深海の底を歩く魚キホウボウ、魚類初の「後ろ歩き」が撮影される

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海の底を、ひれで「歩く」魚がいます。中国・中山大学などの研究チームが、南シナ海の深海でその魚を潜水艇で間近に撮影し、査読付きの学術誌『Ocean-Land-Atmosphere Research』に発表しました。論文のタイトルは、飾り気なくそのまま「Walking Fish(歩く魚)」。

この魚が歩くこと自体は、以前から知られていました。それでも研究者たちがわざわざ論文にしたのは、実際に撮ってみたら、歩き方の中身が予想を超えていたからです。

キホウボウという魚

撮影されたのは、キホウボウ科の魚たちです。キホウボウ科は世界の熱帯・亜熱帯の深海に広く分布するグループで、日本の近海からも16種ほどが知られています。体は硬い骨の板でよろいのように覆われ、口先からは2本の突起が前に突き出しています。英語では「armored searobin(よろいをまとったホウボウ)」。浅い海にいるホウボウの、深海版の親戚にあたります。

いちばんの特徴は胸びれです。胸びれの一部の筋(すじ)が、ひれの膜から独立して指のように分かれていて、これを脚のように動かして海底を這うように移動します。泳ぐためのひれの一部が、歩くための脚に転用されているわけです。

今回の主役は、その中の1種トウホウソコキホウボウ(学名 Scalicus engyceros)。1872年、日本でいえば明治5年に、イギリスの魚類学者アルバート・ギュンターによって記載された古株の魚で、南日本からハワイにかけての西部・中部太平洋、水深200〜660メートルほどの岩や砂の海底にすんでいます。つまり、日本の魚でもあります。よろいをまとった姿と長い突起のせいでエビのようにも見え、アメリカのメディアでは「魚とエビの合いの子」というあだ名までついているそうです。

ただ、こうした深海の魚の研究は、長いあいだ網で採った標本が頼りでした。標本からは体のつくりは分かっても、海底でどう振る舞っているかまでは分かりません。歩くとされてはいても、その足さばきを間近でじっくり記録した例はほとんどなかったのです。

潜水艇がとらえた海底の足どり

そこでチームが使ったのが、人が乗り込む有人潜水艇「深海勇士(シェンハイヨンシー)」と、遠隔操作の無人機「海琴(ハイチン)」です。南シナ海北部の3つの海域を潜り、水深350〜500メートルの海底でキホウボウ科の魚たちを撮影しました。東京タワーがまるごと沈む深さです。このあたりまで潜ると水圧はおよそ40気圧、体の1平方センチメートルあたり約40キログラムの重さがのしかかる世界になります。

カメラの前で、トウホウソコキホウボウは期待どおり海底を歩いていました。太く硬くなった胸びれの「指」を交互に動かし、よろいの体を支えながら、海底をゆっくり進んでいきます。

魚類で初めての後ろ歩き

意外だったのはここからです。この魚は前に歩くだけでなく、カニのように横にささっと動き、さらに後ろ向きにも歩いてみせました。魚が後ろ向きに歩く様子が観察されたのは、これが初めてです。

陸上を歩ける魚は、ムツゴロウのような両生的な魚を含めて十数種が知られていますが、横歩きと後ろ歩きを組み合わせるような動きは、他のどの魚でも観察されたことがありません。種の記載から150年あまり、誰もこの魚が後ずさりするとは予想していませんでした。ふだんは泳ぎもする魚が、海底では前後左右に歩き分ける——標本だけを眺めていた時代には、知りようのなかった姿です。

逃げ方も変わっています。脅かされると、エビが跳ねるように、体を弾かせてビュッと跳びのく。硬いひれの筋と尾を使った、瞬発的な緊急脱出です。歩く・横に動く・下がる・跳ぶ。海底での足まわりだけで、これだけのレパートリーを持っていました。

歩くのに邪魔そうな「熊手」の使い道

顔の先にも見どころがあります。口のまわりから、枝分かれしたひげが熊手のように外へ広がっているのです。研究チーム自身が「歩くには不便そうに見える」と書いているとおり、一見すると足元に引っかかりそうな構造です。

ところが映像の中のトウホウソコキホウボウは、歩きながらこの熊手を海底に沿わせ、砂の盛り上がりや石にときどき触れさせていました。ひげには物に触れる感覚と、においを感じ取る化学的な感覚があり、砂の中に隠れた獲物を探り当てたり、堆積物を掘り返したりするのに使われていると考えられています。歩くのに邪魔でも、食べるためには手放せない道具というわけです。ちなみに、指に変わらなかった残りの胸びれは丸く平たい板のようになっていて、歩行や遊泳中のバランス取りに役立っているようです。

暗闇で光に反応した目

そしてもうひとつ、研究者たちが首をかしげた観察があります。目です。

トウホウソコキホウボウは、体のわりに大きな目を持っています。ところが潜水艇が近づいても、見えても聞こえてもいない様子で、まるで気づきません。それなのに、潜水艇のライトの光線には片目をぐるりと向け、そのあと泳ぎ去りました。太陽の光がほとんど届かない深海にすんでいるのに、目には光を感じる力が残っているらしいのです。

研究チームは論文の中で、こんな問いを残しています。この種は、光を感じるしくみが完全に退化してしまうほど長くは、この暗い環境にいなかったのではないか。あるいは、いまも時おり、わずかに光の届く「トワイライトゾーン」まで浮上することがあるのではないか。進化は、使わなくなったものをすぐには消してくれません。残された目の感度は、この魚がたどってきた道のりか、いまの暮らしぶりのどちらかを映している可能性があります。

今回の調査では、同じ350〜500メートルの深さ帯で、キホウボウ科の別の2種も撮影されました。ハナビロキホウボウ(Paraheminodus murrayi)と、モヨウキホウボウ(Peristedion liorhynchus)です。興味深いことに、3種はそれぞれ別の場所にすみ分けていました。トウホウソコキホウボウがいたのは海山、モヨウキホウボウ6個体が見つかったのは海底の谷。同じ科の魚が場所ごとに違う環境へ適応していった可能性があり、チームは今後、熊手のひげ・歩行・食べ方がどう一緒に進化してきたのかを調べていくとしています。深海の「歩く魚」の観察は、まだ始まったばかりです。

解釈上の留意点

今回の報告は、少数の個体を対象にした観察研究です。後ろ歩きや跳躍がこの種でどのくらい日常的な行動なのか、他のキホウボウ科でも見られるのかは、観察例を積み重ねないと分かりません。また「目に光への感度が残っている」というのは、ライトへの反応という行動から推測された話で、視力がどの程度あるのかを測定したわけではありません。「退化しきるほど長くいなかったのでは」という部分も、研究チーム自身が問いとして挙げている段階で、結論ではありません。

出典

Han Tian et al. “Walking Fish” Ocean-Land-Atmosphere Research(2026年7月30日掲載)
https://doi.org/10.34133/olar.0172

プレスリリース(EurekAlert!):Fish-prawn hybrid observed walking backward for the first time
https://www.eurekalert.org/news-releases/1141721

解説記事(ScienceAlert):Scientists Filmed an Alien-Looking Fish Moonwalking Across The Seafloor
https://www.sciencealert.com/scientists-filmed-an-alien-looking-fish-moonwalking-across-the-seafloor

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