ペルム紀の終わりに、地球の生き物は顕生代で最大の打撃を受けました。古生代はここで幕を閉じ、次の三畳紀から中生代が始まります。五大絶滅と呼ばれる大きな絶滅のうち、規模でも後を引いた長さでも、これが群を抜いています。
境界の基準になっているのは、中国・浙江省の煤山(メイシャン)にある地層です。国際層序委員会はここを国際標準模式層断面(GSSP)に指定し、境界の年代を2億5190万2000年前(誤差2万4000年)としています。
海と陸から消えたもの
まず、姿を消した顔ぶれを並べてみます。
三葉虫。カンブリア紀に現れてから約2億9000万年、何度も絶滅を生き延びてきたグループですが、ここで終わりました。フズリナ(紡錘虫)も全滅。米粒のような形をした大型の有孔虫で、石灰岩の中にびっしり詰まっていることもある、古生代後半を代表する化石です。
サンゴも入れ替わりました。古生代の礁をつくっていた四射サンゴと床板サンゴは、どちらもここで途切れます。いまの海にいる六放サンゴは、この絶滅のあと、三畳紀に別の系統から改めて出てきたものです。ウミユリと腕足類(見た目は二枚貝に似た別のグループ)も、ほとんどが姿を消しました。ウミサソリも同じです。

陸も無事ではすみませんでした。それまで大型動物の座を占めていた獣弓類は大半が消え、サーベル状の犬歯を持つゴルゴノプス類は完全に絶えます。森も広い範囲で失われました。そしてこの絶滅は、知られているかぎり、昆虫が大きなグループの単位で数を減らした唯一の大量絶滅でもあります。ふつう昆虫は絶滅に強いのですが、このときだけは違いました。
当時の外洋の記録は、日本の山の中にも残っています。岐阜県や大分県などの付加体には、パンサラサの深海に積もった層状チャートが含まれています。放散虫という微小なプランクトンの殻が降り積もってできた岩ですが、ペルム紀の終わりのところでチャートが途切れ、黒い炭素質の泥岩に変わります。東京大学の磯崎行雄さんが1997年にScience誌で報告した「スーパーアノキシア(超酸素欠乏)」の証拠のひとつで、当時の深海が長期間、酸素の乏しい状態に陥っていたとされます。ただし、この層準の解釈——放散虫が減ったのか、それとも陸から流れ込む砕屑物が増えたのか——については、その後の研究で議論が続いています。

