遺伝子を69か所書き換えたブタの腎臓で、男性は9か月透析を離れた

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ブタの腎臓が、人の体の中で271日はたらいた。9か月近い。そのあいだ、その人は透析を受けずに暮らし、最後はヒトの腎臓の移植を受けた。動物の臓器を「ヒトの臓器が見つかるまでのつなぎ」として使う——その発想が、実際の患者ひとりの上で成立したことを示す最初の報告が、2026年9月3日の医学誌ランセットに載りました。

271日という数字の意味

患者はニューハンプシャー州コンコードに住む Tim Andrews さん。末期腎不全で透析を受けていて、見通しは明るくありませんでした。遺伝子を改変したブタの腎臓が人に試されはじめていると知り、自分から志願します。手術は2025年1月25日、ボストンのマサチューセッツ総合病院。当時66歳でした。

本人はNBCニュースの取材に、生きて手術室を出られるとは思っていなかった、と語っています。もう死んだも同然だと思っていた、だから人の役に立つことをしたかった、と。

この手術には前例があります。2024年3月、同じ病院で世界で初めて遺伝子改変ブタの腎臓が生きた人に移植されました。受けた Richard Slayman さん(当時62歳)は52日後に亡くなっています。死因は心臓の問題で、移植された臓器とは無関係とされました。それが、これまでの記録でした。2か月を超えて機能した例は、報告されていなかったのです。

271日は、その4倍を優に超えます。

69か所を書き換えたブタ

使われたのはユカタン・ミニブタの腎臓で、提供したのはバイオ企業のeGenesisです。ゲノム(遺伝情報の全体)に69か所の編集が入っていました。

編集のねらいは大きく二つです。ひとつは、ブタが持つウイルスが人に移るのを防ぐこと。もうひとつは、人の免疫がブタの臓器を「異物だ」と見つけて攻撃するのを起こりにくくすること。ブタの細胞の表面には、人の体がすぐに敵と判定してしまう目印がいくつもついていて、そこを消したり、逆に人の細胞らしい目印を足したりする作業が、69という数字の中身です。

Andrews さんはこのブタに「ウィルマ」と名前を付けました。

手術は、米国食品医薬品局(FDA)の拡大アクセス制度という枠組みで行われました。通常の診療でも、正式な臨床試験でもなく、ほかに手がない患者に未承認の治療を個別に認める仕組みです。

腎臓は移植直後から働きはじめました。早い時期に一度、免疫細胞による拒絶反応が起きていますが、これは治療で収まっています。心配されていたブタ由来の病原体が人に移った形跡も、検出されませんでした。

そして Andrews さんは、透析の機械から離れました。歩き回れた、機械につながれていなかった、へとへとに疲れていなかった——NPRの取材にそう答えています。

橋を落としたのは、拒絶反応ではなかった

ここがこの報告のいちばん重要なところです。

移植からおよそ半年後、Andrews さんはMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)に感染しました。多くの抗菌薬が効かないタイプの細菌です。感染を抑えるため、医師団は免疫抑制薬を減らさざるを得ませんでした。免疫を抑える薬は、移植した臓器が攻撃されるのを防ぐ一方で、体が細菌と戦う力も一緒に弱めてしまうからです。

薬を減らしたあと、ブタの腎臓の中の細い血管が傷みはじめました。微小血管の障害と炎症が続き、やがて臓器としての機能が失われます。腎臓は摘出され、Andrews さんは3か月ほど透析に戻りました。

つまり、この腎臓は「人の免疫に負けた」というより、「感染症の治療と免疫抑制の板挟みに耐えられなかった」わけです。免疫を抑え続けなければ臓器はもたない、しかし抑え続ければ感染症に弱くなる。このジレンマは、ヒトからヒトへの移植でも昔からある問題ですが、異種移植では免疫抑制をより強くかける必要があるぶん、綱渡りの幅が狭くなります。

研究チームが今回の論文で報告しているのは、記録更新そのものよりも、この「なぜ最後に失敗したのか」の中身のほうです。生きた人の体の中で、異種移植された臓器が時間をかけて壊れていく過程を記録した例は、これまでありませんでした。

