ノルウェーの山の中に、テッセ湖という湖があります。標高はおよそ850メートル。ここには昔からブラウントラウト(マスの一種)が泳いでいて、地元では有数の釣り場として知られてきました。ところが、この魚がどうやってここへたどり着いたのかは、長いあいだ謎のままでした。
その答えの手がかりが、湖の底から出てきた木の杭でした。放射性炭素年代測定にかけると、いちばん古いもので紀元前5000年ごろ——今からおよそ7000年前のものだと分かったのです。魚のいなかったはずの高地の湖に、石器時代の人がわざわざマスを運び込み、食料として管理していた。しかも農耕が北欧に伝わるより1000年以上も前の話でした。現時点で知られているなかでは、これが「人間が魚を新しい場所に移した」最も古い例だといいます。

魚がいないはずの山の湖
話の出発点は、氷河期のあとの地形です。この地域を覆っていた分厚い氷が退いたのが、およそ1万年前。人々はほどなく山あいへと入っていきましたが、魚は同じようには来られませんでした。氷が残していった滝や急な流れが壁になって、下流から泳ぎのぼることができなかったのです。つまり高地の湖の多くは、本来なら魚のいない水でした。
それなのに、今はマスがいる。この食い違いに気づいた研究者たちは、100年以上前から「人が運んだのではないか」と考えてきました。一方で、鳥が卵ごと運んだのでは、という説もありました。どちらにせよ決め手を欠いていたのは、「いつ」の部分です。もし人の仕業なら、それはいつのことだったのか——ここがずっと空欄のままでした。
わなの年代が示すもの
空欄を埋めるきっかけは、思いがけない形でやってきました。テッセ湖は1940年代から水力発電の貯水池として使われていて、春になると水位が下がります。2022年、その下がった湖底から細い木の杭が何列も顔を出しているのを、地元の人が見つけました。調べてみると、湖の底に杭を打ち込んで魚を囲い込む、古い漁のわなの跡だったのです。
そこから本格的な発掘が始まり、複数のわなが姿を現しました。研究チームは、そのうち4基から100点を超える木材を採取してラボへ送り、二つの方法で年代を絞り込みます。ひとつは放射性炭素年代測定。木や骨に含まれる炭素の減り具合から、いつごろのものかを割り出す手法です。これで最も古い二つのわなが、紀元前5000年ごろと紀元前4950年ごろのものと分かりました。
もうひとつが年輪年代法。木の年輪の幅は、その年の気候によって一本ごとに違う模様を刻みます。この模様を照らし合わせると、木が切られた年を一年単位で言い当てられることがあります。若いほうのわなの杭を調べると、紀元前2669年と2657年に切られた木が使われていました。古いわなから新しいわなまで並べると、この場所での杭を使った漁は、紀元前5000年から2650年ごろまで——2000年以上にわたって続いていた可能性が見えてきます。
ここで大事なのは、わなが直接語っているのは「漁をしていた年代」だということです。杭を打って本格的に漁ができるということは、その時点ですでに、繁殖して増えるマスの群れが湖にいたことを意味します。つまり魚を放したのは、わなが作られたよりもさらに前。紀元前5000年という数字は、放流そのものではなく、放流が根づいたあとの「収穫の始まり」を指しているわけです。
農耕以前の資源管理
この発見が面白いのは、石器時代の狩猟採集民のイメージを少し塗り替えるところにあります。「その日にあるものを追いかけて移動する人たち」という見方に、うまく収まらないのです。
研究チームの見立てはこうです。人々はもともと、トナカイを狩るためにこの山へ通っていました。けれど狩りは、いつも成功するとはかぎりません。そこで、獲物が獲れなかったときの備えとして、カロリーの高いマスを湖に放しておく——そういう「保険」だったのではないか、というのです。ブラウントラウトはよく育って身が多く、比較的とりやすい魚なので、新しい水に放つ相手としては理にかなっています。
ただし、放したマスがすぐに食べられるようになるわけではありません。群れが増えて漁ができる規模になるまでには、数十年かかったとみられます。目の前の腹を満たすためではなく、何十年も先の食料のために魚を運んでいた。研究に加わっていないベルゲン大学の考古学者は、同じ場所を繰り返し使うつもりで、これだけの段取りを組めたことに、当時の人々の計画性が表れていると話しています。
農耕がスカンジナビアに届くのは、これよりおよそ1000年あと。作物も家畜もない時代に、人はすでに自分たちの都合に合わせて生態系を作り替えていた、ということになります。その影響は今も続いていて、テッセ湖で釣り人が手にするマスは、7000年前に運び込まれた魚の子孫にあたります。
解釈上の留意点
いくつか、押さえておきたい点があります。まず「最古の例」という言い方は、あくまで現時点で知られているなかで、という意味です。これより古い放流の証拠が今後どこかで見つかる可能性は、当然残っています。
もうひとつ、マスをどうやって山まで運んだのかは、まだ分かっていません。研究チームは、当時この地域で動物の皮をなめしていた痕跡があることから、水を入れた革袋のような容器を使ったのではと推測しています。生きた魚が容器のなかで長くはもたないため、一度に運びきらず、何段階かに分けて運んだのだろう、とも。ただしこれは状況からの推測で、運搬の道具そのものが見つかったわけではありません。この研究は査読を経てAntiquity誌に載ったものですが、放流の年代や方法をめぐる細部には、まだ幅があると考えておくのがよさそうです。
出典
元になった研究論文(オープンアクセス):
Mjærum, A., Friis, E. K., Hesthagen, T. & Kirchhefer, A. J. “The introduction of fish to the Scandinavian mountains by hunter-fisher-gatherers 5000 BC.” Antiquity(2026年7月20日公開)
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/…
一般向けの解説:
Smithsonian Magazine(2026年7月23日)
https://www.smithsonianmag.com/smart-news/…


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