アドリア海に放たれた十数万匹の稚ダコが、駆除以外に担っているもの

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この夏、イタリアのアドリア海に、生まれて数日の稚ダコが十数万匹放たれました。狙いは駆除です。北米から来たブルークラブ(学名 Callinectes sapidus)がこの海で爆発的に増え、アサリやムール貝の養殖を壊しているため、その天敵であるマダコを人の手で送り込む——エミリア=ロマーニャ州とボローニャ大学が進める「Octo-Blu」という試験計画です。

放流は6月11日と17日に始まり、8月にも続き、8月24日の回で締めくくられました。リッチョーネからチェゼナーティコにかけての沖合に、合計13万〜15万匹。研究責任者のオリヴィエロ・モルデンティ教授(ボローニャ大学・獣医学系)が数えあげた数字です。

アドリア海に入り込んだ北米のカニ

ブルークラブはもともと南北アメリカの大西洋岸に住むカニです。地中海には、貨物船が船体を安定させるために積むバラスト水にまぎれて入り込んだとみられています。最初に見つかったのは1900年代初めなので、来たこと自体は百年以上前の話です。ところが数と分布が跳ね上がったのはここ十年ほど。地中海のいちばん北の腕にあたるアドリア海で、二枚貝も甲殻類も魚も片端から食べ、丈夫なはさみで漁具まで壊すようになりました。

被害の中心はポー川デルタ周辺、なかでもコマッキオとゴロの沿岸のアサリ養殖です。2024年時点の推計で、イタリア全体の経済的損失は約1億1600万ドル、日本円で170億円ほどにのぼります。州の農業・漁業担当のアレッシオ・マンミ氏は、単なる外来種ではなく近年の海でもっとも深刻な緊急事態のひとつだ、と表現しています。ちなみにアメリカでは高値のつく食材ですが、イタリアではほとんど食べられません。網に入ってしまったぶんは焼却処分するしかなく、最近になってようやく輸出に回す動きが出てきた、という状況です。

生物的防除がたどってきた失敗の歴史

「増えすぎた生き物に、それを食べる生き物をぶつける」——生物的防除と呼ばれるこのやり方には、うまくいかなかった記録が長く積み上がっています。

日本でいちばん知られているのは奄美大島のマングースでしょう。毒ヘビのハブ対策として沖縄から持ち込まれた約30頭が1979年ごろに放され、20年で島じゅうに広がり、2000年には推定1万頭。ハブはほとんど減らず、代わりにアマミノクロウサギやケナガネズミといった固有種が食べられました。環境省が根絶を宣言したのは2024年9月3日。捕獲総数は約3万2千匹、事業費は約36億円、着手から31年かかっています。

オーストラリアのオオヒキガエルも似た筋書きです。サトウキビにつく甲虫を退治させるつもりで1935年に中南米から持ち込まれたところ、甲虫はさして減らず、カエルのほうが西へ南へ広がりました。しかも耳の後ろから強い毒を出すので、これを食べたワニや在来の捕食者が死ぬ。ビクトリア川流域では、オオヒキガエルの到達後にオーストラリアワニが激減したという調査結果が出ています。

共通しているのは、天敵として連れてきた生き物自身が外来種だったこと、そして放したあとで止められなかったことです。

在来種を選んだという違い

Octo-Blu が使うマダコ(Octopus vulgaris)は、その点が違います。地中海にもとから住んでいる在来種で、どこかから連れてくるわけではありません。丈夫で成長が速く、繁殖のサイクルも短い。何より、ブルークラブを自然に食べる相手です。ボローニャ大学の水産研究者アントニオ・カザリーニ氏は、在来の個体群に上乗せする形になるという点も選定の理由に挙げています。

計画は2024年に州と大学の協定で発足しました。最初の2年はほぼ準備に費やしています。カニの生態を調べ、マダコの捕食行動を観察し、水槽の中でマダコを産卵・孵化させる技術を詰める。親ダコはガッリーポリとポルト・エルコレの海で採ってきたものです。チェゼナーティコにあるボローニャ大学の水産養殖学科の水槽で卵を孵し、そこから海へ運びました。

放流地点は、沖合3マイルほど、ムール貝の養殖いかだが並ぶあたり。研究チームはそこに、沈めた人工の障壁と、大きさをいろいろ変えた巣穴を用意した試験区を2か所つくってあります。タコは狭い穴に身を隠す習性があるので、住み着いてもらうための足場です。

