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キイロショウジョウバエのオス1匹分の中枢神経系——脳と、その下に続く腹側神経索(ふくそくしんけいさく)——に含まれる神経細胞166,700個を、1個も飛ばさずに配線図にした、という報告が出ました。細胞どうしのつなぎ目(シナプス)も数百万個ぶん追ってあります。作ったのは、米ハワード・ヒューズ医学研究所のジャネリア研究キャンパスにあるFlyEMチーム、英ケンブリッジ大学とMRC分子生物学研究所のコネクトミクスグループ、それにGoogle Researchの合同チーム。論文は2026年9月3日にCellと、姉妹誌のCurrent Biologyに載りました。
ハエの脳はケシの実ほどの大きさです。その中に10万個を超える神経細胞が詰まっていて、それぞれが何十、何百という相手と手をつないでいます。今回の地図は、そのすべてを1本ずつたどったものです。
コネクトームという地図
神経細胞のつながりを網羅した配線図のことを「コネクトーム」と呼びます。作り方は、いまのところ力仕事です。神経組織を薄く薄くスライスして、1枚ずつ電子顕微鏡で撮影し、数百万枚の画像をコンピュータで積み重ねて立体に戻す。そのうえで、細胞1個1個の輪郭をたどり、どこで別の細胞に触れているかを見つけていきます。
今回も流れは同じです。ジャネリア側が集束イオンビーム走査電子顕微鏡という装置で撮影し、Google Researchが機械学習で画像の中の細胞を切り分け、ジャネリアとケンブリッジの人手で誤りを直しながら細胞の種類を決めていきました。人手の分だけで延べ44年ぶんの作業量だったそうです。できあがったデータは、道具ごと無料で公開されています。
コネクトームの歴史は、1986年に完成した線虫C. elegansの302個から始まります。それから40年近くかけて、2023年にショウジョウバエの幼虫(約3,000個)、2024年に成虫メスの脳(約14万個)と、規模が桁で上がってきました。今回の166,700個は、いまのところ最大です。
2024年のメスの脳と、今回のオスの中枢神経系
ここで、数の比べ方に一つ注意があります。2024年のメスの地図は「脳」だけで、体側に伸びる腹側神経索は含まれていません。今回のオスは脳と神経索を、首の部分でつながったまま丸ごと収めています。神経索はヒトでいう脊髄にあたる部分で、歩く・飛ぶ・交尾するといった体の動きを直接受け持っている場所です。ここだけで2万個ほどの神経細胞があります。
つまり「メス14万、オス16.7万」という並びは、オスの脳が大きいという意味ではありません。範囲が広いだけです。脳どうしで比べれば、細胞の数はほぼ同じ規模になります。
それでも今回、脳と神経索を切らずにつないだことには意味があります。目に入った光が、脳の中でどう処理されて、最後に脚を動かす細胞まで届くのか。その道筋を、途中で別のデータに乗り換えることなく、1本の地図の上で最初から最後まで追えるようになりました。共同主導者の一人、ケンブリッジ大学のグレッグ・ジェフリス氏は、これを「目から脚まで一気に行ける」と言い表しています。
そしてもう一つ。これまで完成していたハエの脳コネクトームは、2020年の部分的な地図も、2024年の全脳も、すべてメスでした。オスの全体像は、これが初めてです。
オスとメスの行動の違い
ショウジョウバエのオスとメスは、見た目はあまり変わりませんが、行動はかなり違います。オスは羽を片方ずつ広げて震わせる「歌」で求愛し、メスはそれを受け入れるか断るかを決めます。けんかの仕方も違って、メスは頭突き、オスは相手に向かって突進します。同じにおい——たとえば別のオスのにおい——を嗅いだとき、オスは攻撃に向かい、メスは求愛を受ける側の行動を見せます。
こうした違いは遺伝子のレベルではよく調べられていて、fruitless(フルートレス)やdoublesex(ダブルセックス)という性決定にかかわる遺伝子が、一部の神経細胞の中で働いていることが分かっています。ただ、それらの細胞が脳全体の配線の中でどこにいて、どこに何をつないでいるのかは、細胞を1種類ずつ光らせて調べる方法では、全体像として見えていませんでした。
オスとメスの地図が両方そろえば、そこに正面から取りかかれます。同じ描き方で作った2枚を重ねて、どこが違うかを見ればよいからです。チームはまずそれをやりました。
5%の細胞がつくる、12%の配線差
結果から言うと、オスとメスの脳は、思ったよりよく似ていました。
片方の性にしか存在しない細胞と、両方にあるけれど形やつなぎ先が違う細胞を合わせても、オスの脳では全体の5%に届きません。メスでは3%未満です。9割以上の細胞は、オスでもメスでも同じ種類・同じ場所にあって、同じような相手とつながっている。感覚を受け取る入り口の細胞と、筋肉を動かす出口の細胞は、とくにそうでした。
ところが、「配線に違いが出ている細胞」を数え直すと、話が変わります。オスの脳では12%、メスでは4%。性差のある細胞そのものの割合の、2倍以上です。
どういうことかというと、性差のある細胞は数こそ少ないけれど、つなぐ相手が多い。だから、その細胞が1個いるだけで、周りにいる性差のないふつうの細胞まで、受け取る信号の中身が変わってしまいます。差は少数の細胞に生まれて、そこから配線をたどって広がっていく。オスの脳で配線差が12%に膨らんでいるのは、そういう仕組みでした。
