体長14メートルの母クジラが、腹を空に向けて水面にぷかぷか浮いている。胸びれは大きく突き上げられ、呼吸をする穴は水の下。ふつうに見れば弱っているか、傷ついているとしか思えない姿勢だ。ところがこの格好は、母親が子どもに乳を飲ませない状態をつくり出すためのものらしい——西オーストラリア大などのチームが、ドローンで撮った75時間ぶんの映像からそう報告した。
断食しながら子を育てる繁殖期
ミナミセミクジラ(Eubalaena australis)は、夏のあいだ南極周辺の海で餌をとり、脂肪をたっぷり蓄える。そして冬になると、オーストラリア南部やアルゼンチン、南アフリカなどの浅い沿岸へ移動し、そこで子どもを産んで数か月を過ごす。
問題は、この繁殖海域にはほとんど餌がないことだ。母親は出産から子育てまでのあいだ、基本的に何も食べない。蓄えた脂肪だけで全部まかなう。こういうやり方を資本繁殖(capital breeding)と呼ぶ。必要なエネルギーを前もって貯めておき、現地では貯金を切り崩して生きる方式だ。ヒゲクジラの仲間は、その極端な実践者として知られている。
一方で、子クジラのほうは猛烈な勢いで育つ。先行研究によれば、生まれたての時期は1日あたり11.9センチ、生後1か月でも1日3センチほど体が伸びる。生まれたてなら1週間で80センチ以上だ。その材料はすべて母乳、つまり母親の脂肪である。今回の観察でも、母親の体の状態を示す指標は、繁殖期を通じてほぼ一定のペースで下がり続けていた。逆に子どもの指標は上がっていく。母から子へ、エネルギーが一方通行で流れている構図がそのまま数字に出ている。
仰向けで休む母親の割合
調査地は、南オーストラリア州のヘッド・オブ・バイト。オーストラリア最大のミナミセミクジラの繁殖地で、海洋公園として繁殖期は船の出入りが禁じられている。人の影響がほぼない状態の行動を観察できる、めずらしい場所だ。
ここで59組の親子を追ったところ、母親は観察時間の平均33%を休息に使っていた。内訳は、水面に丸太のようにじっと浮かぶ休み方(ロギングと呼ばれる)が22%、水面のすぐ下でじっとしているのが10%、そして仰向けが2%。子クジラのほうは13%を休息に充てていて、その大半は母親が休んでいるあいだだった。母が止まれば子も止まる、という関係がはっきり出ている。
問題の仰向けは、59頭の母親のうち15頭、およそ4分の1が見せた。出現したのは全観察回の8.5%で、回数にして29回。ただし、この行動が出た観察回に限ってみると、母親はその回の平均19%を仰向けで過ごしていた。たまにしかやらないが、やるときはまとまった時間そうしている、ということになる。
仰向けにも3つのパターンがあった。完全に水中で裏返ったまま静止するもの(24.1%)、水中で始めてそのまま浮き上がってくるもの(10.3%)、そして水面で胸びれを空中に突き出したまま浮かぶもの(65.5%)。いちばん目立つのは最後のパターンで、遠くからでも二本の巨大な腕が海面から生えているように見える。

そして決定的だったのが、この姿勢を見せた個体の顔ぶれだ。授乳中の母親と、出産間近の1頭だけ。ほかの成体にも、若い個体にも、子クジラにも、一度も出なかった。授乳という営みと結びついた行動である可能性が、ここで一気に高まる。
授乳時間との関係
解析の結果、母親が仰向けでいる時間が長い観察回ほど、子クジラが乳を飲んでいた時間は短かった。統計的にも有意な関係だった。
理由は体のつくりを考えるとわかりやすい。クジラの乳首は外に飛び出しておらず、乳裂(にゅうれつ)と呼ばれるお腹側の細長いくぼみの中に収まっている。子どもはここに口を寄せて乳を飲む。だから母親が体をひっくり返せば、乳裂は空を向くか、水面ぎりぎりの届きにくい位置に移る。子どもの側からすると、飲みたくても飲めない。
つまり仰向けは、授乳をいったん打ち切るためのスイッチとして働いているらしい——それが研究チームの見立てだ。母親にとって、乳を出すことは自分の脂肪を削ることに等しい。しかも次に餌にありつけるのは、数千キロ離れた南極海に戻ってからだ。出ていくエネルギーの量を自分で調整できる仕組みがあるなら、それは弱っている証拠どころか、体力をうまく管理できている証拠になる。研究者らは、母親が子どもに冷たいのではなく、自分を保たせるための行動だと説明している。
もうひとつ、予想と逆の結果も出た。チームは当初「体の状態が悪くなるほど、母親は休む時間を増やすだろう」と考えていた。ところが実際は逆で、体の状態がよい繁殖期の前半のほうがよく休んでいた(前半37%、後半30%)。子どもの成長がいちばん速いのは生まれた直後で、母親にとってはそこが最もきつい時期にあたる。だからこそ、その時期に自分の消費を抑えにかかっているのではないか、というのがチームの解釈だ。
ドローンによる観察の手法
データは2021年6月26日から9月25日にかけて集められた。市販のドローンを使い、海岸沿い6キロにわたる7か所から離陸させて、親子を1組ずつ追いかける。1回の追跡はバッテリーがもつ15〜20分ほど。飛行高度は水面から20〜100メートルで、この高さならドローンの音はクジラに届かないことが別の研究で確かめられている。
飛ばした回数は合わせて479回。このうち水の濁りや撮影時間の条件を満たした342回、時間にして75時間ぶんが解析に回された。見つかった親子は90組で、行動と体格の両方のデータがそろった59組が最終的な対象になった。