海洋生物学者のラウラ・ジェンティーレ氏によれば、水槽の中では若いタコが450グラム(約1ポンド)ほどある大きなカニを仕留めるのが確認できたといいます。300グラムのタコがいれば成体のカニを食べられる、というのが研究チームの見立てです。タコは毎日、自分の体重の2割以上を食べる大食漢でもあります。

タコの側にあったもう一つの事情

ところが、この計画の意味は「カニを減らす」だけではありません。放されたマダコのほうが、実はアドリア海からほとんど消えかけていたのです。

モルデンティ教授が示した数字は、なかなかの落差です。カオルレからカットリカまでの海域でのマダコの漁獲は、ピークだった2007年に527トン。それが2010年には37トン、2015年には9.26トンまで落ちました。教授はこの15年でおよそ98パーセント——正確には98.2パーセント減ったと説明しています。気候変動と強い漁獲圧が重なった結果とみられ、いまでは沿岸には見あたらず、より深い海域にしか残っていません。

つまり、この海に稚ダコを流すという行為は、外から助っ人を呼ぶことではなく、消えかけていた在来の捕食者を元の場所に戻す作業でもあった、ということです。研究チームのピエトロ・エマヌエーレ氏は、「そんなに大量の幼生を放して大丈夫なのか」という批判に対して、まさにこの点を挙げています。放流はマダコの資源そのものの回復にも効きうる、と。

マングースやオオヒキガエルとの決定的な違いはここにあります。かつての失敗は、その土地にいなかった生き物を足したことで起きました。今回は、その土地から抜け落ちていた生き物を足し直そうとしています。

効果の検証に残された課題

とはいえ、これで解決という話ではまったくありません。

まず、生まれたばかりのタコは数ミリしかなく、成体まで育つのは1パーセント程度と見込まれています。13万匹放しても、大人になるのは千数百匹という計算です。育ちさえすれば1匹が1日に最大4匹のカニを食べうるとされますが、その前段階の壁が高い。

もう一つ、放流した沖合と、被害がひどい場所がずれています。アサリ養殖が痛めつけられているのは、コマッキオやゴロのような暖かく浅い砂の潟です。マダコはそういう環境をあまり好みません。研究チームもそれは織り込みずみだといいますが、いちばん困っている現場に捕食者が届くのかどうかは、まだ分からないままです。

計画に関わっていないバージニア海洋科学研究所の海洋生態学者ロム・リプシウス氏は、慎重に管理された試験としては筋が通っているが、有効な駆除法として証明されたわけではない、と釘を刺しています。査読を受けた論文もまだ出ていません。

次の段階は確認作業です。研究チームはスキューバでの潜水調査と、地元の漁師からの目撃情報を組み合わせて、放したタコが実際に居ついているかを追う予定になっています。年内には、カニの数に何かしらの変化が出たかどうかの見当がつく見込みです。

なお、エミリア=ロマーニャ州にとって生物を使った防除は初めてではありません。数年前から、果樹をやられていたクサギカメムシの対策として、東アジア原産の寄生蜂サムライタマゴバチを畑に放しています。マンミ氏はこの前例を引き合いに出しました。ただしそちらは外来の昆虫を新たに入れる形で、今回とは性格が違います。同じ「生物的防除」という言葉でくくられていても、中身はかなり別物です。

モルデンティ教授は、成果の目安をこんなふうに言っています。1匹のタコがメスのカニを1匹食べただけでも成果になる、と。ブルークラブのメスは平均163万個の卵を産むからです。控えめな言い方に聞こえますが、裏を返せば、それだけ相手の増える速さが桁違いだということでもあります。

出典

エミリア=ロマーニャ州(農業・狩猟・漁業)の発表:Lotta al granchio blu, rilasciati in mare polpi di pochi giorni di età e una femmina nell’ambito del progetto sperimentale Octo-Blu

放流当日の詳報(マダコの減少データを含む):Corriere Cesenate「Caccia al granchio blu. Piccoli polpi rilasciati al largo」

Smithsonian Magazine:Blue Crabs Have Taken Over the Adriatic Sea. To Fight Them Off, Italian Researchers Just Released Thousands of Baby Octopuses

ANSA の報道:Polpi contro granchi blu, a Cesenatico la liberazione in mare

奄美大島のマングースについて:環境省「奄美大島における特定外来生物フイリマングースの根絶の宣言について」

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