弁護士の代わりにAI——約175ポンドで電力会社に勝った博士課程学生の裁判

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イギリスで、オックスフォード大学の博士課程に在籍する学生が、大手電力会社SSEを相手に裁判を起こし、勝ちました。弁護士はつけていません。代わりに使ったのが、GPT-5.5やClaudeといった生成AIでした。かかったAI関連の費用は合計およそ175ポンド(日本円でざっと3万円台)。裁判所が認めた金額は1,087.88ポンド、ざっと20万円ほどです。

「AIで大企業に勝った」と聞くと痛快な話に見えますが、中身を追っていくと、もう少し複雑で、もう少し重い話が出てきます。順番に見ていきます。

存在しない「ユニット8b」への請求

発端は、本人にはどうしようもない過去の事情でした。学生のライル・ホプキンスさんが住む物件には、前の所有者が建物をアパートに改装しようとして失敗した名残で、使われていない電気メーターが残っていました。このメーターはすでに切断されていて、紐づいていた住所は「ユニット8b」。実際には存在しない部屋です。

ところがSSEは、この切断済みメーターに対して請求を始めます。しかも家庭用ではなく事業所向けの料金で、20か月あまりにわたって積み上がった請求額は合計1,091.01ポンド。ホプキンスさんは「そんな部屋はない」「自分に支払い義務はない」と繰り返し伝え、エネルギー・オンブズマン(電力・ガスのトラブルを仲裁する第三者機関)にも持ち込みました。2024年6月には、SSEの担当者自身が「あなたに支払い義務はありません」とメールで認めてさえいます。

それでも請求は止まりませんでした。SSEはこの「存在しない住所の、切断済みメーターの債権」を回収するため、債権回収業者を差し向けます。争いは全体でおよそ3年に及びました。

ここで普通なら弁護士に相談するところですが、ホプキンスさんはその選択肢を最初から外しています。理由は単純で、費用が高すぎるから。請求されている額は20万円ほどなのに、弁護士費用はそれを軽く超えかねません。大企業には自前の法務部門があり、個人にはない——この非対称が、理不尽な請求を「泣き寝入りするしかないもの」にしてしまう構図です。

約175ポンドで組んだ反論

ホプキンスさんが弁護士の代わりに選んだのが、生成AIでした。本業がソフトウェアエンジニアということもあり、GPT-5.5、Claude Fable、GitHub Copilotの3つのサブスクリプションに加えて、締め切りに追われた場面ではAPIの従量課金も使い、費用は合計でおよそ175ポンド。やったことは、SSEの裁判上の主張を、SSE自身の記録(あの「支払い義務はない」というメールを含む)と突き合わせて、矛盾を洗い出すことでした。

本人の説明によると、進め方はこうです。自分は事実関係をAIに渡し、AIが法律・裁判所の規則・判例・規制を調べて反論の組み立てを出してくる。ただし、それを丸のみにはしない。「すべてに目を通して方向づけをして、引用された判例が実際に存在するかを確かめる必要があった」と本人ははっきり言っています。

この確認は飾りではありません。生成AIには、実在しない判例をもっともらしく作り出してしまう問題(いわゆるハルシネーション)が知られていて、実際に海外では、AIが作った架空の判例を弁護士がそのまま裁判所に提出して問題になった例が複数あります。ホプキンスさん自身も、最初に訴えを起こした2025年10月の時点では「当時のGPTモデルはもっと幻覚が多く、判例のチェックも今ほど得意ではなかった」と振り返っています。AIに調べさせ、人間が実在を検証する——この分担があってはじめて成立した反論でした。

そして2026年7月17日、オックスフォードのカウンティ・コート(少額の民事などを扱う地域の裁判所)は、ホプキンスさんの訴えを認め、費用と利息を含む1,087.88ポンドの支払いをSSEに命じました。担当判事は「被告はホプキンス氏をジェットコースターに乗せた。しかも楽しくないほうの」と述べ、支払い義務がないことをこれ以上ないほど明確にしてきた本人に対して請求を続けるなら、それはハラスメントに当たる、と踏み込んでいます。

