何年も机の上で書類を押さえていた鉄の塊。中身は165年前の火薬が生きたままだった

歴史
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テキサス州の男性が、何年も机の上で書類の重しに使っていた鉄の塊。ある日それが、炸薬(さくやく=弾の中に詰められた火薬)の生きたままの砲弾だと判明しました。南北戦争のころに作られたものです。

爆発物処理の専門家が引き取り、50マイル(約80キロ)以上離れた演習場まで運んで爆破しました。けが人はなし。ただ、それまでの数年間、この家を訪ねてきた人たちは、みんなその鉄の塊を手に取って眺めていたそうです。

机の上に置かれていた鉄の塊

持ち主はテキサス州アタスコサ郡に住むスティーブ・マーティンさん。もとは息子さんが釣りに出かけた先で拾ってきたもので、それをもらい受け、書類の重しとして机に置いていました。

見た目が変わっているので、来客のたびに話題になったといいます。誰もが手に取り、ひっくり返して眺める。マーティンさん自身も含めて、その場にいた全員が「訓練用の模擬弾か何かだろう」と思っていました。

流れが変わったのは、2026年7月に入ってからです。マーティンさんが立ち話をしていたトラック運転手に軍隊経験があり、その人が「これは中身が入っているのでは」と口にしました。

通報から爆破処分までの三時間

アタスコサ郡保安官事務所によると、7月28日火曜の午前8時少し前に通報が入り、副官が現場に向かいました。念のためということで、サンアントニオのラックランド空軍基地(統合基地サンアントニオ=ラックランド)から爆発物処理チームの派遣を要請。郡の救急部門と危機管理部門も現場に入っています。

処理チームの判定は、南北戦争期の「パロット砲弾」で、生きている、というものでした。砲弾はサンアントニオ北方にある演習場キャンプ・ブリス(Camp Bullis)の爆破場へ運ばれ、そこで処分されました。現場が解除されたのは午前11時前。通報から3時間ほどの出来事です。けが人はなく、立件もされていません。

ジェイク・ゲラ保安官は、複数の機関がその場で連携して危険を取り除けたことを評価するコメントを出しています。マーティンさん本人はというと、模擬弾(dummy)だと思い込んでいたのは自分のほうが間抜け(dummy)だった、という言い回しで地元局の取材に答えていました。歴史的な品として保存してもらえなかったのは残念だったようです。

パロット砲という発明

パロット砲は、ウェストポイント(陸軍士官学校)出身の技術者ロバート・パーカー・パロットが1860年に開発した前装式(ぜんそうしき=銃口側から弾を詰める方式)の大砲です。当時パロットはウェストポイント鋳造所の責任者で、翌年に特許を取っています。

特徴は砲身の後部に巻かれた分厚い錬鉄の帯で、見ればすぐそれと分かる外観をしています。砲身の内側に施条(ライフリング)が刻まれていて、細長い弾に回転を与える。これによって、それまでの滑腔砲(内側がつるつるの砲)よりずっと命中精度が上がりました。米国国立公園局(NPS)の解説では、1862年のプラスキ砦、1863〜64年のサムター砦に対して北軍が壊滅的な効果を上げた、と書かれています。れんがと石灰の要塞は、それまで壊せないものとされていました。

ただし万能ではなく、鋳鉄製の部品を使っているぶん、同時代の他の施条砲より信頼性は低かったとNPSは付け加えています。撃つ側にも危険がある大砲でした。

パロット砲には10ポンドから300ポンドまでの種類があります。今回の砲弾は重さおよそ20ポンド、キログラムにすると約9キロ。ちょうど手に持てて、書類の重しには過剰なくらいの重量です。

黒色火薬の化学的な安定性

ここでひっかかるのは、160年以上前の火薬がなぜまだ機能するのか、という点です。

南北戦争期の炸裂弾に詰められていたのは黒色火薬でした。硝酸カリウム(硝石)、木炭、硫黄の三つを細かく挽いて混ぜたもので、米国司法省の鑑識訓練教材でも「機械的な混合物」と説明されています。ここが要点で、黒色火薬は化合物ではありません。三種類の粉が隣り合って置かれているだけで、常温では互いに反応しない。だから、放っておいても勝手に変質していくということが起きにくいのです。

上の断面図のように、砲弾は中が空洞になっていて、そこに火薬が詰まっています。1880年代以降に広まった無煙火薬とは、この点で性質がまったく違います。無煙火薬の主成分ニトロセルロースは、それ自体がゆっくり分解していく物質で、放っておくと自分が出した分解生成物でさらに分解が進む。だから製造時に安定剤を混ぜますし、事実上の使用期限があります。

黒色火薬にとっての弱点は、時間ではなく水です。硝酸カリウムは水によく溶けるので、水が入り込めば溶け出して偏り、粉としての働きを失います。逆にいうと、乾いたまま保たれていれば、何十年でも何百年でも火薬のままでいられる。鋳鉄の弾体は、その「乾いたまま」を保つ器としてよくできています。

もうひとつ。火薬は野ざらしで火をつけても、勢いよく燃えるだけで爆発はしません。爆発になるのは、密閉された空間に閉じ込められて、燃焼で生じたガスの逃げ場がないときです。つまり、砲弾の弾体が割れずに残っていること自体が、そのまま「爆発できる状態」を意味しています。

そして、この砲弾のように水辺で拾われたものでも、中まで水が回っていなければ火薬は生きています。逆に、見た目がきれいでも中が水浸しで不発になっているものもある。つまり、生きているかどうかは外から見ても分かりません。

