壺に詰まった銀貨2,600枚——600年前、持ち主はなぜ取りに戻らなかったのか

スポンサーリンク

モスクワの南東およそ114キロにコロムナという街があります。いまは古い城壁と教会が残る観光地ですが、14〜15世紀にはモスクワ大公国のなかでモスクワに次ぐ位置にあった街です。その歴史地区で今年の夏、工事に先立つ発掘調査の最中に、土の中から一つの壺が出てきました。中に詰まっていたのは、2,600枚を超える銀貨です。

調べているのはロシア科学アカデミー考古学研究所で、2026年8月26日に現地で報道向けの公開が行われました。研究所の説明によると、15世紀前半のロシアの貨幣がこれだけまとまって、しかも一枚も欠けずに見つかったのは、研究者が手にできる範囲では最大級だそうです。

壺の中身と持ち主の懐具合

壺は小ぶりの陶器で、表面に白い化粧土で模様が描かれた、わりと洒落たものです。クレムリン(城塞)の近く、城壁の外側に広がっていた町人地の一角に、浅く掘った穴に入れて埋められていました。

中の銀貨は、ほとんどがデンガと呼ばれるものです。14世紀末からモスクワ大公国で作られ始めた小さな銀貨で、形は丸くそろっておらず、細長かったり歪んでいたりします。銀の針金を切って叩いて作るからで、ロシアでは見た目から「うろこ銭」という愛称で呼ばれています。

年代を見ると、大半がヴァシーリー1世(在位1389〜1425年)と、その息子ヴァシーリー2世(在位1425〜1462年)の時代に打たれたものでした。2人ともモスクワ大公です。当時のロシアは大公のほかに小さな公国の君主がそれぞれ貨幣を作っていましたが、この壺にはそういう地方領主の貨幣がほとんど入っていません。コロムナが大公の直轄地だったことが、そのまま貨幣の顔ぶれに出ていると研究所は見ています。

では、2,600枚でどれくらいの金額だったのか。当時のモスクワでは銀貨200枚で1ルーブルと数えていたので、およそ13ルーブルになります。研究所の説明では、これはコロムナで家を2軒買えるか、馬なら1頭1ルーブルで小さな群れが買える額だそうです。持ち主は大公に仕える上級の役人か、何かの権限を持つ役職者か、あるいは商売で成功した人。少なくとも、当時の社会のかなり上のほうにいた人物と見られています。

コロムナ製の「鳥の銀貨」

研究者が特に注目しているのは、コロムナの街そのもので打たれた銀貨です。ヴァシーリー1世の治世の終わりごろに作られたもので、飛ぶ鳥の図柄が入っています。この鳥の銀貨は、ほかの地域で見つかる埋蔵貨幣にはめったに混じっていません。今回の壺からは、ロシアの大きな博物館の収蔵品にもないような珍しい個体がすでに何枚も出ています。

さらに、これまで知られていなかった種類のコロムナ銀貨が見つかっていて、その枚数は現時点で350枚を超えています。同じ図柄でも、打つのに使った型(刻印)が違えば細部がわずかに変わります。壺には何十組もの型で打たれた地元の銀貨が入っているので、型どうしのつながりをたどれば、コロムナでどの順番にどの銀貨が作られたかを、少なくとも15年分は組み立て直せるはずだと研究所は説明しています。鳥の銀貨の「最後の発行」がどれだったのかも、ここから絞り込めるとのことです。

貨幣は、鋳造の記録が残っていない時代の数少ない年代つきの物証です。まとまった数の未記載の個体が出たということは、この地域の15世紀前半の貨幣史が、今回の壺を土台に書き直されることになります。

最後の銀貨が指し示す年

ここまでの話でわかるのは、持ち主が裕福で、壺の中身は当時のコロムナの貨幣事情をそっくり写し取った標本だということです。ただ、この発見でいちばん考えさせられるのは、別のところにあります。この人は、なぜ取りに戻らなかったのか。

手がかりは、壺の中でいちばん新しい銀貨です。それはヴァシーリー2世の名で打たれたデンガで、鋳造されたのは1420年代の後半でした。それより新しい貨幣は一枚も入っていません。つまり壺が埋められたのは1420年代後半で、そのあと持ち主が中身を足すことはなかった、ということになります。

そして、ちょうどその時期にロシアの諸都市を疫病の波が襲っています。1425年から1427年にかけてのことで、記録にはペストとして残っている流行です。研究所の見立てはこうです。持ち主はこの時期に財産を土に隠し、流行のどこかの波で亡くなり、隠し場所を知る人がいないまま600年が過ぎた——。

これは推測です。持ち主の名前も、その人がどうなったかを示す直接の証拠も、壺からは出ていません。研究所の発表も「犠牲になった可能性がある」という言い方にとどめています。ただ、埋蔵貨幣が「取りに戻れなかった財産」だとすれば、最後の一枚の年代と疫病の年がぴたりと重なるのは、確かに偶然として片づけにくい一致です。

日本の「かめ」に入った銭との共通点

甕(かめ)に大量の貨幣を詰めて埋める、というのは日本の中世でもよくあったことで、こちらでは備蓄銭(びちくせん)と呼ばれています。有名なのは北海道函館市の志海苔(しのり)で1968年に道路工事中に見つかったもので、大甕3個に38万枚を超える中国渡来の銅銭がぎっしり詰まっていました。総重量は約1.6トン。甕の年代から、埋められたのは14世紀後半から末ごろと見られていて、コロムナの壺とほぼ同じ時代です。

志海苔の銭についても「誰が、何のために埋めたのか」は決着していません。交易で得た財産を蓄えておいた「備蓄説」と、神仏への奉納だとする「祭祀説」があり、函館市の説明でもどちらも定説にはなっていないとされています。コロムナの壺は財産の一時的な隠匿とみられていて、こちらは「なぜ戻らなかったか」が問いになる。埋める理由が違えば、問いの立て方も変わってきます。

残る不明点と今後

今回の発表は、発掘直後の速報で、査読を経た論文ではありません。350枚という数字も「現時点で」の値で、貨幣一枚一枚の分類はこれからです。銀貨と疫病の関係も、状況証拠の一致であって、立証されたわけではありません。

壺と銀貨は修復のあと、コロムナの博物館に収蔵される予定で、一般公開までは1年ほどかかる見込みだそうです。数字が確定し、型のつながりが整理されれば、15世紀前半のコロムナで貨幣がどう作られ、どう回っていたかが、いまよりずっと細かく見えてくるはずです。壺を埋めた人が誰だったのかは、たぶん最後まで分からないままでしょう。

出典

・ロシア科学アカデミー考古学研究所の発表(2026年8月26日)。全文の転載(ロシア語):
https://news.rambler.ru/tech/56965540-v-kolomne-nayden-krupneyshiy-klad-russkih-monet-20-h-goda-xv-veka/

・TASS(英語、2026年8月26日):
https://tass.com/society/2177989

・HeritageDaily(英語、2026年8月26日):
https://www.heritagedaily.com/2026/08/record-hoard-of-more-than-2600-medieval-silver-coins-found-in-russia/159069

・Live Science(英語、2026年8月29日):
https://www.livescience.com/archaeology/2-600-silver-coins-found-in-outskirts-of-moscow-may-have-been-buried-by-a-medieval-plague-victim

・函館市「史跡志苔館跡」(志海苔出土銭について):
https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2018032900043/

コメント

タイトルとURLをコピーしました