九割という数字の見直し
この絶滅を紹介するとき、「海の生物種の9割以上が消えた」「96%が絶滅した」といった数字がよく使われます。この数字には出どころがあり、そして見直されています。
96%という値は、1979年にデイヴィッド・ラウプが発表した推定です。科や目のレベルの記録から、種のレベルの損失を統計的に逆算する方法(希薄化法)で出したもので、当時としては妥当な計算でした。ただ、そこには問題がありました。この計算は、中期ペルム紀と後期ペルム紀の絶滅をひとまとめに扱っていたのです。
ペルム紀の絶滅は一度ではありません。中期の終わり、約2億6200万年前から2億5900万年前ごろにも規模の大きな絶滅が起きています。カピタニアン絶滅と呼ばれ、中国南西部で噴出した峨眉山(がびさん)洪水玄武岩との関わりが指摘されています。この二つを合算すれば、当然ながら数字は膨らみます。
2016年、ハワイ大学のスティーヴン・スタンリーさんは、通常時に散発的に起きている絶滅(背景絶滅)の量を見積もって差し引き、絶滅が特定のグループに偏ることも補正したうえで計算し直しました。結果は約81%。属のレベルでは56〜69%です。「生命がほとんど消えかけた」という表現は言い過ぎだった、というのが彼の結論でした。90の目と220を超える科の海生動物が生き残っています。
とはいえ、81%は顕生代を通じて最大の値であることに変わりはありません。数字が小さくなったからといって、この絶滅の地位が下がるわけではありません。
六万年で起きたこと
絶滅がどれくらいの速さで進んだのかは、原因を絞り込むうえで決定的に重要です。500万年かけて起きたことと、5万年で起きたことでは、犯人の候補がまったく違ってくるからです。
2014年、当時マサチューセッツ工科大学にいたセス・バージェスさんらが、煤山の地層にはさまれた5枚の火山灰層に含まれるジルコンをウラン・鉛法で年代測定し、PNAS誌に報告しました。絶滅が進んだのは2億5194万1000年前から2億5188万年前までのあいだ。差し引き6万年(誤差4万8000年)です。地質学の目盛りでは、ほとんど一瞬にあたります。
もうひとつ、この研究は絶滅が始まる約1万年前から、炭酸塩の炭素同位体比が急激に軽くなっていくことを示しました。軽い炭素が大量に海へ入ってきた、ということです。生物由来の炭素は軽い炭素に偏るので、これは有機物起源の炭素が短期間で大気と海へ放出されたことを示唆します。
ただし、陸の生き物の側は、もう少し長く引き延ばされていたようです。2023年にCurrent Biology誌へ報告された研究では、南アフリカのカルー盆地で見つかった大型のゴルゴノプス類が、それまでロシアからしか知られていなかったイノストランケヴィアだと判明しました。地元の大型捕食者が境界より前にすでに絶滅したあと、その空席を埋めるようにおよそ1万1300km離れた場所から入ってきたものだといいます。この研究チームは、境界をはさむ200万年たらずのあいだに、陸の頂点捕食者の座が4回も入れ替わったと報告しています。生態系の一番上が、それだけ落ち着かない状態にあったということです。
溶岩ではなく、その下にあったもの
原因として長く有力視されてきたのが、シベリア・トラップです。ロシア中部で、ペルム紀の末に起きた途方もない規模の火山活動。台地状に積み重なった玄武岩が、いまも広大な範囲を覆っています。

ところが、ここに困った点があります。こうした巨大な火山活動——大規模火成岩岩石区と呼ばれます——は、地球の歴史の中で何度も起きています。そのすべてが大量絶滅を引き起こしたわけではありません。しかも、シベリア・トラップの活動そのものは数百万年にわたって続きました。一方で絶滅は6万年で片がついている。時間の目盛りが合わないのです。溶岩がだらだらと流れ続けただけでは、この速さは説明できません。
2017年、アメリカ地質調査所のセス・バージェスさん、シラキュース大学のジェームズ・ミュアヘッドさん、マサチューセッツ工科大学のサミュエル・ボウリングさんが、Nature Communications誌でこの食い違いに答えを出しました。彼らが注目したのは、噴火の量ではなく、マグマの出方が変わったタイミングです。
シベリア・トラップの活動には、はっきりした切り替わりがありました。前半は、地表に溶岩が流れ出す洪水玄武岩。後半は、マグマが地表まで届かず、地下の堆積岩のあいだに横向きに入り込んで固まる「岩床(シル)」が主体になります。絶滅が始まるのは、この切り替わりと一致していました。溶岩が流れていた時期ではなく、マグマが地面の中に潜り込みはじめた時期です。
なぜそちらのほうが危険なのか。潜り込んだ先に何があったかが問題でした。

