患者ひとりの遺伝子変異だけに合わせて設計した薬を、実際にその人に投与する。そんな臨床研究の結果が、2026年7月21日付のNature Medicineに載りました。対象はSCN2Aという遺伝子の変異で重いてんかんと発達の遅れを抱える、二人の男の子です。
結果は、きれいに分かれました。14歳で投与を始めた患者では発作が推定90%減り、15歳のときに介助なしで歩けるようになりました。一方、9歳で始めたもう一人では発作の減少は推定26%にとどまり、統計的に意味のある差とは言えませんでした。二例だけの、しかも結果の割れた研究です。それでもこの報告が注目されたのは、「患者がその人ひとりしかいない病気に、どうやって薬を届けるのか」という問いに、実際に手を動かした答えが示されたからです。
SCN2A変異が起こす発達性てんかん性脳症
SCN2Aは、脳の神経細胞にあるナトリウムチャネル(NaV1.2)という部品の設計図です。神経細胞が電気信号を出すときに、ナトリウムイオンを通す門の役割をします。この設計図に変異が入ると、門が開きやすくなったり電流が流れすぎたりして、神経細胞が興奮しやすくなる。その結果、生まれてすぐの時期から止まらない発作が起きるのが、発達性てんかん性脳症(DEE)と呼ばれる状態です。発作だけでなく、発達の遅れ、運動の障害、消化管の不調まで幅広く伴います。
誤解されがちなのですが、SCN2Aの変異そのものは決して珍しくありません。DEEの遺伝的な原因としてはむしろ多い部類で、てんかん性脳症全体の1〜2%を占めるとされます。問題はその中身のほうです。SCN2Aのどこに、どんな1文字の書き換えが入っているかは患者ごとに違い、しかもその違いによって症状の出方まで変わってきます。つまり「SCN2Aの病気」でひとくくりにできず、実質的には一人ひとりが別の病気に近い。だから、ある変異に合わせた薬を作っても、それを使える人は世界にほんの数人しかいない——製薬企業が開発費を回収できる見込みが立たない、という構造がここにあります。
今回の二人も、症状はかなり違いました。9歳の患者(論文でいうPatient 1)は生まれてすぐに発作が始まり、重い知的障害と自閉スペクトラム症があります。ことばは話せませんが意思疎通の補助ボードを使え、歩行は正常でした。10種類を超える抗てんかん薬が効かず、投与前の時点で月におよそ30回の発作があり、週に二度ほど発作を止めるための頓用薬を使う状態でした。年に1〜2回はてんかん重積で救急外来か入院に至っています。
14歳の患者(Patient 2)は、生後8か月でウエスト症候群(点頭てんかん)が始まりました。ミオクロニー・焦点・強直と複数のタイプの発作が出て、やはり10種類以上の薬が効かない。ほぼ毎日発作が起きる状態で、2歳のときにホスピスへの紹介を受けています。全般的な発達の遅れが重く、ことばはなく、絶えず身体がくねるような不随意運動(アテトーゼ)があって、自力では歩けませんでした。慢性的な消化管の不調も抱え、排便のたびに座薬を使う必要がありました。この子が、報道で名前を公にしているコナー・ダルビーさんです。
変異した側だけを狙う分子の設計
使われたのはアンチセンス核酸(ASO)——標的にしたい遺伝情報にくっつく、短い人工の核酸です。DNAそのものを書き換えるのではなく、DNAから写し取られた「作業用のコピー」であるRNAのほうを狙い、それが実際のタンパク質になる前に分解へ導きます。蛇口の水を止めるのではなく、水を運ぶバケツのほうを取り上げるやり方だと考えるとイメージしやすいかもしれません。脊髄性筋萎縮症や筋萎縮性側索硬化症では、すでに実用化された薬があるタイプです。
ただ、SCN2Aで単純にASOを使うと困ったことになります。人はSCN2Aを2つ持っていて、二人の患者はどちらも片方だけが変異した状態(ヘテロ接合)です。区別せず両方を止めてしまうと、健康なほうまで減ってしまう。SCN2Aは減りすぎても問題を起こす遺伝子で、その機能低下は自閉スペクトラム症の代表的な遺伝的原因のひとつに数えられています。効かせすぎれば別の害が出る、という綱渡りの標的なのです。
そこでチームが取った手が、変異した側だけを見分ける仕掛けです。手がかりに使ったのは、変異そのものではなく、たまたま同じ側の染色体に乗っている無害な1文字の個人差(SNP)でした。長い範囲を一気に読めるロングリード配列解析で、どのSNPが変異と同じ側に乗っているかを確定させ、そのSNPを目印にASOを設計する。こうすると、健康なほうにはくっつかず、変異した側の写しだけを選んで壊せます。
設計と絞り込みは総当たりに近い作業でした。500種類を超えるASO候補を作り、患者本人の細胞から作ったiPS細胞を神経細胞に分化させて、そこで効き目と選択性を測る。最終的に残った1本は、変異側と健康側の効きの差が、9歳の患者用で42倍、14歳の患者用で53倍でした。二人に共通して使えるASOは見つからず、結局それぞれ別の分子を作ることになっています。マウスとラットでの安全性試験を経て、FDAに研究用の新薬申請を出し、患者一人ずつを対象とした試験として実施されました。

