イギリスのチェスター動物園で、体長4.5メートルのアミメニシキヘビが顎のがんの治療を受け、いまは再発の兆候もなく元気に暮らしています。使われたのは「電気化学療法」という、もともと人間向けに開発された治療法です。動物園と英リヴァプール大学の獣医チームによれば、ヘビにこの治療が行われたのは知られている限り世界で初めてとのことです。
「動物園のヘビにそこまでするのか」と思う人もいるかもしれませんが、この話の面白さは、治療の中身のほうにあります。順に見ていきます。
「JF」と書かれた書類から名前がついたヘビ
主役の名前はジョディ・フォスター。もちろん女優と同じ名前ですが、由来は少しひねりがあります。約20年前にこのヘビが動物園にやってきたとき、書類に「JF」と書いてありました。juvenile female、つまり「若いメス」の略です。それを見た飼育員が、これはもうジョディ・フォスターだろう、と名付けたそうです。
種類はアミメニシキヘビ。世界で最も長くなるヘビで、記録では10メートルに迫る個体もいます。ジョディは体長4.5メートル、体重50キロ。人間の大人ひとり分の重さがある生き物です。
異変に気づいたのは飼育員でした。食べる量が減り、じっとしている時間が長くなった。検査をすると、顎に線維肉腫という悪性の腫瘍が見つかりました。
一度は切除、しかし1年後に戻ってきた
最初の対応は手術による切除でした。これ自体は成功しています。ところが1年ほどたって、同じ場所に腫瘍が再発します。しかも今度は顎の骨に食い込みはじめていました。
ヘビにとって顎は命綱です。餌をくわえ、締めつけ、飲み込む動作はすべて顎から始まります。腫瘍が大きくなれば食べられなくなり、それはそのまま死につながります。
動物園の獣医イアン・アッシュポール氏は、再発した時点で「もう一度切るだけでは足りない」と判断したと話しています。そこで、近くのリヴァプール大学のがん専門獣医と相談し、人間の医療で使われている電気化学療法をヘビに応用できないか検討することになりました。
電気で細胞の膜をこじ開けて、薬を入れる
電気化学療法の仕組みは、名前ほど難しくありません。
まず、ブレオマイシンという抗がん剤を腫瘍のある部分に投与します。次に、その組織に細い金属の電極を刺し、短い電気パルスを何回か流します。電気を受けた細胞は、膜に一時的に小さな穴が開いた状態になり、外にある薬が中に入りやすくなります。がん細胞の側から見れば、普段は通れない薬が一気に流れ込んでくる、ということです。

この方法の利点は、薬の量を減らせることと、多くの場合1回の処置で済むことです。人間では1990年代から使われはじめ、いまでは犬や猫の腫瘍にも使われています。ただ、ヘビに使った例はこれまで報告がなく、爬虫類ではカメやトカゲの症例報告があるくらいでした。
手術台を2台つなげて、90分
治療そのものは2025年10月に行われました。今回のニュースは、その後の経過観察を終えて動物園が公表したものです。
4.5メートルのヘビが乗る手術台は存在しないので、獣医チームは手術台を2台つなげて、ダブルベッドほどの広さを確保しました。麻酔は飼育舎の中でかけ、それから動物病院へ運んでいます。ヘビは自分で体温を保てないので、手術中は電気毛布と温風で体温を維持しました。

手術ではまず腫瘍を取り除き、続いて病変が広がっていた顎の骨の一部も切除しました。そのうえで残った組織に抗がん剤を入れ、電極を刺して電気パルスを流す、という手順です。所要時間は90分。麻酔からの覚醒は「驚くほど早かった」とアッシュポール氏は話しています。
顎の骨を一部失っても、食べられた理由
ここが個人的にいちばん面白いと思った点です。
顎の骨の一部を失えば、普通は食事に支障が出そうなものです。ところがジョディは、手術後も餌に飛びつき、くわえ、飲み込む動作を問題なくこなしていると動物園は報告しています。
これはヘビの顎の構造が味方した部分が大きいと考えられます。ヘビの下顎は左右がしっかり接合しておらず、それぞれが独立して動きます。だから自分の頭より何倍も大きな獲物を飲み込めるわけですが、その柔軟さが、骨の一部を失った状態でも機能を保つ方向に働いたようです。人間の顎なら同じ手術で食事に大きな影響が出るところを、ヘビはもともとの体のつくりで乗り切った、と言えます。
数か月の経過観察を経て、最終検査でも再発の兆候は見つかりませんでした。食欲は戻り、体重も増え、飼育員いわく「いつもの元気で気の強い性格」に戻っているそうです。
まだ論文にはなっていない
ひとつ、書いておくべきことがあります。今回の情報の出どころは動物園とリヴァプール大学の発表であって、査読を経た論文ではありません。チームは手順の詳細を論文として発表する予定だと述べていますが、いまの時点では「1頭のヘビでうまくいった」という一例の報告にとどまります。ヘビ全般に電気化学療法が効くと言える段階ではありません。
それでも、この一例には意味があります。もともと人間のために作られた治療法が、犬や猫を経て、ついに爬虫類にまで届いた。しかも「薬の量を減らせて1回で済む」という特徴は、何度も通院させるのが難しい動物園の動物にとって、人間以上に向いている面があります。獣医療が人の医療のあとを追いかけている、というより、人の医療で生まれた道具の使い道が、動物の側で広がっている、という見方のほうが近いのかもしれません。
アッシュポール氏はこう言っています。ある日は数グラムのカエルを治療して、次の日は4.5メートルのヘビを手術室に運ぶ。動物園の獣医という仕事の幅を、これほど端的に表す言葉もなかなかありません。
参考リンク
チェスター動物園の発表(英語):World’s first cancer treatment saves python after tumour destroys part of her jaw
リヴァプール大学の発表(英語):‘World-first’ cancer treatment saves python after tumour destroys part of her jaw
Smithsonian Magazineの記事(英語):This 15-Foot Python Is the First Known Snake to Receive Electrochemotherapy for Cancer


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