認められた1,087.88ポンドという金額は、SSEが請求していた1,091.01ポンドとほぼ同じです。つまり、何かを新たに勝ち取ったというより、取られかけていた額を取り返しただけ。3年かけて、ようやくゼロ地点に戻った、という言い方もできます。

判決の6日後に届いた請求書

話はここで終わりませんでした。判決から6日後の7月23日付で、SSEはまた同じ請求書を送ってきたのです。「これ以上の請求はハラスメントに当たる」と裁判所が言った、まさにその請求を。ホプキンスさんは、あらためてハラスメントとして訴えるかどうかは決めていないと話しています。

実は判決の前、SSEは裁判所が最終的に認めた額より高い金額での和解を持ちかけていました。ただしそこには、守秘義務と「会社を悪く言わない」という条件が付いていた。ホプキンスさんはこれを断っています。「彼らが何をしたかを人に話せることのほうが大事だった」からです。この記事が読めるのは、その選択の結果でもあります。

代償は小さくありませんでした。争いに費やしたのは数百時間。裁判に提出した証拠書類だけで100ページを超えます。その時間は本来、オックスフォードでの医学研究の博士課程に注ぐはずのもので、遅れが響いて博士課程の資金は学位取得前に尽きてしまいました。本人は「自分のように調べ物に慣れた人間でこれだけ大変だったのだから、そうでない人は、身に覚えのない債務で判決を取られ、信用情報を傷つけられて終わるのではないか」と懸念を口にしています。

なお、記事を報じたThe Registerの取材に対し、SSEの広報は「ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。判決に従い、補償をお支払いしました」とコメントしています。

この一件が示しているのは、「AIが裁判に勝った」という話ではありません。制度の側は変わっていないのに、個人がそこに届くための費用が、弁護士に頼めば手が出ない額から、約175ポンドまで下がった——ただしそれは、AIの出力を検証できる人が使った場合に限る、という話です。勝ったのはAIではなく、AIを疑いながら使い切った人間でした。

解釈上の留意点

まず一番大事な点を。この話は「AIがあれば弁護士は要らない」という話ではありません。本人が真逆のことを言っています。AIの出した判例や法律論は、実在するか・正しく引用されているかを人間が確認する必要があり、それを怠った場合のリスク(架空判例の提出など)はすでに現実に起きています。また、今回は請求額20万円ほどの少額の民事です。金額や争点が大きくなれば、専門家に頼む意味は当然変わってきます。

次に、これはイギリスの制度の上で起きた話です。本人訴訟で少額の民事を争う仕組みや裁判所の運用は国によって異なり、日本で同じ手順がそのまま通用するわけではありません。

一次情報についても補足しておきます。この判決文が一般に公開されているかは確認できませんでした。判決の内容は、ホプキンスさん本人が判決文をThe Registerに共有し、同誌が確認したうえで報じたものです。また、「Claude Fableが当時あれば5,000ポンドくらい請求していたと思う」という本人の発言は、あくまで後からの振り返りで、実際にそう認められたわけではありません。

最後に、このブログとの関係について。本文に出てきたClaudeは、当ブログが記事の執筆に使っているAIそのものです(この記事もClaudeを使って書いています)。名前が出てくる以上、その関係は伏せずに書いておきます。だからこの記事は、Claudeを含む生成AIを持ち上げるためのものではなく、むしろ「検証しながら使わないと危ない道具である」という本人の釘を、そのまま伝えるためのものです。

出典

元記事:Energy biz SSE smacked around in court by a guy and AI(The Register・2026年8月31日・Thomas Claburn記者)

判決文そのものの公開ページは確認できていないため、リンクは上記の報道のみとしています。判決内容は、本人がThe Registerに共有した判決文にもとづく同誌の報道によります。

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