麻酔薬ケタミンの効く理由に見落としがあった——原子レベルの画像が捉えたオピオイド受容体との結合

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手術の麻酔薬として50年以上使われてきたケタミンが、脳のどこに効いているのか。その説明に、新しい項目が一つ書き足されました。

ワシントン大学医学部(米セントルイス)の薬理学者タオ・チェ氏らのチームが、ケタミンが「オピオイド受容体」に直接くっつき、そこを動かしている様子を、原子レベルの画像で捉えたという報告です。論文は2026年6月に『Nature Structural & Molecular Biology』に掲載され、8月には同じ誌に外部研究者の解説がつき、9月10日に大学が正式に発表しました。

ケタミンは、日本でも医療機関で麻酔薬として使われている薬です(2007年から麻薬に指定されています)。海外では、これを改良した点鼻薬が、通常の薬が効かないうつ病の治療に承認されて使われています。現役でよく使われている薬の「効く理由」に、これまで見落とされていた部分があった、ということになります。

従来の説明と残っていた疑問

ケタミンの効き方は、長いあいだ一つの説明で語られてきました。脳の神経細胞にある「NMDA受容体」というスイッチを塞ぐ、というものです。NMDA受容体は、神経が興奮する信号を受け取る入り口の一つで、ケタミンがここをふさぐことで、麻酔・痛み止め・抗うつといった効果が出る、と考えられてきました。

この説明は間違いではありません。ただ、これだけでは説明のつかないことが残っていました。

いちばん分かりやすい矛盾は、同じNMDA受容体を塞ぐ薬が、ほかにもあるという点です。たとえばMK-801という研究用の薬は、ケタミンよりもNMDA受容体だけを狙って塞ぎます。ところがこの薬には、ケタミンのような抗うつ効果も痛み止めの効果もありません。同じ場所を塞いでいるのに結果が違うなら、ケタミンはNMDA受容体以外のどこかにも働きかけているはずです。

40年続いた「オピオイドか否か」の議論

その「どこか」の候補として、昔から名前が挙がっていたのがオピオイド受容体でした。モルヒネなどの鎮痛薬が結合する受容体で、痛みを抑える一方、依存の入り口にもなる場所です。

ケタミンがここに関わっているのではないか、という疑いは1980年代からあります。麻酔薬にモルヒネに似た鎮痛作用があることを調べた論文が、当時すでに出ていました。近年になると、人を対象にした試験で、オピオイド受容体を塞ぐ薬(ナルトレキソン)を先に飲んでおくと、ケタミンの抗うつ効果が弱まった、という報告も出ています。

ただし、決着はついていませんでした。理由は、ケタミンとオピオイド受容体のくっつき方が非常に弱いことです。弱いと、実験で「本当に直接くっついている」のか「別の経路を通じて間接的に影響している」のかが分けにくい。直接だとしても、モルヒネと同じ正面の席に座っているのか、脇から受容体の働きを少し変えているだけなのか、研究者のあいだで見解が割れていました。

今回の研究は、この「見解が割れていた部分」を、見ることで片付けにいったものです。

クライオ電子顕微鏡が捉えた結合の現場

チームが使ったのは、クライオ電子顕微鏡という装置です。受容体のようなタンパク質を、薬と一緒に瞬間的に凍らせて、電子線で撮影します。撮った大量の画像を重ね合わせると、原子の並びが分かる精度で、タンパク質と薬がどう組み合わさっているかが立体的に見えてきます。

この方法で、チームは6種類の構造を決めました。オピオイド受容体には主にμ(ミュー)・κ(カッパ)・δ(デルタ)の3種類がありますが、そのうちμとκについて、ケタミン(うつ病治療に使われるS体)が結合した状態と、ケタミンの原型にあたる化合物PCP(フェンサイクリジン)が結合した状態、それに何も結合していない空の状態を撮っています。

上の図の右側が、今回見えたものです。ケタミンは、μ受容体でもκ受容体でも、モルヒネなどの鎮痛薬が座るのと同じ主結合ポケット、いわば受容体の「正面の席」に収まっていました。脇から働きかけているのではなく、正面に座っていたわけです。念のため撮った空の受容体では、その席に何も写っていません。薬を入れたときだけ席が埋まる、という対照がとれています。

座り方も調べられています。細胞を使った実験では、ケタミンはμ・κ・δのいずれの受容体に対しても「部分作動薬」として働いていました。スイッチを全部入れるのではなく、途中まで入れる薬、という意味です。モルヒネのように受容体を全開にするわけではないものの、たしかにそこを動かしている。ここが、これまで確かめられていなかった点でした。

