クローン羊のドリーが生まれたのは1996年7月5日。今年でちょうど30年になります。当時のニュースが連れてきたのは、クローンペット、クローン人間、マンモスの復活といった未来像でした。ところが30年たって実際に定着したのは、生き物をコピーする技術ではなく、細胞の状態を巻き戻す技術のほうでした。
何が実用になり、何が止まったままなのか。区切りの年ということもあり、いったん整理してみます。
ドリーが証明したこと
ドリーはスコットランドのロスリン研究所で、フィン・ドーセット種のヒツジの乳腺の細胞から作られました。手順そのものは今も基本的に同じで、体細胞核移植(たいさいぼうかくいしょく、SCNT)と呼ばれます。生殖細胞ではないふつうの体の細胞から核(DNAが入っている部分)を取り出し、別の個体の卵から核を抜いて、そこへ入れる。電気パルスで融合させ、育ちはじめた胚を代理母の子宮に移す、という流れです。
スコットランド国立博物館の記録によると、核の提供元はフィン・ドーセット、卵の提供元と代理母はスコティッシュ・ブラックフェイスでした。生まれた子の顔が黒くなく白かったことが、代理母の子ではないという何よりの証拠になったわけです。

この時点で何が新しかったのか。カエルの核移植は1960年代から成功していましたし、胚の細胞を使ったクローンも先例がありました。ドリーが覆したのは「役割が決まりきった大人の細胞は、もう受精卵には戻れない」という常識のほうです。
ただし、そこに至る道は平坦ではありませんでした。ドリー1頭のために用意された再構築卵は277個。生まれたのは1頭だけです。誕生は7か月伏せられ、論文の公表に合わせて1997年2月22日に発表されました。
成功率の壁と、そこから生まれた副産物
30年たっても、この非効率さは大きくは変わっていません。核を入れ替えるだけなら難しくないのですが、問題はその先にあります。
細胞には、どの遺伝子を使い、どれを眠らせておくかを決める化学的な目印が付いています。乳腺の細胞なら「乳腺として働け」という設定が書き込まれている。核移植では、卵がこの設定を消して受精卵の状態に戻すことを期待するわけですが、この初期化(エピジェネティックな再プログラム化)はしばしば中途半端に終わります。だから多くの胚が途中で育たなくなる。設備も、卵の提供個体も、代理母も要るので、コストも下がりにくい。
ところが、この「細胞の設定は書き換えられる」という発見のほうが、その後の生物学を動かしました。山中伸弥さんのグループが2006年にマウスで、翌2007年にヒトで報告したiPS細胞(人工多能性幹細胞)は、卵も胚も代理母も使わずに、皮膚などの細胞を4つの遺伝子で初期化してしまうものです。2012年のノーベル生理学・医学賞は、カエルの核移植を先駆けたジョン・ガードンさんとの共同受賞でした。
つまり、ドリーの直接の子孫にあたる技術は「動物を複製する装置」ではなく、病気の仕組みを調べたり薬の候補を試したりするための細胞そのものだった、ということになります。
家畜クローンと日本の「のと」「かが」
ドリーのわずか2年後、日本でも大きな成果が出ています。1998年7月、近畿大学と石川県の共同研究で、成牛の体細胞から作られたクローン牛「のと」と「かが」が誕生しました。成体の体細胞を使った牛のクローンとしては世界初です。
2頭はその後も飼育され、出産も経験しました。のとは2018年5月に19歳10か月で、かがは2019年10月に21歳3か月で、老衰により死んでいます。牛の寿命はおおよそ20年ですから、少なくともこの2頭に関しては「クローンだから早死にする」ということはありませんでした。
研究としては全国に広がり、厚生労働省の資料によれば2011年3月末までに体細胞クローン牛589頭、豚580頭、ヤギ9頭が生まれています。ただし死産や生後すぐの死亡も多く、期待されたほど順調には進みませんでした。
食べ物としての扱いも、日本では独特の経過をたどりました。1999年11月の農林水産省通知で研究機関に出荷の自粛が要請され、2009年6月には食品安全委員会が「従来の繁殖方法による家畜由来の食品と同等の安全性を有する」と評価しています。それでも出荷自粛は続き、クローン牛の肉や乳が店頭に並んだことはありません。安全性の評価と、社会が受け入れるかどうかは別問題だった、ということです。
いっぽうで、家畜クローンがまったく使われていないわけでもありません。オーストラリアや米国では、優れた形質を持つ馬や牛の複製に商業的に使われています。ただこれは品種改良の置き換えではなく、すでに評価の定まった個体をもう一度作るための道具という位置づけです。
ペットのクローンという商売
一般の人がいちばん接しやすくなったのは、ペットのクローンかもしれません。米国のViaGen Pets社は、同社の案内によると犬・猫が5万ドル、馬が8万5000ドル。将来に備えて細胞を凍結保存しておくだけなら1600ドルと年間150ドルの保管料です。歌手のバーブラ・ストライサンドさんが愛犬から2頭のクローンを作ったことが2018年に報じられ、この分野が広く知られるきっかけになりました。
ここではっきりしているのは、同じ遺伝子から同じ性格は出てこないということです。ストライサンドさん自身、生まれた2頭は元の犬とは違う性格だったと語っています。毛の模様ですら、色素細胞が発生の過程でどう散らばるかで変わるので、そっくり同じにはなりません。一卵性双生児が別々の人間であるのと同じことが、時間差で起きているだけです。
絶滅危惧種の保全という使い道
30年を振り返ったとき、いちばん成果らしい成果が出ているのはこの分野だと思います。
北米にすむクロアシイタチは、二度も絶滅したと思われながら1981年に再発見された動物です。生き残った個体が少なかったため、現在の個体群はごく限られた祖先に由来していて、遺伝的な多様性が乏しいという弱点を抱えていました。
そこで使われたのが、1980年代に死んだ「ウィラ」という個体の凍結保存された細胞でした。サンディエゴ動物園の「フローズン・ズー」に30年以上保管されていたものです。ここから2020年12月にエリザベス・アンが、2023年にはノリーンとアントニアが生まれました。
決定的だったのはその次です。米国魚類野生生物局の発表によると、2024年6月、アントニアが3頭を出産し、うち2頭が育ちました。クローンで生まれた絶滅危惧種が繁殖に成功した最初の例です。Revive & Restoreはこれを、ウィラの遺伝子が現在の個体群に正式に加わった瞬間だと説明しています。2025年夏にはその孫にあたる世代も生まれました。

