化学結合にも相対性理論が効いていた——重い元素で崩れる「三重結合」の教科書

科学・物理
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高校の化学で、三重結合の絵を描いた記憶がある人は多いと思います。真ん中に1本の太いシグマ結合が通っていて、その周りを2本のパイ結合が抱きかかえるように取り巻いている、あの図です。窒素分子でもシアン化物イオンでも、この描き方で説明がつきます。

ところが、周期表の下のほうにある重い元素では、この絵が成り立たないらしい。しかも成り立たない理由が、アインシュタインの相対性理論だというのです。ブラウン大学のチームがその直接的な証拠を実験で捉え、2026年7月9日付のScience誌に報告しました。

教科書における三重結合の描像

まず、前提の確認から。原子どうしは電子を出し合って結びつきます。おたがいに1個ずつ電子を出して電子のペアをつくると、そのペアの負の電荷が両側の原子核(正の電荷)を引きつけ、2つの原子がつなぎ止められる。これが化学結合です。ペアを2組つくれば二重結合、3組なら三重結合になります。

三重結合の3本は、教科書では2種類に分けて説明されます。1本目はシグマ結合。2つの原子核を結ぶ線の上を、正面からがっちり重なる形でつくられる強い結合です。残る2本はパイ結合で、こちらは軸の上下と左右から横並びに寄り添う形。重なり方が正面衝突ではないぶん、シグマ結合よりも弱くなります。

「1本のシグマ結合+2本のパイ結合」というこの分け方は、化学の中でもかなり基礎的な枠組みです。有機化学の反応の説明も、分子の形の予測も、この区別を土台にしています。

重い原子核がもたらす相対論効果

この描き方が怪しくなるのが、周期表の下のほう、原子核が重い元素です。

原子核が重くなると、その正の電荷に引かれて、内側を回る電子の速さが上がります。どれくらい上がるかというと、光速のかなりの割合に達するところまで。ここまで来ると、ふつうの力学ではなく相対性理論の出番になります。相対性理論というと宇宙や巨大な天体の話に思えますが、原子1個の内部でも同じ理屈がきちんと効いてくる、というわけです。

相対論の領域で何が起きるか。電子にはスピン——上向きか下向きかで表される、小さな磁石のような性質——があり、それとは別に原子核の周りをどう回っているか(軌道)という性質があります。ふだんこの2つは独立に扱えるのですが、電子が高速で動く状況では両者が絡み合ってしまう。スピン軌道相互作用と呼ばれる現象です。

そして、この絡み合いが、シグマとパイの線引きを溶かしてしまいます。論文の言い方では、シグマかパイかという分類がもはや意味を持たなくなり、代わりに「全角運動量の射影(ω)」という別の量だけが結合を区別する目印として残ります。ワン教授はこれを、境界がにじんだ状態だと表現しています。結合の本数が3本であることは変わらないけれど、その3本を「シグマ1本とパイ2本」と呼び分けることが、もうできない。

炭素とビスマスの結合で観測されたもの

この予想自体は1970年代から理論家のあいだで語られてきたものでした。ただ、実験でそれを直接見せた例がなかった。今回埋まったのが、そこです。

チームが選んだのは、炭素とビスマスが結びついたCBi⁻という分子イオンです。ビスマスは原子番号83、周期表では鉛のすぐ隣にいる重い元素で、相対論効果が効いてくるにはうってつけ。しかもCBi⁻は、シアン化物イオン(CN⁻)の窒素をビスマスに置き換えただけの、電子配置としては同じ仲間にあたる分子です。つまり教科書どおりなら、CN⁻と同じく「シグマ1本+パイ2本」の三重結合になっているはずでした。

実際に得られたスペクトルは、そうなっていませんでした。ブラウン大の発表によれば、CBi⁻の結合の姿は「パイ結合1本と、シグマとパイが混ざったハイブリッド結合2本」のように見えるといいます。教科書の内訳と、数の割り振りからして違っているわけです。

おもしろいのは、この発見のきっかけです。Chemistry Worldの取材によると、実験を担当していた大学院生のデニズ・カフラマン氏は、2本あるパイ軌道は当然そっくり同じ形に見えるものと思っていました。ところが実際に出てきた像では、2本がまるで違う姿をしていた。文献を探しても同じ報告は見つからず、それを聞いたワン教授が「誰も見ていないのなら、これは根本的な問いだ」と判断して追究が始まった、という流れです。もう一人の大学院生ジエ・フイ氏による追加実験で、この観測は裏づけられました。

つまり、ボールと棒でつくる分子模型が暗黙に前提している「結合は種類ごとにきれいに分けられる」という感覚は、重い元素の前では通用しない——それが実験で見えたことでした。

測定の手法

使われたのは光電子分光という手法です。分子にレーザーを当てて電子を1個はじき飛ばし、飛び出した電子の勢いを測る。強く縛られていた電子ほど、はじき出されたあとの勢いは弱くなります。この関係を使うと、分子の中で電子がどれくらいの強さで、どんな形の軌道に収まっていたかを読み取れます。

今回は精度を上げるために、分子を絶対零度近くまで冷やしてから測定しています。室温では分子自身の振動や回転がスペクトルをぼやけさせてしまうためです。さらに、飛び出す電子の方向まで測る角度分解という手法を組み合わせ、軌道の形を像として再構成しました。

実験と並行して、相対論を最初から組み込んだ理論計算(四成分ディラック・クーロン結合クラスター法)も走らせ、両者を突き合わせています。実験だけ、あるいは計算だけでは主張しきれないところを、二本立てで固めた形です。

ビスマス化学への波及

この結果が効いてくる先として、ワン教授は化学の教科書そのものの書き換えを挙げています。重い元素を扱う場面が増えていけば、シグマとパイという分け方を前提にした説明では足りなくなる、という見立てです。

その「重い元素を扱う場面」が、いま実際に増えつつあります。ビスマスは、次世代の太陽電池で毒性のある鉛の代わりになるかもしれない材料として注目されていますし、量子材料や量子コンピューターの研究でも名前が挙がる元素です。こうした応用を設計するとき、結合の強さや性質を見積もる土台がずれていれば、予測もずれます。基礎的な描像を実験で正した意味は、そのあたりにあります。

解釈上の留意点

いくつか、押さえておきたいところがあります。

まず、相対論効果が重元素の化学に効くこと自体は、新発見ではありません。1970年代から理論では言われてきた話で、金が金色である理由や水銀が液体である理由も、同じ理屈で説明されてきました。今回新しいのは、シグマとパイの枠組みが実際に崩れている様子を、実験で直接示したという点です。「相対性理論が化学に関係あるとは知られていなかった」という受け取り方をすると、話がずれます。

次に、測定されたのはCBi⁻という気相の分子イオン1種類です。重い元素の三重結合一般に同じことが起きていると考える理由はありますが、それは今回の実験そのものが示した範囲を超えます。

もうひとつ、報道の中には「パイ結合はシグマ結合より弱いのだから、混ざれば重元素の三重結合はむしろ強くなるはずだ」という推論を添えているものがあります。筋は通る話ですが、これはブラウン大の発表や論文要旨に書かれている結論ではなく、記事側の解釈です。結合の強さが実際どう変わるのかは、今回の内容とは分けて考えたほうがよさそうです。

なお、論文本文はScience誌の有料領域にあり、arXiv版も出ていません。無料で確認できる範囲は、ブラウン大のプレスリリースと、要旨・エディター解説になります。

出典

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