2026年8月22日と23日、青森県弘前市の弘前公園で、ちょっと見慣れない光景がありました。重さ約400トンある弘前城の天守に綱をかけ、抽選で選ばれた市民たちが「そーれ」のかけ声に合わせて引っ張っていくのです。引かれているのは遊具でも実物大模型でもなく、江戸時代から建ち続けている本物の天守、それも国の重要文化財です。
これは「曳戻し(ひきもどし)」と呼ばれる工事の一部です。石垣を修理するために移動していた天守を、11年ぶりに元の場所へ戻す作業が今年始まり、その一部を人の手で引く体験会が開かれました。このニュースは米スミソニアン・マガジンなど海外メディアでも取り上げられ、日本の外からも注目を集めています。

東北に残る唯一の現存天守
弘前城は、津軽地方を治めた津軽氏の居城として1611年(慶長16年)に完成しました。築城当初は五層、つまり5階建ての天守が本丸の南西隅に建っていましたが、1627年(寛永4年)の落雷で焼失したと伝わっています。いま建っている三層の天守は、それから約180年後の1810年(文化7年)、9代藩主の津軽寧親(つがる やすちか)が「櫓(やぐら)を造る」という名目で再建したものです。江戸幕府は新しい天守の建造を認めていなかったため、あくまで櫓として建てた、というわけです。
江戸時代以前に建てられた天守がそのまま残っているお城は「現存天守」と呼ばれ、全国に12しかありません。姫路城や松本城など5つが国宝、弘前城を含む7つが重要文化財です。明治の廃城令や戦災で天守の多くは失われたので、12という数字はかなり貴重です。そして東北地方に限れば、現存天守は弘前城ただひとつ。それが今、丸ごと動いています。
石垣修理と「曳屋」という方法
事の発端は石垣です。天守が載る本丸東側の石垣には以前から膨らみが確認されていて、このまま放置すれば崩落するおそれがありました。石垣を根本から直すには、いったん解体して積み直すしかありません。ただ、そのためには上に載っている約400トンの天守が邪魔になります。
そこで使われたのが「曳屋(ひきや)」です。建物を解体せず、ジャッキで持ち上げてレールや台車の上をゆっくり滑らせ、建物ごと移動させる工事のこと。日本では神社仏閣や古民家の移設で古くから使われてきた技法で、弘前城では2015年の7月から9月にかけて、約3か月がかりで天守を約70メートル、本丸の内側へと移動させました。以来、天守は仮の天守台の上で石垣工事の完了を待ち続けていたのです。

石垣の積み直しが進み、2026年、ようやく戻る番が来ました。今年6月に工事が始まり、天守は3回に分けて約78メートルを移動して、11月中に元の天守台の上へ「着座」する予定です。移動の大半は油圧ジャッキなどの機械が担いますが、そのうち約5メートルぶんだけは人の手で引く計画が立てられました。8月の体験会は、その「人力パート」だったわけです。
111年前の曳屋と大工棟梁
ここで意外な事実がひとつあります。弘前城の天守が曳屋で動くのは、実は今回が初めてではありません。
明治29年(1896年)、天守台の北側で石垣が崩落しました。そのまま放っておけば天守ごと崩れ落ちるおそれがある。そこで翌年、弘前出身の大工棟梁・堀江佐吉(ほりえ さきち)が天守を西側へ曳屋し、石垣を修理しています。この修理がすべて終わったのは大正4年(1915年)のことでした。
2026年から数えて、ちょうど111年前です。弘前市が今回の曳戻しを「111年ぶり」と呼んでいるのは、この前例があるからでした。油圧ジャッキもモーターもない時代に、明治の職人たちは人力と道具だけで同じことをやってのけていた。今回の曳戻しは最新の機械を使ってはいますが、「石垣が傷んだら、天守をどかして直し、また戻す」というやり方そのものは、111年前の繰り返しなのです。壊して建て直すのではなく、動かして、直して、戻す。この選択を明治の弘前もしていた、というのが今回の話のいちばん味わい深いところだと思います。
海外メディアの注目点
スミソニアン・マガジンの記事は、AFPやガーディアン、共同通信の報道をもとにこの曳戻しを伝えています。海外の視点で読むと、驚かれているポイントがはっきりしていて面白いところです。まず、現存天守が12しかないという希少さ。次に、巨大な文化財を壊さずに動かす曳屋という技法。そして、一般市民が綱を引いて本物の城を動かすという参加のかたちです。
実際、この体験会の人気はかなりのものでした。一般参加枠は当初1,200人の予定でしたが、8,374人もの応募が集まり、市は枠を1,800人に増やして対応しています。それでも多くの人が抽選に外れました。綱は4本で、1本につき20人、計80人がひと組になって引きます。23日には約1,000人が14回に分かれて参加し、この日動いた距離は合わせて1メートル9センチ。人力全体では、一般参加者やふるさと納税の寄付者が約4メートル、市内の小中学生937人が約1メートルを受け持ち、計約5メートルを動かす計画です。
もうひとつ、海外の目に新鮮に映っているのが時間のかけ方です。天守が動いたのが2015年、石垣の積み直し工事が始まったのが2016年、そして曳戻しのあとには屋根や壁の補修工事が控えていて、天守の中に入れるようになるのは2033年度の見込み。移動開始から公開まで、およそ18年がかりの計画です。誰も急いでいないように見えるこのスケジュールこそ、文化財を確実に次の世代へ渡すための時間なのですが、外から見ると「城ひとつにここまで」と映るようです。
着座までの日程と公開の見通し
体験会に先立つ8月21日にはオープニングセレモニーが開かれ、津軽家15代当主の津軽晋さんらが出席し、関係者による「曳初め」で天守を10センチほど動かしました。天守はこのあとも移動を続け、11月中に元の天守台へ着座する予定です。
着座すれば終わり、ではありません。移動と長い仮住まいを経た天守には屋根や壁の補修が必要で、一般公開は2033年度が見込まれています。この日程は工事の進み具合で変わる可能性もあります。本丸の石垣の上に建つ本来の姿を、桜越しに眺められる日は少し先ですが、天守がレールの上を進む今の光景は、次に見られるとしたら何十年も先かもしれません。ある意味でいちばん珍しい弘前城が見られるのは、今なのかもしれません。
出典
弘前市「弘前城天守曳戻し」:弘前城天守曳戻し(弘前市公式サイト)
弘前市「弘前城と石垣修理の歴史」:弘前城と石垣修理の歴史(弘前市公式サイト)
共同通信配信記事(2026年8月23日):弘前城天守、「曳戻し」を体験 重さ400トン、1000人参加(岩手日報)
Web東奥(2026年7月16日):天守曳戻し体験、倍率7倍 定員増やし対応(東奥日報)


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