二人の患者に現れた効果の差
14歳で投与を始めた患者では、投与前42日ぶんと投与後480日ぶんの発作記録を比べています。統計モデルによる推定で、発作は約90%減りました(P<0.001)。発作のない日は投与前が0%、つまり一日も発作から解放されない状態だったのが、投与後には46%に増えています。数の面でも、投与前は1日平均2.0回だったのが、14か月後には1日平均0回になりました。16か月で8回の投与を受けた時点での数字です。
9歳で始めた患者のほうは、投与前90日ぶん、投与後744日ぶんの記録で比べています。推定される発作の減少は約26%。ただしこれは統計的に意味のある差とは言えませんでした(P=0.286)。発作のない日の割合も、57.8%から66.5%へと動いてはいますが、もともと6割近くは発作のない日だった人なので、変化の幅としては小さく見えます。
ただ、この患者にも数字に出にくい変化がありました。生まれたときからフェニトインという抗てんかん薬を高い血中濃度で使い続けていて、濃度が下がるとてんかん重積を起こす状態だったのですが、投与開始からおよそ310日目にこの薬をやめられています。副作用の負担が大きい薬をひとつ手放せたのは、発作の回数だけでは測れない意味を持ちます。24か月で12回の投与を受け、投与開始後は二人とも、発作を理由とした救急受診も入院もありませんでした。
効いたほうの患者でも、単純ではない現象が観察されています。ASOの量を増やしたときのほうが、少ない量のときよりわずかに発作が多い、という関係が統計的にはっきり出たのです(P<0.001)。ナトリウムチャネルを減らしすぎると別の形で発作が起きうること、他の抗てんかん薬との兼ね合いがあること、脳の回路レベルでの適応が絡むこと——論文は投与量の最適化がそれだけ込み入った問題だとして、長期の追跡が要ると述べています。
15歳での独立歩行という到達点
この研究でいちばん語られている変化が、歩行です。14歳で投与を始めた患者は、それまで自力で歩いたことがありませんでした。不随意運動が強く、姿勢を保つこと自体が難しかったからです。それが投与開始後、運動の協調が改善し、15歳のときに介助なしで歩くという到達点に届きました。母親のケリー・デル・レアルさんによれば、17歳になった現在は50〜60歩を自分で歩けるといいます(こちらの歩数は家族が地元メディアに語った近況で、論文に記載された数値ではありません)。
研究に加わったカリフォルニア大学サンディエゴ校の神経内科医オリビア・キム=マクマナス氏は、この歩行の獲得を予想外のものと位置づけたうえで、発達には確かに限られた時期があるものの、脳の可塑性はその先も続きうることを示す結果だと述べています。発達の窓が閉じたあとでは手遅れ、と考えられてきた領域に、時間の猶予があるかもしれないという示唆です。
変化は歩行だけではありませんでした。この患者は座薬なしでは排便できない状態が続いていましたが、投与後は便の性状が正常な範囲に落ち着き、座薬の使用がほとんど不要になっています。論文は、ASOが自律神経の働きの乱れにも良い方向に作用した可能性を挙げています。意思疎通の評価尺度でも、いらだちや社会的な引きこもり、常同行動の面でも改善が見られました。9歳の患者のほうも、発達検査の複数の項目で伸びの速度が上がり、感覚過敏や自傷につながる行動が和らいでいます。年齢とともに発達の伸びは鈍るのが普通なので、その逆が起きたことに研究チームは意味を見ています。
投与の実際と安全性
ASOは飲み薬ではありません。腰から針を刺して、脊髄を包む液(髄液)に直接注入します。投与の間隔はおおむね60〜90日、つまり2〜3か月に一度です。この間隔は最初から決まっていたものではなく、次の投与が近づくと発作が戻ってくる様子を見ながら、FDAの了承を得て短くしていったものでした。効果が切れる前に打ち直す、という調整をしている段階だということです。

安全性については、二人ともASOに関連する有害事象も重篤な有害事象も報告されていません。血液検査や生化学検査の異常もなく、心電図や脳波にも投与前と比べて意味のある変化は見られませんでした。ASOという薬の性質上、続けて打つ必要があるので、耐えられるかどうかは効き目と同じくらい重要な条件になります。
同じ薬を使える患者を探す試み
「一人のための薬」で終わらせない道も、同じ論文の中で検討されています。鍵になるのは、標的にしたSNPが実はありふれたものだという点です。二人のASOが目印にしたSNPは、世界の集団のうちそれぞれ27%と18%が持っているもの。ということは、変異の場所は違っても、同じSNPの並び方をしている患者なら、すでに作ってある薬をそのまま使える可能性があります。
