「時計」なしで時間が生まれる小さな宇宙——2万4千個の超冷却原子で再現

科学・宇宙
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時計を使わずに「時間の流れ」を測れる——そんな実験がイギリスで行われた。バーミンガム大学のジョヴァンニ・バロンティーニ教授が、約2万4千個の超冷却原子でつくった小さな「宇宙」を舞台に、時間は外から与えられる物差しではなく、系の内側で起きる変化そのものから立ち上がりうることを示した。成果は物理学の学術誌『Physical Review Research』に2026年に掲載されている。

時間をめぐる物理学の難問

私たちは時間を、過去から未来へ一定の速さで進む「外にある物差し」のように感じている。ところが物理学の基本法則の多くは、時間を前に進めても後ろに戻しても同じように成り立つ。それなのに、日常の時間は決まって過去から未来へ流れる。この食い違いは昔からの謎で、とくに宇宙全体を扱おうとすると厄介になる。

その難しさが端的に出るのが、ホイーラー=ドウィット方程式と呼ばれる、宇宙全体を一つの量子状態として書こうとする式だ。この式には、外から時を刻む「時計」に当たる項が現れない。宇宙の外側には何もないのだから、時を測る基準も外には置けない、というわけだ。では、その中にいる私たちが感じる時間はどこから来るのか。一つの答えとして長く議論されてきたのが、「時間は、系を構成する部分どうしの関係の変化から立ち上がるのではないか」という考え方(関係論的な時間)だった。ただ、これはこれまで理論の中の話にとどまっていた。

超冷却原子でつくった「小さな宇宙」

バロンティーニ教授は、この抽象的なアイデアを実験台に載せた。使ったのは約2万4千個のルビジウム原子(金属元素の一つ)を、絶対零度(-273.15℃)よりわずか数十億分の1度ほど高いだけまで冷やした原子の雲だ。ここまで冷えると原子は一斉に同じ量子状態にそろい、ボース=アインシュタイン凝縮(たくさんの原子が一つの塊のようにふるまう状態)になる。

この原子の雲を、外の世界からほぼ完全に切り離した容器に閉じ込め、周波数の違う2本のレーザーでつくった薄い「壁」で二つの領域に仕切った。一方は観測する「明るい」領域、もう一方はあえて見ない「暗い」領域だ。原子は壁を越えて二つの領域を行き来できるが、系全体としては外とやり取りしない。つまり、小さいながらも「外に何もない宇宙」の縮小版になっている。

この「明るい」領域は、ふくらんでは縮む動きを繰り返した。宇宙が膨張したのち収縮に転じる——ビッグバンとビッグクランチ(膨張が反転して一点に戻る、仮想的な最期)を早送りで何度もなぞるようなふるまいだ。大事なのは、この一連の出来事の順番を、外の実験室の時計をいっさい使わず、系の内側の情報だけから並べ直せた点にある。

エントロピーから立ち上がる時間

順番を決める物差しとしてバロンティーニ教授が持ち込んだのが、エントロピー(乱雑さ・散らばりぐあいの指標)だ。原子が明暗の領域にどう分かれているかから系の「散らばり具合」を測り、その変化を時間の代わりに使う。教授はこれを「エントロピー時間」と呼ぶ。

このエントロピー時間には、私たちの知る時間らしい性質が備わっていた。つねに一方向に進むので、過去から未来へという「時間の矢」がはっきり出る。膨張と収縮を繰り返す系の中でも、出来事を正しい順に並べられる。そして進む速さは一定ではなく、エントロピーの動き方しだいで速くなったり遅くなったりした。明暗の間でエントロピーがさかんにやり取りされているときは時計が速く進み、やり取りが弱まると遅くなる。原子の分布が変わらなくなると、時間は事実上止まった。壁を高くして領域間の行き来を強く妨げると、系は変化の乏しい静かな状態(いわば「熱的死」)へ落ち着き、そこではエントロピー時間も進まなくなる。

裏づけとして、明るい領域と暗い領域のエントロピーを足し合わせた全体の量は、どの場面でも一定に保たれていた。これは、系がほんとうに外から切り離されていたことの確認になる。時間が動いて見えるのは全体が乱れていくからではなく、内側での「配分の偏り」が移り変わるからだ、というわけだ。

シュレディンガー方程式との整合

この研究がたとえ話づくりで終わっていないのは、次の点による。バロンティーニ教授は、量子力学の中心にあるシュレディンガー方程式(量子系が時間とともにどう変わるかを表す式)を、通常の実験室の時間の代わりにエントロピー時間で書き直せることも示した。書き換えた式の予測は、実際の測定データとよく一致した。内側から組み立てた「時計」が、ただの数式上の便法ではなく、系のふるまいをきちんと予言できる物差しになっている、ということだ。

宇宙論・量子重力の実験台として

この実験のいちばんの意味は、これまで紙の上でしか語れなかった「時間の問題」を、机の上の装置で試せる形にしたことにある。時間が本来そなわった性質なのか、それとも何かから立ち上がるものなのか——こうした問いを、理論だけでなく測定で突けるようになった。

バロンティーニ教授は、この仕組みをもっと複雑な系へ広げれば、ビッグバンやビッグクランチの物理、さらには実験室でのブラックホールの模擬、時間の生まれ方をめぐる複数の理論の比較などに使える可能性がある、としている。

解釈上の留意点

刺激的な話だが、範囲は正しくおさえておきたい。ここでつくられた「宇宙」は、あくまで超冷却原子による模型(量子シミュレーター)であって、本物の宇宙そのものではない。原子の雲がしたがうのはよく分かった量子力学であり、一般相対性理論の全体を再現しているわけではない。今回の結果は、現実の宇宙における「時間の問題」に決着をつけたものではなく、その問いを実験で扱うための最初の一歩、と受け取るのがちょうどよい。「小さな宇宙」という言い方も、別の宇宙を新しく生んだという意味ではなく、同じ宇宙の中につくった極低温の一角を指す、たとえに近い表現だ。

それでも、関係論的な時間という抽象的な発想に、初めて数量で確かめられる実験の足場ができた意義は大きい。時間とは何かという長年の問いに、実験の側から光を当てられるようになった。

出典・もっと知りたい人へ

研究の発表元(バーミンガム大学)の解説:Scientist creates ‘mini‑universe’ to measure time without a clock(University of Birmingham, 2026年6月12日)

元論文:Giovanni Barontini「Testing the problem of time with cold atoms」, Physical Review Research 8, L022047(2026年). DOI: 10.1103/1h9j-df4k

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