「ほぼ200年前」という発言のずれ

報道のなかで、保安官事務所のエリック・カイザー副署長が「ほぼ200年前のものがいまだに出てくるとは驚きだ」という趣旨のコメントを出しています。

数字だけ拾うと合いません。南北戦争は1861年から1865年、パロット砲の開発は1860年ですから、いま2026年から数えて165年前後です。Smithsonian誌の記事本文も「160年以上」と書いています。

驚きの中身が変わるわけではありませんが、「何年たっても危ない」という話をするときに年数がずれていると、話の芯がぼやけます。ここは165年前後、と押さえておくのがよさそうです。

退役軍人の遺品から出てくる弾薬

この手の発見は、米国では珍しくありません。FBIによると、セントルイス支局には軍用弾薬らしきものの通報が平常時でも週に1件ほど入ります。多いのは、退役軍人が亡くなったあと、家族が地下室やガレージや屋根裏を片づけていて出てくるケース。第一次・第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争のころの土産品が中心です。

FBIセントルイス支局は2022年1月にこの問題の啓発週間を設けました。心当たりがあれば連絡してほしいと呼びかけたところ、その一週間だけで17件の通報が入っています。平常時の週1件と比べると、家庭に眠っている数がどれくらいあるのかがうかがえます。

南北戦争期のものも出てきます。同じ2022年1月には、陸軍工兵隊がミシシッピ川を浚渫(しゅんせつ=川底をさらう工事)していて、当時の砲弾を3個引き上げました。こちらもFBIの爆発物処理班が爆破処分しています。

日本国内で続く処理作業

日本でも、不発弾の発見と処理は今も続いています。

防衛省・統合幕僚監部が2026年7月15日に発表した実績によると、令和7年度(2025年4月〜2026年3月)に陸上で処理された不発弾等は1,655件、重量にして約37.4トンでした。単純に日数で割ると、1日あたり4件から5件のペースです。海上では、機雷の処理はゼロ、魚雷や爆雷、砲弾などその他の爆発性危険物が122個・約0.5トンとなっています。

地域の偏りははっきりしていて、沖縄県だけで466件・約11.5トン。全国の件数の約28パーセント、重量の約31パーセントが沖縄です。沖縄県は、県内で見つかる不発弾が年間およそ500件にのぼると説明しており、毎年8月を「不発弾処理推進月間」として周知にあてています。

日本の不発弾は太平洋戦争期のもので、南北戦争の砲弾より80年ほど新しい計算になります。ただし当時の航空爆弾や砲弾に使われていたのはTNTなどの高性能爆薬で、これらも密閉されて乾いた状態なら長く安定します。年数が経ったから安全になる、という関係にはありません。

発見したときの対応

不発弾らしきものを見つけたときの手順は、日本の各自治体・警察が繰り返し呼びかけているとおりです。

あわてず、さわらず、動かさず、すぐに110番するか最寄りの警察署へ連絡する。茨城県警の呼びかけはこの形にまとまっています。沖縄県は、たとえ小さなものでも絶対に近づかないこと、わずかな衝撃で爆発するおそれがあることを付け加えています。海の中で見つけた場合の連絡先は海上保安庁の118番です。

宜野湾市は、子ども向けの言い方として「触らない。蹴らない。持ち帰らない。大人に知らせる」を挙げています。この四つのうち、今回のテキサスの一件で破られていたのは三つ目でした。持ち帰ってしまえば、そこから先は自宅が現場になります。

FBI側の呼びかけも同じ方向で、911か地元警察にすぐ電話し、その場から十分に離れること、扱ってよいのは訓練を受けた処理班だけであること、を挙げています。通報をためらう人が多いが遠慮はいらない、というのが担当者の言い分でした。

解釈上の留意点

いくつか、書ききれなかった前提を補っておきます。

保安官事務所も基地も、この砲弾の中身が具体的に何だったのか(火薬の種類や量)は公表していません。上の黒色火薬の説明は、南北戦争期の炸裂弾に共通する一般的な話であって、この1発を分析した結果ではありません。

「南北戦争時代の不発弾は製造された当時とまったく同じ危険性を持ったままだ」という表現がこの件と一緒に紹介されることがありますが、これは今回のテキサスの当局の発言ではなく、2021年にメリーランド州で似た砲弾が処理されたときの、同州消防局長事務所の声明にあった言い回しです。趣旨としては今回にも当てはまりますが、発言の出どころは別件です。

通報日については、地元紙が保安官事務所の発表に基づいて「火曜の朝」と報じている一方、月曜としている報道もあります。ここでは発表元に近い地元紙に合わせました。

日本の処理件数は令和7年度の数字です。年度によって増減があるので、最新の状況は統合幕僚監部の発表を確認してください。

出典

A Man Used This Civil War Artifact as a Paperweight on His Desk. The Bomb Squad Told Him It Was Actually a Live Explosive(Smithsonian Magazine、2026年8月3日)

Suspected Civil War ordnance safely removed in Atascosa County(Pleasanton Express、2026年7月28日/アタスコサ郡保安官事務所の発表に基づく)

Robert Parrott(米国国立公園局)

Evolution of Propellants(米国司法省 国立司法研究所・鑑識官訓練教材)

Bomb Squads Safely Handle Decades-Old Military Explosives(FBI、2022年4月21日)

令和7年度における自衛隊の災害派遣及び不発弾等処理の実績について(防衛省・統合幕僚監部、2026年7月15日/PDF)

不発弾を見つけたら(沖縄県)

不発弾を見つけたら(茨城県警察)

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