チームは、ラディ小児ゲノム医療研究所で全ゲノム解析によりSCN2A関連疾患と診断された19人を調べました。うち16%——3人が、14歳の患者のために設計されたASOをそのまま使える配列の組み合わせを持っていたといいます。19人中3人という小さな数字ですが、n=1で作った薬が別の患者にも届きうることを、実際のデータで示した部分です。発症してすぐに全ゲノム解析で診断がつく体制と組み合わせれば、発作が始まった数日後には狙いを定めた治療の設計に入れる、という筋道も見えてきます。
費用と体制という壁
この二本の試験を成立させたのは、n-Lorem財団という非営利団体です。設立したスタンリー・クルック氏は、もともとASO医薬の大手アイオニス・ファーマシューティカルズの最高経営責任者でした。2017年、デル・レアルさんともう一人の親が同社に連絡を取り、自分の子どもの変異に合わせた薬を作れないかと尋ねます。クルック氏の答えは、患者が少なすぎて商業的なプログラムとしては成り立たない、というものでした。
ただ、彼はその依頼を忘れませんでした。のちにアイオニスを退いて非営利のn-Lorem財団を立ち上げ、極めて稀な変異を持つ人のための薬を作る仕事を始めます。クルック氏は、これは自分にとって道義の問題に変わったと語っています。コナーさんの薬は、その財団が資金を出して作ったものです。開発には3年かかりました。
ここに、この分野の最大の課題があります。一人ひとりに設計し、細胞試験と動物試験を通し、規制当局と個別に協議し、投与を続ける——この一式を、何人ぶん回せるのか。研究に関わっていないボストン小児病院の遺伝性疾患専門医ティモシー・ユー氏は、こうした進展に励まされるとしつつ、それがまったく足りていないことを痛切に自覚している、と述べています。技術ができることと、必要な人全員に届けられることのあいだには、まだかなりの距離があります。
解釈上の留意点
この報告を読むときに、切り分けておきたい点がいくつかあります。
まず、患者は二人だけです。しかも結果は割れています。90%という数字だけを取り出せば劇的に見えますが、もう一人では26%で、統計的に意味のある差は出ませんでした。論文自身が、この方式が他の患者でどれだけ効き、どれだけ安全かは、この二例だけでは決められないとしています。ゲノムに書き込まれた変異の中身によっては、すでに神経回路の作られ方が変わってしまっていて、後から手を入れても戻せる範囲に限りがあるかもしれない——その可能性も論文は明示的に書いています。
試験の設計にも限界があります。どちらもオープンラベル、つまり患者も医師も薬を使っていることを分かった状態での試験で、偽薬を使った比較はありません。比較の相手は「その人自身の投与前」です。この形は、患者が一人しかいない病気では現実的な唯一の選択肢ですが、期待による影響や、時間とともに自然に起きる変化を切り分けにくいという弱さは残ります。発作の減少率も、記録した回数をそのまま割ったものではなく、統計モデルから推定した値です。
そして、これは遺伝子そのものを書き換える治療ではありません。DNAは変異したままで、そこから写し取られるRNAを、そのつど減らしているだけです。だから効果を保つには2〜3か月ごとの注射を続ける必要があります。「治った」わけではないというのは、比喩ではなく仕組みの話です。データの締め切りは2025年6月で、効果がこの先どこまで持つのかは、まだ誰にも分かりません。
そのうえで、この研究がはっきり示したことは残ります。患者が世界に数人しかいない変異に対して、その人のためだけの薬を設計し、規制の手続きを通し、実際に投与して、安全に効かせられる場合がある——医療の届け方として、そういう道が現実に通ることを、二本の試験が実地で確かめました。数を集められないから何もできない、という前提のほうが動いた、というのがこの報告の芯です。
出典
- Kim-McManus, O. et al. “Individualized antisense oligonucleotides for SCN2A-related developmental epileptic encephalopathy,” Nature Medicine (2026). DOI: 10.1038/s41591-026-04527-y(元論文・オープンアクセス)
- ClinicalTrials.gov 登録情報(NCT06314490)
- After Receiving a Custom Experimental Medicine, a Teen With a Rare Genetic Disorder Walked on His Own for the First Time(Smithsonian Magazine, 2026年8月3日)
- n-Lorem Foundation 公式サイト


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