クローン技術が「失われた遺伝子を呼び戻す」という、増殖とは別の役割で効いた例です。ちなみに絶滅危惧種のクローンでは、モウコノウマのカートとホリーも同じフローズン・ズーの細胞から作られています。
「絶滅動物の復活」との距離
では、マンモスはどうなったのか。ここは30年前の予想がいちばん外れたところです。
クローンを作るには、壊れていないゲノム一式と、使える卵と、近縁の代理母が要ります。数千年前に絶滅した動物の場合、最初の条件からすでに満たせません。古いDNAは断片に切れていて、細胞ごと生きた状態で残っているわけではないからです。
そのため今の脱絶滅(de-extinction)研究は、絶滅種そのものを再生するのではなく、生きている近縁種をゲノム編集で作り替えるという方向に切り替わっています。将来「マンモスのような動物」が生まれるとしても、それは編集されたゾウであって、マンモスではありません。
この線引きが問題になったのが、2025年に米Colossal Biosciences社が発表したダイアウルフの「復活」です。実際に行われたのは、ハイイロオオカミの細胞に約20か所の編集を加え、それをクローン化するという手順でした。Natureが報じたように、多くの研究者はこれを絶滅種の復活とは呼べないと批判しています。ダイアウルフはハイイロオオカミとは500万年以上前に分かれた別系統で、別属に分類される動物だからです。
生態系の側から見た指摘もあります。ある動物の見た目や一部の性質を取り戻せたとしても、その動物が果たしていた役割まで戻るとは限りません。相手だった生き物も、住んでいた環境も、すでに残っていないことが多いためです。
ヒトのクローンが実現しない理由
30年間、繰り返し語られながら実現していないのがヒトのクローンです。理由は倫理だけではありません。
まず技術的に、動物のクローンは今でも失敗率が高く、生まれた個体に異常が出ることもあります。同じ確率をヒトに当てはめれば、胚にも代理母にも生まれてくる子にも、正当化しようのないリスクを負わせることになります。
制度としても、日本では2000年制定の「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」(クローン技術規制法)が、人クローン胚などを人や動物の胎内へ移植することを刑事罰つきで禁じています。罰則は最高10年の拘禁刑、または1000万円以下の罰金です。日本で国が特定の研究をこの重さの刑罰で禁じた最初の例でもあります。
いっぽう、個体を作らない範囲での研究は続いています。2013年、米オレゴン健康科学大学のグループが、核移植で作ったヒトの胚から幹細胞を樹立したとCell誌に報告しました。ただしこの用途については、卵の提供が要らないiPS細胞のほうが実用面で先行しています。
30年後にわかったこと
並べてみると、ドリーが開いたのは「複製の時代」ではありませんでした。実用の場に残ったのは、家畜や馬の限定的な複製、高額なペットクローン、そして凍結細胞から遺伝的多様性を取り戻す保全の現場です。数の上でも影響の大きさでも、いちばん広がったのは核移植研究から派生したiPS細胞のほうでした。
クローン技術は、生き物をコピーする万能の手段ではなく、細胞の状態を操作するための道具のひとつになった——30年たってはっきりしたのは、そういうことだと思います。
解釈上の留意点
いくつか補足しておきます。ドリーの作製に要した卵の数は、数え方によって276個と書かれる資料もあります。また、ドリーが6歳で安楽死させられた原因は肺の腫瘍で、これはヒツジによく見られるウイルス性の病気であり、研究所は同じ群れの他の個体にも同様の症状が出ていたことから、クローンであることとの関係は考えにくいとしています。クローンの寿命が短いかどうかは、その後の研究でも一律の結論は出ていません。
体細胞クローン牛の食品としての安全性についても、「安全と評価された」ことと「流通が認められている」ことは別です。日本では現在も出荷自粛の要請が続いています。
脱絶滅については、発表の多くが企業からのもので、査読を経た論文としての検証が追いついていない段階のものも含まれます。報道の見出しと、実際に行われた操作の内容には差があると考えておいたほうがよさそうです。
出典・もっと知りたい人へ
- 30 years since Dolly the sheep was born – where is cloning technology at now?(The Conversation)
- The Life of Dolly(ロスリン研究所)
- The story of Dolly the sheep(スコットランド国立博物館)
- 体細胞クローン家畜由来食品に関するQ&A(厚生労働省)
- 体細胞クローン動物に関する状況について(食品安全委員会)
- Cloned Black-footed Ferret Kits Offer Hope for the Species(米国魚類野生生物局)
- The scientific debate over Colossal’s ‘de-extinct’ dire wolves(Nature)


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