から19世紀の刻みが並び、水位がさらに下がった20世紀には下流側の面へ移り、それも埋まると左の角へ回っています。

刻んだ人の頭文字も残っています。1616年はF.L.、1707年はM.L.R.、1746年はH.M.L.。同じ家系の人物ではないか、と論文は書いています。1904年以降の刻みの多くは、あのマイヤーの手によるものです。

気候の証拠としての限界

これだけ正確な記録が並んでいるなら、そのまま気候の物差しになりそうに見えます。実際、刻みの高さを時代順に並べると、18世紀末以降、最低水位がゆるやかに下がっていく傾向が現れます。19世紀の地理学者や水利技術者も同じ傾向を指摘していて、原因を中央ヨーロッパの森林伐採に求める議論がありました。

ただ、この下がり方をそのまま気候の話にはできません。エルベ川の川底そのものが、人の手で作り変えられてきたからです。1873年ごろの改修で河床が20〜30cm掘り下げられ、1896年から1938年にかけての運河化では航行水深を50cm増やす工事が行われました。逆に1957年のスラピー、1963年のオルリークというダムが動き出してからは、渇水期の流量が底上げされています。1904年や1947年の渇水で毎秒35〜41立方メートルまで落ちた流量は、いまでは毎秒65〜75立方メートルほど。同じ「最低水位」でも、比べている土台が時代ごとに違うのです。

今年の渇水と気候変動の関係についても、同じ慎重さが要ります。ヨーロッパのいくつもの川が記録的な低水位になっているのは事実です。一方で、飢餓の石という物そのものが、16世紀にも18世紀にも川が干上がっていた証拠でもあります。石が現れたこと自体は、いまの渇水が過去に例のないものだと示すわけではありません。渇水の頻度や強さが変わってきているかどうかは、石とは別のデータで確かめる話になります。

刻みの信頼性にも幅があります。1417年の刻みがあるとする古い絵葉書や地元資料について、論文は、読み違いか、あるいは完全な作り物ではないかと疑問を投げかけています。ドレスデン近郊ピルニッツの1778年の刻みも、水位ではなく城の修築の年を示したものではないかと見られています。1745年を1746年と取り違えて紹介した絵葉書もありました。どの刻みがいつのもので、何を意味するのか。その検証は、まだ途中です。

なお、今年の渇水ではナチス時代の軍艦や、マンモスとみられる骨、100年前の蒸気船も姿を現していますが、これらは飢餓の石とは別の川の話です。軍艦はセルビアとルーマニアの間のドナウ川、骨はブルガリアのドナウ川沿い、蒸気船はセルビアのサバ川で見つかっています。

日本の災害伝承碑との重なり

日本にも、災害の到達点を石に刻んで次の世代に渡す営みがあります。

よく知られているのが、岩手県宮古市重茂の姉吉(あねよし)地区に建つ大津浪記念碑です。この集落は1896年の明治三陸津波で生存者が2人、1933年の昭和三陸津波では生存者が4人という被害を受けました。生き残った人たちは海から離れた高台に集落を建て直し、津波が届いた場所に碑を立てています。刻まれているのは、「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪 此処より下に家を建てるな」。

2011年の東日本大震災で、姉吉地区の津波は岩手県の資料で遡上高38.9mを記録しました。津波は碑の手前で止まり、高台の集落に建物の被害はありませんでした。

国土地理院は2019年から、こうした石碑を「自然災害伝承碑」として地図に載せる取り組みを続けています。地理院地図で公開されている数は、2024年6月の時点で全国620市区町村・2,137基。その後も追加が続いています。ただしこれは各市区町村からの申請にもとづく数なので、地図に載っていない地域に碑がないという意味ではありません。

エルベ川の飢餓の石と、三陸の津波碑。刻んだ人の目的は違います。片方は水が引いた高さの記録で、もう片方は水が届いた高さの警告です。それでも、どちらも「この高さを覚えておけ」という同じ形をしている。そして両方とも、刻んだ本人が思っていたよりずっと長く、思ってもみなかった読まれ方をしています。1904年に宿屋の主人がビールを売るために彫らせた一文は、122年後のいま、気候の話の入り口として読まれているのですから。

出典

今回の報道:‘Hunger Stones’ Resurface in Europe, Bringing Centuries-Old Warnings Back Into View as Rivers Hit Historic Lows(Smithsonian Magazine・2026年8月26日、Christian Thorsberg)

今年の各地の状況:Historic drought: rivers reveal hunger stones, warships and mammoth remains(Euronews・2026年8月10日)

元論文(オープンアクセス):Elleder, L., Kašpárek, L., Šírová, J., and Kabelka, T.: Low water stage marks on hunger stones: verification for the Elbe from 1616 to 2015, Climate of the Past, 16, 1821–1846, 2020(doi:10.5194/cp-16-1821-2020)

マイヤーと1904年の経緯:Hunger stones: The history behind ‘If you see me, weep’(Deutsche Welle)‘If you see me, weep’: Hunger stones auguring drought in Europe(Al Jazeera・2022年11月29日)

姉吉の大津浪記念碑:特集 災害の記憶を伝える「自然災害伝承碑」(内閣府 防災情報のページ)

自然災害伝承碑:自然災害伝承碑(国土地理院)

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