物質の状態といえば、固体・液体・気体。学校ではそう習いますが、物理学者はいまも「これまで知られていなかった状態」を探し続けています。オーストリアのインスブルック大学の研究チームが、その新顔をひとつ作り出しました。名前は「分数フェルミ海(fractional Fermi sea)」。極低温まで冷やした原子の集まりを、通常ではありえない条件に追い込んだところ、既存の理論では説明できない、新しい秩序を持った状態が現れたという報告です。理論をまとめた論文は物理学の一流誌Physical Review Lettersに掲載されました。

フェルミ海という基本ルール
まず「フェルミ海」から。これは新しい言葉ではなく、量子物理の教科書に昔から載っている考え方です。
電子のような粒子(フェルミ粒子と呼ばれます)には、「同じ席にはひとりしか座れない」という厳格なルールがあります。パウリの排他原理という有名な法則です。ここでいう「席」とは、粒子が取れるエネルギーの段のこと。温度を下げていくと、粒子たちはエネルギーの低い席から順に、1席に1個ずつ、きっちり詰めて座っていきます。劇場の席が前列から隙間なく埋まっていくような光景です。
こうして低い席がすべて埋まり、ある高さでスパッと途切れる——この埋まり方を、海の水面にたとえて「フェルミ海」と呼びます。水面より下は満席、上は空席。金属の中の電子もこのルールに従っていて、物質の性質を理解する土台になっています。
反発と引力を往復させる実験
今回の研究の主役は、電子ではなく、極低温まで冷やしたセシウム原子です。実験ではおよそ7万個の原子を、絶対零度(約-273℃)まであと10億分の数度という温度まで冷やし、細い筒状の空間に閉じ込めて、1列にしか動けない「1次元」の状態にしました。
セシウム原子はもともとフェルミ粒子ではないのですが、1次元に閉じ込めて互いに強く反発させると、「同じ場所に重なれない」という点でフェルミ粒子とそっくりに振る舞うことが知られています。つまりこの実験系でも、原子たちはフェルミ海のように席を埋めていきます。
チームが行ったのは、この原子どうしの相互作用を「強く反発し合う」状態と「強く引き合う」状態のあいだで、周期的に何度も切り替えるという操作でした。安定した状態にある粒子の集まりを、わざと極端な条件の間で揺さぶり続けたわけです。
ふつうに考えれば、こんなことをすればエネルギーが流れ込んで、系はただ熱くなって乱雑になるだけのはずです。ところが結果は違いました。原子たちはバラバラになるどころか、まったく新しい形に「並び直した」のです。
半分だけ埋まった席——「分数」の意味
現れた状態では、粒子たちが「1席に1個」という本来のルールではなく、席が部分的にしか埋まっていないかのような振る舞いを見せました。席の埋まり方が整数(0か1)ではなく、その中間の値——つまり分数になっているように見える。これが「分数フェルミ海」という名前の由来です。
重要なのは、この状態が単なる乱雑さではないことです。エネルギーとしては大きく励起されている(=かなり揺さぶられた後の状態である)にもかかわらず、粒子間の相関——お互いの位置や振る舞いの関係——を調べると、はっきりとした秩序が浮かび上がります。研究を率いたネーゲル教授は、この状態は高く励起されているがランダムではなく、相関の中に隠れた秩序が見えてくる、と説明しています。
具体的な証拠のひとつが「フリーデル振動」と呼ばれる、粒子の相関に現れるさざ波のようなパターンです。さらに、相関が距離とともに弱まっていく減衰の仕方も独特で、1次元の量子系を説明する定番の理論「トモナガ・ラッティンジャー液体理論」(朝永振一郎博士の名を冠した、この分野の土台となる理論です)では説明がつかないものでした。定番理論の枠の外にある、新しい臨界的な相——それが今回の発見の核心です。
ちなみにチームは、この状態を作っている粒子的な存在をまだ何と呼ぶべきか決めかねているそうで、ネーゲル教授は「スーパーフェルミオン」という名前を候補として挙げています。
量子シミュレーションへの意義
この研究が位置づけられているのは、「量子シミュレーション」という分野です。極低温原子のように精密に制御できる量子系を使って、そのままでは計算も観察も難しい量子現象を実験室で再現し、調べる手法を指します。
これまでの量子シミュレーションは、理論上は存在が予想されているものの実物では確かめにくい状態を「再現する」使い方が中心でした。今回の成果が示したのは、その先です。既存の理論の枠に収まらない状態を、狙って新しく「作り出す」ことができる。ネーゲル教授も、既知のモデルの再現にとどまらず、確立されたパラダイムを超える状態を作って調べられるところまで量子シミュレーションを押し進められることを示した、と述べています。
平衡状態(落ち着いた状態)から遠く離れた量子系がどう振る舞うかは、現代物理でも特に手がかりの少ない領域です。制御された形でそこへ踏み込む道具がひとつ増えたことになります。
解釈上の留意点
今回Physical Review Lettersに掲載されたのは、分数フェルミ海の理論的な枠組みを示した論文です。実験でこの状態を実現したことを報告する姉妹論文は、執筆時点ではまだ査読中で、プレプリント(査読前の論文)として公開されている段階です。実験結果の詳細な数値については、正式な掲載を待って確定する部分が残っています。
また、この状態が今後どんな応用につながるかは、まだ何とも言えません。現時点では「物質の状態のカタログに、理論の枠外の新しい1ページが加わった」という基礎研究の成果として受け止めるのがよさそうです。
出典
この記事は、インスブルック大学のプレスリリースと掲載論文をもとに書いています。
プレスリリース:A novel critical quantum phase(University of Innsbruck)
理論論文(査読済み):A. Bastianello et al. “Exotic critical states as fractional Fermi seas in the one-dimensional Bose gas” Physical Review Letters 136, 230402 (2026) DOI: 10.1103/j3s5-gjpf(arXivのプレプリントは無料で読めます)
実験論文(査読中のプレプリント):Y. Zeng et al. “Realization of fractional Fermi seas” arXiv:2602.17657
解説記事:Physicists create a strange new quantum state called a fractional fermi sea(ScienceDaily)


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