2019年に公開された、オレンジ色に光るドーナツ形の一枚。人類が初めて目にしたブラックホールの姿として、世界中で話題になりました。写っているのは、おとめ座の方向に約5500万光年離れた銀河M87の中心にある、太陽の約65億倍の重さを持つ超大質量ブラックホールです。
あの輪を、今度は二つの異なる電波の波長で見比べた研究が出ました。すると、輪の内側と外側とで、届く光の性質がはっきり違っていました。中国科学院・上海天文台を中心とする国際チームの成果で、論文は2026年7月20日付の『アストロフィジカル・ジャーナル・レターズ』に載っています。

大きさの違う二つの輪
ブラックホールそのものは光を出しません。見えているのは、その周りを回りながら落ちていく高温のガス——電子とイオンがばらばらになった「プラズマ」——が放つ電波です。中心の暗い部分は、強い重力に光が曲げられた結果できる影で、そのふちが明るい輪として浮かび上がります。
この輪は、実は観測する波長によって大きさが変わります。イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)が1.3ミリの電波で捉えた輪は、直径がおよそ42マイクロ秒角。一方、2018年にグローバル・ミリ波VLBIアレイ(GMVA)がアルマ望遠鏡とグリーンランド望遠鏡を加えて3.5ミリの電波で撮った輪は、それより5割ほど大きく写りました。同じ天体を同じ時期に見ているのに、波長を変えると輪のサイズが違う。この食い違いには、以前から「まわりのガスが電波をどれだけ通すかの違いではないか」という説明が与えられていました。
ちなみにマイクロ秒角というのは、角度の単位です。1秒角が1度の3600分の1で、その100万分の1がマイクロ秒角。42マイクロ秒角は、月面に置いた直径8センチほどのボールを地球から見込む角度にあたります。とんでもなく小さな角度を測っている、ということだけ頭に置いておけば十分です。
単一周波数の画像に残る限界
一つの波長だけで撮った画像から分かるのは、基本的に「どんな形に見えるか」までです。輪の直径からブラックホールの重さを推定するといったことはできますが、その光がどんな状態のプラズマから、どういう仕組みで出てきたのかまでは踏み込めません。
そこで効いてくるのが、波長を変えて撮り比べる方法です。同じ場所を二つの波長で見て、どちらでより明るいかを調べれば、そこにあるガスの濃さや磁場の強さ、電子の持つエネルギーの分布といった中身に手が届きます。天文学ではこの比べ方を数値化したものを分光指数と呼びます。波長を短くしたときに明るさが増すならプラス、減るならマイナス、という具合に、スペクトルの傾きを一つの数字で表したものです。
プラスとマイナスには、それぞれはっきりした物理的な意味があります。マイナスなら、出てきた電波がそのまま素通りして外へ抜けている状態。プラスなら、電波が途中で吸い返されている状態です。後者を引き起こすのがシンクロトロン自己吸収で、磁場のなかを光速近くで飛び回る電子が出した電波を、同じ電子の集団が吸い戻してしまう現象を指します。ガスが濃いほど、そして波長が長いほど起きやすい。だから波長の長い3.5ミリでは、ブラックホールに近い内側の光が吸われて外まで届かず、もっと外側の“表面”しか見えない——結果として輪が大きく写る、という筋書きになります。
ただ、これまで測られていた分光指数は、天体全体をひとまとめにした平均値でした。ブラックホールのすぐ近くで、場所ごとにどう変わっているのか。そこは手つかずのまま残っていました。
リングの内と外で分かれる光の性質
今回の研究が出したのが、事象の地平面(一度入ったら光さえ出てこられない境界)のスケールで初めて描かれた、分光指数の分布図です。中心から100マイクロ秒角の範囲を、ピクセル単位で塗り分けました。
そこに現れたのは、中心からの距離に沿ったきれいな傾斜でした。1.3ミリの輪の半径(約22マイクロ秒角)より内側では、分光指数はほぼ1前後の値で安定しています。プラスということは、この領域の電波は自己吸収を受けていて、外から見ると濃い霧の向こう側を覗いているような状態だということです。ごく内側の20マイクロ秒角あたりまでは、外へ向かってわずかに値が上がってさえいました。
そこから外へ出ると、値は下がりはじめます。そして約30マイクロ秒角のあたりで、プラスからマイナスへ符号が入れ替わりました。ここから外側では、出た電波が吸われることなくまっすぐ抜けてくる。いちばん外の縁ではマイナス1.5あたりまで落ちています。