完全な橋ではなかった、という但し書き

腎臓を摘出したあと透析に戻っているので、厳密にはブタの腎臓がヒトの腎臓までの期間を丸ごと埋めたわけではありません。この点は、研究に関わっていないイェール大学の外科医 David Mulligan 氏も指摘しています。ただし、待たなければならなかった期間の大部分は担った、だから成立しうることの証明にはなっている、というのが同氏の評価です。

2026年1月、Andrews さんは亡くなった人から提供されたヒトの腎臓の移植を受けました。いまは泳いだり、自転車に乗ったり、カヤックを漕いだり、釣りをしたりして過ごしているそうです。ウィルマは自分の命を救ってくれた、あれがヒトの腎臓にたどり着くための橋になった——本人はNPRにそう話しています。

気になるのは、一度ブタの臓器を入れた体が、そのあとヒトの臓器を受け入れにくくならないのか、という点でしょう。eGenesisのCEO Mike Curtis 氏は、いまのところ不利になる兆候は見えていないとしつつ、始めた時点ではそれが本当かどうか分からなかった、と率直に述べています。ここはまだ、確かめられている最中の話です。

執刀チームを率いた Leonardo Riella 氏によれば、Andrews さんのあと、同じチームはすでに5例のブタ腎臓移植を行っており、そのうち1人はすでに9か月の記録を超えているとのこと。こちらは別の論文で報告される予定です。

なお、手術にあたった外科医のひとり Tatsuo Kawai 氏は、日本大学医学部を出てハーバード大学医学部の外科教授になった移植免疫の研究者です。2024年の世界初の症例も、この人が関わっています。

臓器が足りない、という前提

そもそも、なぜここまでするのか。理由は単純で、臓器が足りないからです。

米国では約11万人が移植の待機リストに載っていて、うち9万5,000人以上が腎臓待ちです。それに対して2025年にヒトの腎臓の移植を受けられたのは2万8,000人に届きません。腎臓を待ちながら亡くなる人は1日あたり12人ほどとされています。Riella 氏は、臓器不足は移植医療がいま抱える最大の危機だと述べています。

日本の事情も、方向としては同じです。日本臓器移植ネットワークによれば、亡くなった人から腎臓の提供を受ける献腎移植の待機期間は、実際に移植を受けた人の平均で約15年。2025年3月末時点の腎臓の移植希望登録者は1万4,721人で、透析を受けている人は2023年末で34万人を超えています。15年という数字は、待っているあいだの人生がまるごとそこに乗っている、ということでもあります。

「代わり」ではなく「つなぎ」として

今回の報告を、ブタの臓器が人の臓器の代わりになった話として読むのは、まだ早すぎます。1例の報告であり、最後は摘出に至っていて、しかもその原因になった免疫抑制のジレンマは解決していません。

Riella 氏自身の見通しも慎重です。まず手が届きそうな目標は橋渡しとしての使い方で、ヒトの腎臓と同じくらい良い選択肢になる話ができるとしたら10年か15年先かもしれない、この道のりはまだ始まったばかりだ——ニューヨーク・タイムズにそう語っています。

それでも、271日という数字には具体的な意味があります。透析を受けずに過ごせた271日、そしてその先でヒトの腎臓にたどり着けたという結果。臓器が来るまで生き延びる、という一点にしぼれば、この技術はもう机上の話ではなくなった、ということです。

出典

論文(ランセット、2026年9月3日):The Lancet, DOI: 10.1016/S0140-6736(26)01295-X

ハーバード大学医学部の発表:Patient Who Received Pig Kidney Becomes First To Progress to Human Kidney Transplant(Harvard Medical School)

マス・ジェネラル・ブリガムの発表:How a pig-kidney xenotransplant served as a successful bridge to human transplant(Mass General Brigham)

紹介記事:A Genetically Modified Pig Kidney Kept a Man Alive for a Record Nine Months(Smithsonian Magazine)

日本の待機年数:移植希望者の待機年数(日本臓器移植ネットワーク)

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