上の画像のように真上から見下ろすと、水面下の動きまで追える。授乳や水中での休息のように、かつて崖の上から肉眼で観察していた時代には拾いきれなかった行動が、この視点で初めて数えられるようになった。ちなみに個体の見分けには、頭にできる硬い皮膚の盛り上がり(カルシティ)の並び方を使う。個体ごとに配置が違うので、指紋のように使えるのだ。誤りを避けるため、3人の研究者が独立に照合してから解析に入れている。
体の大きさも同時に測られた。レーザーで高度を正確に測れるドローンで真上から撮り、体長と体の各所の幅から体積を推定する。母親の体長は12.9〜16.2メートル(平均14.0メートル)、子クジラは4.6〜8.0メートル(平均6.4メートル)だった。生まれたてから3〜4か月までの子が混ざっている計算になる。
体温調節説とその反論
仰向けの理由については、別の説明も提案されている。体を冷やすためではないか、というものだ。
ミナミセミクジラには背びれがない。イルカなどは背びれを熱の逃がし口として使っているが、セミクジラにはその装備がない。同じく背びれを持たないオットセイやアザラシの仲間には、水面でひれを空中に出して熱を逃がす行動が知られている。ならばミナミセミクジラも、腹と胸びれを空気にさらすことで同じことをしているのではないか、という筋書きである。
ただし、この説には疑問も出ている。今回の研究に参加していないグリフィス大のピーター・コーカロン氏は、セミクジラの仲間は口の天井に細い血管が密集しており、口を開けて泳いで海水を通すだけで熱を逃がせる、と指摘する。わざわざ危険な姿勢をとる必要はない、というわけだ。研究チーム自身も、観察例が限られているため、この行動の意味を確かめるにはさらに研究が要ると書いている。
船との衝突リスク
この行動には、はっきりした代償がある。
セミクジラの仲間はもともと浮力が強く、すぐには沈めない。危険が迫っても素早く潜って逃げるのが苦手な体をしている。そこに仰向けが加わると、呼吸するにも潜るにも逃げるにも、まず体を回すという一手間が挟まる。しかも観察された仰向けの24%は完全に水中で行われており、この状態だと船の上からは姿が見えない。
船との衝突は、セミクジラの仲間にとって主要な死因のひとつだ。調査地のヘッド・オブ・バイトは船の立ち入りが禁止されているので、そこでは問題にならない。しかしオーストラリア沿岸のほかの繁殖地には、同じ保護がかかっていない。研究チームは、主要な繁殖海域では出産のピーク時に船の立ち入り規制か速度制限を設けるべきだと提言している。ホエールウォッチングなどでクジラを見かけたら、距離を取って速度を落としてほしい、とも付け加えている。
ミナミセミクジラは19世紀から20世紀にかけての捕鯨でほぼ絶滅寸前まで減り、1980年代の商業捕鯨モラトリアム以降にようやく回復してきた種だ。現在の推定は1万2000〜1万5000頭。回復の途中にある個体群にとって、繁殖海域での事故は数字以上の重みを持つ。
解釈上の留意点
いくつか、慎重に読むべき点がある。
まず、これは観察から見えた相関であって、因果関係を実験で確かめたものではない。仰向けが授乳を減らすのか、それとも授乳が一段落したタイミングで仰向けになるのか、映像だけでは切り分けられない。
次に、この行動はそもそもまれだ。母親59頭のうち15頭、回数にして29回、全観察時間の2%にすぎない。統計モデルの説明力も低く、著者ら自身が「結果は慎重に解釈すべきだ」と本文で明記している。個体による差が非常に大きく、なぜ一部の母親だけがこの行動をとるのかも分かっていない。母親から受け継ぐのか、経験から身につけるのか、ほかの母親を見て覚えるのか——いずれも推測の段階だ。
さらに、調査は1か所・1シーズンのものだ。同じ南オーストラリア州のエンカウンター・ベイでは、母親の休息時間が約60%と倍近く、仰向けの割合も約5%と報告されている。場所によって数字はかなり動く。ほかの海域や個体群でも同じことが起きているかは、まだ確かめられていない。
体温調節説も消えたわけではない。授乳の調整と熱の放出は互いに排他的ではないので、両方が働いている可能性も残っている。
なお、この論文は査読を経て学術誌に掲載されたもので、誰でも全文を無料で読める。
出典・もっと知りたい人へ
論文(Mammalian Biology・査読済み・オープンアクセス):van Noort, R. G., Christiansen, F., Stewart, B. A., Sprogis, K. R. (2026) “Energy-conserving behavioural strategies in southern right whale mother-calf pairs during early lactation”(2026年7月6日)
https://link.springer.com/article/10.1007/s42991-026-00607-1
大学プレスリリース(西オーストラリア大):Whale mums rest upside down to get a break from calves
研究者本人による解説(The Conversation):Upside-down whales aren’t sick or hurt – they’re just resting
関連ニュース(Smithsonian Magazine・2026年7月24日):Why Are These Whales Floating Upside-Down?


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