標本ならある。死骸も、たまに港に揚がる。けれど、生きて泳いでいる姿だけは誰も見たことがない——ミツクリザメは長いあいだ、そういう魚でした。
正確に言えば、生きた個体の映像はいくつか存在します。ただしそれは、釣り針や網にかかって海面まで引き上げられたあとの姿です。深海から急に連れ出された個体は弱り、多くはまもなく死んでしまいます。本来の住まいである深海で、元気に泳ぐミツクリザメを人間が記録した例は、公表されたかぎりでは一件もありませんでした。
その一件目と二件目が、同時に報告されました。ハワイ大学マノア校を中心とする研究チームが、太平洋の2か所で撮影されたミツクリザメの映像を、査読つきの学術誌『Journal of Fish Biology』に発表しています。しかも、そのうち1本は6年ものあいだ、公開されたアーカイブの中に埋もれていました。
ミツクリザメという魚
ミツクリザメ(英名ゴブリンシャーク、学名 Mitsukurina owstoni)は、平たく長く突き出した吻(ふん=鼻先)と、ピンク色がかった柔らかい体をもつ深海性のサメです。「生きた化石」と呼ばれるのは、ミツクリザメ科という科の中で、現在まで生き残っている唯一の種だからです。この系統の歴史はおよそ1億2500万年前までさかのぼります。恐竜がまだ栄えていたころから、姿かたちをあまり変えずに続いてきた一族の、最後の1種というわけです。
いちばん有名な特徴は顎(あご)でしょう。ふだんは頭の下に収まっている顎が、獲物を捕らえる瞬間に前方へ勢いよく飛び出します。サメの仲間の中でも、この突出のしかたは極端です。ただし、この動きが映像で確認されたのも、これまでは海面に引き上げられた個体を撮ったものでした。

名前に残る日本とのつながり
この魚は、日本と縁が深いことでも知られています。学名の属名 Mitsukurina は、東京帝国大学の動物学者で、三崎臨海実験所の初代所長を務めた箕作佳吉(みつくり かきち)にちなんだもの。種小名の owstoni は、標本を入手して箕作に託したイギリス人商人アラン・オーストンに由来します。相模湾で採れた1匹の奇妙なサメが、1898年にアメリカの魚類学者デイビッド・スター・ジョーダンの手で新種として記載され、そのまま新しい科・属・種になりました。和名の「ミツクリザメ」も同じ年に提唱されています。
発見当初は日本近海だけにいる魚だと考えられていました。その後、世界各地の深海で見つかるようになりますが、それでも記録の多くは限られた場所に偏っています。日本では東京湾・相模湾・駿河湾などから採集例があり、いまも「よく揚がる場所」のひとつです。
深海で撮られた2つの映像
今回報告された1本目は、2019年、太平洋のジャービス島の北西にある名前のついていない海山で撮影されたものです。海洋探査船ノーチラス号の遠隔操作探査機ハーキュリーズに載せたカメラが、水深1,237メートルでミツクリザメをとらえていました。
2本目は2024年、トンガ海溝の斜面です。調査船ダゴン号による探査航海の一環として、海底に沈める着底装置(ランダー)に餌つきのカメラを取りつけ、そこにミツクリザメが泳いできました。深さは1,997メートル。映っていた時間は20秒あまりでした。この航海では水深800メートルから1万800メートルにかけて50日以上ぶん連続で撮影していて、その中のわずか20秒です。どれだけ出会いにくい相手かがわかります。

アーカイブの中で見過ごされていた1匹
おもしろいのは、1本目の映像が「新しく撮られたもの」ではないことです。
2019年の探査航海の映像は、そのときライブ配信され、そのあとも公開アーカイブとして誰でも見られる状態で置かれていました。同僚たちが内容の注釈づけも進めていました。つまり、映像は6年前からそこにあり、誰でもアクセスできたのです。
2025年、筆頭著者のアーロン・ジューダ氏(ハワイ大学マノア校の博士課程学生)は、同じ研究センターの同僚から「あの航海でミツクリザメらしきものが映っていたかもしれない」という話を聞きます。中央太平洋にいるはずのない魚です。ジューダ氏は驚き、アーカイブを片端から見直して、ライブ配信された潜航の映像の中に本物のミツクリザメを見つけ出しました。
誰も探していなかったから、6年間気づかれなかった。深海の「新発見」は、必ずしも新しい潜航からしか出てこない、というわけではないようです。
更新された深度と分布域
今回の2件は、ミツクリザメについてわかっていることを2方向に広げました。
ひとつは深さです。トンガ海溝で撮影された水深1,997メートルは、この種がそれまで知られていた生息深度よりおよそ700メートル深い記録になります。しかもこれは、ミツクリザメだけの話にとどまりません。ホホジロザメやウバザメ、アオザメを含むネズミザメ目というグループ全体の最深記録を、108メートル更新しました。ネズミザメ目でいちばん深いところにいるサメは、いまのところミツクリザメだということです。
もうひとつは場所です。これまでミツクリザメが知られていたのは、太平洋なら北米西岸・オーストラリア・日本近海といった限られた海域と、大西洋・インド洋のごく一部だけでした。今回の2件はどちらも中央太平洋。分布域の空白だった海が、そのまま埋まったことになります。
「初」が指す範囲
「初めて撮影された」という言い方には、少し注意が要ります。生きたミツクリザメが撮られたのが初めて、ではありません。海面に引き上げられた個体の映像は以前からあります。今回が初なのは、本来の生息場所である深海で、自由に泳いでいる個体を記録し、それを論文として公表した、という点です。研究チームの表現も「published live observations(公表された生きた個体の観察)」であり、そこは慎重に線が引かれています。
逆に言えば、この線引きが大事だからこそ意味がある報告でもあります。引き上げられて弱った個体からは、その魚が海の中でどう暮らしているかはほとんどわかりません。自然な状態の20秒間には、標本100体ぶんとは別の情報が含まれています。
保全上の意味
「いるとわかっていなかった場所にいた」というのは、単なる分布図の書き換えでは終わりません。ある海域にその種がいると確認されれば、その海域の資源管理計画や、その国の生物多様性リストに種として載せることができます。逆に、いることが知られていない生きものは、守る対象としてそもそも数えられません。
ジューダ氏は、こうした地道な博物学的な仕事——見て、記録して、報告する——を続けることの重要性を強調しています。深海には、まだ見つかっていないものではなく、「見つかっているのに気づかれていないもの」もある。それが今回のいちばんの含みかもしれません。
解釈上の留意点
今回わかったのは、あくまで「その深さ・その海域に、少なくとも1匹はいた」ということです。2件の目撃だけでは、ミツクリザメが中央太平洋にどれくらいの数いるのか、トンガ海溝の深さを日常的に使っているのか、それともたまたま迷い込んだ個体だったのかは判断できません。研究チーム自身も、生息環境の好みや保全上の位置づけをはっきりさせるには、映像による観察をもっと重ねる必要があると書いています。
深度記録も「いま知られている中で最深」であって、この魚の限界深度が1,997メートルだと決まったわけではありません。カメラを置く場所が増えれば、また更新される可能性は十分にあります。
出典
論文:Judah, A. B., Jamieson, A. J., et al. (2026) “First in situ observations of the goblin shark Mitsukurina owstoni“, Journal of Fish Biology. DOI: 10.1111/jfb.70505(査読済み)
関連記事:Rare goblin shark filmed alive for the first time in the deep sea(ScienceDaily)


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