まひした手に「感覚」と「動き」が戻った——脳と脊髄をつなぐ二重の神経バイパス

医学・健康
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事故で首から下がまひした男性が、脳に埋め込んだ装置と皮膚に貼るパッチを組み合わせた仕組みで、手の動きと触った感覚を取り戻した——。そんな報告が、医学誌『Nature Medicine』の2026年7月16日号の表紙を飾りました。しかも驚くのはここからで、装置の電源を数か月間すべて切ったあとも、その回復が2年以上たった今も残っているといいます。

取り組んだのは、米ニューヨーク州にあるファインスタイン医学研究所のチーム。対象となったキース・トーマスさん(48)は、6年前のダイビング(水への飛び込み)の事故で首の骨を折り、首から下がまったく動かない完全四肢まひ(両手両足がまひした状態)になっていました。自分の手を顔まで持ち上げることもできなかった人が、いまはコップを持って自分で水を飲み、犬をなでられるまでになっています。

脳と体をつなぐ経路の断絶

手を動かす、というごく当たり前の動作は、脳が出した指令が脊髄(せきずい)という背骨の中を通る太い神経の束を伝って、手の筋肉まで届くことで成り立っています。反対に、何かに触れた感覚は、同じ経路を逆向きにたどって脳へ戻ってきます。脊髄は、脳と体をつなぐ幹線道路のような役目を担っているわけです。

脊髄が損傷すると、この道が途中で断たれます。脳は「動け」という指令をちゃんと出しているのに、その信号が手まで届かない。手が触れた感覚も脳まで戻ってこない。まひとは、手足そのものが壊れるというより、脳と手足をつなぐ配線が切れてしまった状態に近いものです。そして一度切れた脊髄の神経は、これまで自然にはつながり直さないと考えられてきました。

「二重の神経バイパス」という仕組み

チームが作ったのは、切れてしまった経路を電子機器で迂回する仕掛けです。研究では「二重の神経バイパス(double neural bypass)」と呼ばれています。バイパスとは迂回路のこと。動きの指令を送る道と、感覚を脳へ戻す道の、両方向を同時に橋渡しするので「二重」です。

2023年、トーマスさんは臨床試験としてこの手術を受けました。脳の表面に、電極アレイ(電気信号を読み取ったり流したりする小さなチップ)を5つ埋め込みます。置いた場所は、動きの指令を出す運動野(うんどうや)と、触感などを受け取る感覚野(かんかくや)という2つの領域です。あわせて、脊髄の上と前腕の皮膚に、刺激用のパッチを貼りました。こちらは手術で体内に入れるものではなく、皮膚の上から貼るだけの装置です。

動きの再建と感覚の再現

動かすときの流れはこうです。トーマスさんが手を動かそうと思うと、その意図に対応した脳の活動を、埋め込んだ電極が読み取ります。その信号を機械学習(AIの一種で、データからパターンを学ぶ仕組み)のプログラムが解読し、どんな動きをしたいのかを言い当てて、脊髄や前腕への電気刺激に変換する。切れた脊髄を電子機器が代わりに飛び越えて、脳の意図を筋肉へ届けるわけです。脳の信号を読み取る精度は85%に達したと報告されています。

感覚のほうはさらに凝った作りです。手には3Dプリンターで作った専用の装具が付いていて、そこに埋め込まれた圧力センサーが、物をつかんだときの握る力を測ります。その情報をもとに、脳の感覚野を電気で刺激し、「触っている」という感覚を脳の中に作り出します。チームはこれを実現するために「皮質ミラーリング」という手法を開発しました。まず、トーマスさんが触られる場面を思い浮かべたときの脳の活動を記録しておき、その活動を電気刺激で再現しながら、脊髄と皮膚も同時に刺激するというやり方です。

この感覚の訓練を右手首を中心に約25週間続けたところ、それまでまったく無感覚だった部分に触った感覚が戻ってきました。目隠しをした状態でも、中が空っぽの卵の殻を割らずにつかんで持ち上げることに、87%の割合で成功したといいます。力の入れ具合を感覚で調整できるようになった、ということです。

電源を切ったあとも続いた回復

ここまでは「装置が働いている間、動きと感覚を助ける」という話です。ところが今回いちばん注目されているのは、その先で起きたことでした。

装置を使いながらのリハビリを35週間続けたあと、トーマスさんの右腕の筋力は86%、左腕は62%も強くなっていました。そして研究チームが装置の電源を数か月間すべて切ってみたところ、これらの改善が失われずに残っていたのです。責任著者のチャド・ボウトンさんは、電源をすべて切って何か月もたっても回復が保たれており、これは前例のないことだと述べています。最近の追跡では、2年以上たってもこの状態が続いていたといいます。

なぜ装置なしでも回復が残るのか。研究チームが考えているのは、電気で刺激を送り続けたことで、神経系そのものが新しいつながりを作り替えたのではないか、という可能性です。脳や神経が経験に応じて配線をつなぎ替える性質を、神経可塑性(しんけいかそせい)と呼びます。つまりこの装置は、切れた経路を代わりに肩代わりするだけでなく、体自身に配線を引き直させる引き金になったのかもしれない、というわけです。

まひ治療の先にある可能性

世界でまひとともに生きる人は数百万人にのぼります。今回の仕組みには、そうした人たちにとって現実的に役立ちそうな要素がいくつかあります。

ひとつは、脊髄への刺激を皮膚の上から貼るパッチでまかなっている点です。体内に埋め込む手術が減れば、その分だけ患者の負担や手術のリスクも小さくできます。研究チームは、この二重の神経バイパスを一人ひとりのけがの状態に合わせて調整できる設計になっていて、脳卒中による手足の動かしにくさなど、ほかの神経の病気にも応用できる可能性があるとしています。今後は、まひの程度が異なる複数の参加者で試す、より大きな臨床試験を計画しているそうです。

一例の結果であることの重み

期待の大きい話ですが、受け止め方には注意もいります。これは今のところ、トーマスさん一人での結果です。手術も装置も非常に複雑なため、どの工夫がどの効果を生んだのかを切り分けるのは難しい、と研究に関わっていない専門家は指摘しています。誰にでもすぐ使える治療になった、という段階ではありません。

神経系が本当に配線を作り替えたのかどうかも、まだ確かめきれてはいません。研究に関わっていないカーディフ大学の神経科学者は、神経系が作り替わったという示唆は興味深いものの、まだ証明されたわけではないと述べつつ、日常の動作を自分でこなせるようになった運動面の改善はとくに目を見張るものだ、と評価しています。すごい成果ほど、どこまでが分かっていて、どこからが今後の課題なのかを冷静に見分けることが大事です。この研究の確かな価値は、参加者が食事や繊細な物の扱いといった、生活に直結する動作を自分でできるようになったこと自体にある、というのが専門家の見方でした。

出典

原論文(英語):Nature Medicine(2026年7月16日)論文ページを開く(本文は有料の場合があります)

研究機関のプレスリリース(英語):Feinstein Institutes’ double neural bypass trial featured in Nature Medicine(Northwell Health / Feinstein Institutes)

やさしい解説(英語):A Man With Paralysis Has Regained Feeling and Movement in His Hands After an Experimental Brain Implant(Smithsonian Magazine)

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