そして、その少数の細胞がいる場所にも偏りがありました。散らばっているのではなく、脳の上位の領域——感覚の入り口と運動の出口の間にあって、判断や行動の選択にかかわるとされる場所——に集まって、密につながったハブのような塊を作っていたのです。感覚も運動も共通なのに行動が違うのは、その中間で、入ってきた情報の行き先が性によって別のルートへ振り分けられているからだ、というのがチームの読み方です。

上の図のように、両端は同じで、真ん中の少数の結び目だけが違う。行動の違いは、その結び目から先の経路の違いとして現れます。同じ入力から違う出力を作るのに、脳を丸ごと作り替える必要はなかったわけです。
行動との突き合わせ
Current Biologyに載ったもう1本の論文は、地図で見つけたこの偏りを、実際の行動と突き合わせたものです。ジャネリアのジェリー・ルービン氏らのチームが、オス特有の細胞ネットワークを調べ、求愛行動の特定の場面や、オスならではの攻撃行動(突進など)を協調して動かしているらしいネットワークを見つけています。回路のどこで信号の行き先が切り替わっているのかまでは、今後の課題として残されています。
同時に出た残り2本は、この地図を別の目的に使った例です。1本はハエの味覚。脚・翅・口・喉の内側にある味の受容器から脳までを追い、その先で「飲み込む」「歩く」といった行動の回路とどうつながるかを調べました。もう1本は視覚で、目からの情報が脳の奥深くまで届いていて、地図に登録された約11,700種類の細胞型のうち半分以上が視覚の処理に関わっている、という結果でした。
マウス、そしてヒトへ向けた手順書
今回のオスの地図は、それ自体が調べ物の道具であるのと同時に、もっと大きな脳の地図を作るための手順書にもなっています。撮影・自動切り分け・人手による確認という一連の流れを、脳と神経索をまたぐ規模でも回せることが示されたからです。共著者でChampalimaud財団のカルロス・リベイロ氏は、この仕事がマウスやヒトのコネクトームに向けた技術的な道筋になる、と話しています。
ジャネリアでは、近いところではゼブラフィッシュの幼生や小型魚ダニオネラの脳を狙っていて、メスのハエの脳と神経索を丸ごと撮影したデータの再構築も始まっています。オスの脳と神経索を丸ごと収めた地図が1枚あって、メスの脳が1枚ある。次はメスの神経索まで含めた2枚をそろえて、首から下の違いも見ていく、という順番です。
ハエの脳を調べるのは、それが小さいからです。ヒトの脳の神経細胞は約860億個。ハエの脳の10万個とは桁が6つ違います。それでも、感覚の入り口と運動の出口は共通で、真ん中の少数の結び目が行き先を変える、という作りは、ハエに限った話なのかどうか。それを確かめるには、次の地図が要ります。
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出典
Berg, S. et al. “Sexual dimorphism in the complete Drosophila male central nervous system connectome.” Cell 189(18), 2026.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2026.08.015
Rubin, G. M. et al. “Networks of sexually dimorphic neurons that regulate social behaviors in Drosophila.” Current Biology, 2026.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2026.08.013
MRC Laboratory of Molecular Biology プレスリリース(2026年9月3日)
First complete connectome of male fly central nervous system allows for unprecedented male-female brain comparison
University of Cambridge リサーチニュース(2026年9月3日)
Comparison of male and female fly brains is unlocking the secret workings of the mind
Janelia Research Campus ニュース(2025年10月6日、プレプリント公開時)
Researchers reveal connectome of the male fruit fly central nervous system
データ公開ページ:Male CNS Connectome
Live Science(2026年9月3日)
New map of a male fly central nervous system includes all 166,000 neurons — and enables direct comparisons to female fly brain


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