受容体を塞いだときに消えた鎮痛効果

座っているところを見ただけでは、「見えたけれど体の中では何もしていない」という可能性が残ります。そこでチームは、逆の実験をしています。オピオイド受容体をあらかじめ別の薬で塞いでおいて、ケタミンの効果がどう変わるかを見る実験です。

マウスに麻酔量より少ないケタミンを与えると、熱い水に尾をつけたときに引っ込めるまでの時間が伸びます。痛みを感じにくくなっている、ということです。ところが、あらかじめナロキソン(オピオイド受容体全般を塞ぐ薬)か、アティカプラント(κ受容体だけを塞ぐ薬)を与えておくと、この痛み止めの効果は完全に消えました。ケタミン自体は同じ量を入れているのに、オピオイド受容体が使えないと痛みは抑えられなかった。

「座っているところを見た」と「席を塞いだら効果が消えた」。この二つがそろったことで、ケタミンの痛み止めとしての働きには、オピオイド受容体が実際に関わっている、と言えるようになりました。つまり、ケタミンはNMDA受容体を塞ぐ薬であると同時に、オピオイド受容体を途中まで動かす薬でもあった、というのが今回の答えです。論文に寄せられた解説では、これを「二機能性の作用機構」と呼んでいます。

今回の結果が示す範囲と示さない範囲

ここから先は、この結果をどこまで受け取ってよいかの話です。研究チーム自身が論文の中で、かなりはっきり線を引いています。

まず、くっつき方の弱さです。ケタミンがオピオイド受容体に結合する強さは、NMDA受容体に結合する強さの20分の1ほどしかありません。この差が意味するのは、血中のケタミン濃度が低いうちはNMDA受容体のほうが先に埋まり、オピオイド受容体まで届くのは濃度がかなり高くなってから、ということです。論文は、うつ病治療で使われる少量の点滴では血中濃度がオピオイド受容体に届きにくい範囲にとどまり、麻酔のように大量に使ったときや、投与直後に濃度が一時的に跳ね上がったときに、オピオイド受容体の関与が出てきやすい、と書いています。「オピオイド受容体にもくっつく」は事実ですが、どの場面でどれだけ効いているかは、量によって変わります。

次に、消えたのは「痛み止めの効果」だという点です。今回のマウス実験で測ったのは痛みの反応だけで、抗うつ効果は測っていません。人での抗うつ効果にオピオイド受容体がどれだけ関わっているかは、先に触れたナルトレキソンの試験のような「弱まった」という報告がある一方、「併用しても効果は保たれた」という報告もあり、論文自身が「臨床では議論が続いている」と書いています。

そして、実験の相手はマウスと、人の受容体を入れた培養細胞です。人での臨床試験ではありません。

この結果を、「ケタミンはオピオイドだった」と一言でまとめてしまうのは正確ではありません。示されたのは、オピオイド受容体にも部分的に作用する、ということであって、モルヒネと同じ薬になったわけではない。結合は弱く、スイッチを入れる度合いも途中までです。この距離感は、論文を読むかぎり研究者自身が最も気をつけている部分でした。

では、この発見は何のためになるのか。チームが挙げているのは、次の薬の設計です。ケタミンの良いところは、既存の薬が効かない人にも速く効くことで、悪いところは乱用の可能性があること。その両方に、NMDA受容体とオピオイド受容体の二つが、それぞれどう関わっているかが見えてきた。両方のバランスを狙って調整すれば、効き目を残したまま乱用のリスクを下げた改良版が作れるかもしれない、というのがチームの見通しです。ただしこれは今回の成果ではなく、この先の課題です。

効いているという事実と、なぜ効くかの説明は、別のものです。ケタミンは50年前から効いていました。その理由の一部が、いま原子の並びとして見えた。そういう話でした。

出典

論文:Jiang, Q., Han, J., Fine, E. J. et al. “Structural basis of opioid receptor activation by PCP and ketamine.” Nature Structural & Molecular Biology 33, 1341–1353 (2026). オープンアクセスで全文が読めます。
https://www.nature.com/articles/s41594-026-01839-y

同誌の解説記事:Bonaventura, J. & Michaelides, M. “Molecular snapshots confirm ketamine’s opioid nature.” (2026年8月24日)
https://www.nature.com/articles/s41594-026-01874-9

ワシントン大学の発表(2026年9月10日):
https://source.washu.edu/2026/09/study-reveals-how-ketamine-interacts-with-opioid-receptors/

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