シベリア・トラップの下には、ツングースカ炭田が広がっています。面積はおよそ120万平方キロメートル。世界最大級の石炭の埋蔵地で、加えて岩塩や石油を含む地層も重なっています。石炭紀からペルム紀にかけて、生き物が地面の下にため込み続けた炭素の巨大な貯金でした。
そこへ、1000度を超えるマグマが板状に入り込みます。石炭も岩塩も石油も、接触した部分から焼かれ、熱で分解され、ガスになりました。二酸化炭素、メタン、そして塩素や臭素を含むハロゲン化合物。行き場をなくしたガスは地表へ噴き上がり、爆発的な噴出孔(ダイアトリーム)をあちこちに開けています。2018年に発表された見積もりでは、このとき放出された二酸化炭素の77%が、マグマそのものではなく、焼かれた堆積物の有機炭素に由来するとされます。
つまり、史上最大の絶滅を起こしたのは、溶岩の量ではなく、その溶岩がたまたま通り抜けた地面のほうでした。同じ規模の噴火でも、下にあるのが石炭ではなく普通の火成岩だったなら、ここまでのことにはならなかったかもしれない。バージェスさんらは論文の結びで、岩床が主体の大規模火成岩岩石区は、溶岩流や岩脈が主体のものより、地球規模の破局を引き起こしやすいと述べています。場所の不運が、生き物の運命を決めたことになります。
五百万年続いた暑さ
この見方は、絶滅そのものだけでなく、そのあとの話ともつながります。
大量の二酸化炭素が一度に放出されても、地球にはそれを片づける仕組みがあります。岩石の化学的な風化と、有機炭素が地層に埋まっていく作用です。ふつうなら、10万年ほどで濃度も気温も元の水準に戻るはずでした。
ところが実際には、前期三畳紀のおよそ500万年にわたって、極端に暑い状態が続きます。噴火はとうに終わっているのに、気温が下がらない。この居座りの理由は長く謎でした。
2025年7月、イギリスのリーズ大学と中国地質大学(武漢)を中心とする研究チームが、Nature Communications誌でひとつの答えを示しました。中国各地で数世代の地質学者が積み上げてきた化石データと、岩石に残る気候の手がかりを組み合わせて、当時の植物の生産量の分布図を時代ごとに描き直したものです。結果は、熱帯の森が消えたことが効いていた、というものでした。
森がなくなると、光合成で吸われる炭素が減ります。それだけでなく、木の根が岩を砕いて風化を助ける働きも失われるため、岩石が二酸化炭素を吸収する速度も落ちます。炭素を減らす二つの仕組みが同時に弱ったまま、植物の回復が進まない。研究チームは、これが超温室状態を長引かせた、と結論づけています。気候と炭素のシステムに、いったん越えると自分で戻れなくなる境目があったということです。

とはいえ、地球全体が丸ごと死んだわけではありませんでした。2025年にScience Advances誌で報告された研究では、中国・新疆ウイグル自治区の南台東溝(なんたいとうこう)の地層から、境界をまたいで多様な植物の化石が連続して見つかっています。針葉樹やシダ種子植物が生き残っていた「避難所」が、確かに存在したことになります。そしてこの地域では、絶滅からおよそ7万5000年後には四足動物を含む生態系が立ち上がっていました。
分かっていないことは、まだ多く残っています。ガスの放出量の見積もりには幅があり、シベリア・トラップの活動の年代も、絶滅そのものほど精密には決まっていません。海の酸素欠乏、水温の上昇、海洋酸性化、オゾン層の破壊——挙げられている致死のしくみは複数あり、どれがどの生き物にどれだけ効いたのかは、いまも整理の途中です。生き残った生き物と消えた生き物を分けた条件についても、研究が続いています。
ひとつ確かなのは、この出来事を境に、海の顔ぶれがそっくり入れ替わったことです。いま浜辺で拾う貝も、海で見るサンゴも、ここから先の世界の住人です。
出典
Burgess, Bowring & Shen, “High-precision timeline for Earth’s most severe extinction”, PNAS (2014)(全文・無料)
Stanley, “Estimates of the magnitudes of major marine mass extinctions in earth history”, PNAS (2016)(全文・無料)
Xu et al., “Early Triassic super-greenhouse climate driven by vegetation collapse”, Nature Communications (2025)(リーズ大学プレスリリース)
Kammerer et al., “Rapid turnover of top predators in African terrestrial faunas around the Permian-Triassic mass extinction”, Current Biology (2023)(フィールド博物館プレスリリース)


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