符号が変わる位置が重要でした。約30マイクロ秒角というのは、3.5ミリで見えていた大きいほうの輪の半径とほぼ一致します。つまり、あの輪は「たまたまそこが明るく見えていた」のではなく、プラズマが電波を通す状態と通さない状態の境目そのものだった——形として見えていたものの正体が、周囲のプラズマの物理だったわけです。

解像度をそろえる工程
使われたのは、どちらも2018年4月に得られた画像です。3.5ミリのほうは14〜15日にGMVA+アルマ+グリーンランド望遠鏡が、1.3ミリのほうは21日にEHTが観測しました。1週間ほどの間隔があいていますが、この天体の見え方が大きく変わるとされる時間の幅よりは短く、比べても差し支えない範囲とされています。
やっかいだったのは、二つの画像の“ものさし”が違うことでした。1.3ミリの画像はおよそ20マイクロ秒角まで見分けられるのに対し、3.5ミリのほうは細長い形で、狭い方向でも37マイクロ秒角ほど。分光指数を求めるには同じ細かさの画像どうしを比べなければならないので、両方を共通の丸いぼかしにそろえてから計算しています。1.3ミリを3.5ミリに合わせて大きくぼかすと輪そのものが消えてしまい、逆に3.5ミリを20マイクロ秒角まで無理に引き上げれば、もともと持っていない解像度をでっち上げることになる。そのあいだで折り合いをつけた、というわけです。
位置合わせも慎重に行われました。二つの画像それぞれについて、中心25マイクロ秒角四方の範囲で輪の中心がもっともありそうな位置を割り出し、そこを基準に重ねています。さらに画像処理でよく使われる相互相関という手法でも確かめ、両方の結果が食い違わないことを確認したうえで、0.2マイクロ秒角という細かい格子に載せ直してピクセルごとの比較をしています。
重力効果とプラズマ効果の切り分け
ブラックホールの画像には、性質の違う二つの効果が重なって写り込んでいます。ひとつは重力そのものの効果。強い重力で光の進路が曲げられ、理論上は事象の地平面のすぐ外側に「フォトンリング」と呼ばれる、極端に細く明るい輪ができるとされています。これはブラックホールの質量と回転だけで決まるので、まわりのガスの状態には左右されません。もうひとつが、今回見えたようなプラズマの効果です。
この二つが混ざっているせいで、画像から一般相対性理論を検証しようとしても、「重力のせいなのか、ガスのせいなのか」がなかなか切り分けられませんでした。波長ごとの振る舞いを調べることは、その切り分けの手がかりになります。プラズマによる吸収の効き方は波長によって変わりますが、重力が作るフォトンリングの位置は波長に関係なく同じだからです。
論文の筆頭著者である上海天文台のチャオ・シャンシャン氏は、放射の性質が場所ごとにどう変わるかを数値として押さえられたことで、降着流やジェットの成り立ちを探る新しい手がかりが得られた、と述べています。責任著者のルー・ルーセン氏も、多周波での撮像がプラズマの物理と重力の痕跡を分離する道具になるという見方を示しています。今後、EHTが86ギガヘルツ・230ギガヘルツ・345ギガヘルツといった複数の帯域を同時に使えるようになれば、この手の測定はもっと精度を上げていくことになりそうです。
解釈上の留意点
いくつか、押さえておきたい点があります。
まず、二つの観測は「ほぼ同時」であって、同時ではありません。1週間の差があるため、その間に天体側が変化した可能性は完全には排除できません。論文でも、輪に沿った方向のこまかい濃淡については、観測が同時でないことと電波干渉計のデータの取りこぼしがあることを理由に、実在するかどうかの判断を保留しています。同時に複数の周波数で撮れる観測が待たれる、というのが著者らの立場です。
測定の誤差も無視できません。中心付近では分光指数の不確かさはおおむね0.2程度ですが、外へ行くほど大きくなり、いちばん外の領域では0.5に達します。マイナス1.5という値が出ている場所は、まさにその誤差が大きい領域でもあります。
また、分光指数はあくまで二つの波長の明るさを比べた数字であり、そこから「自己吸収が効いている」と読み取る部分は、放射の仕組みについてのモデルを前提にしています。理論計算では、フォトンリングの位置で分光指数が2を超える急な盛り上がりが現れると予想されていますが、今回の解像度ではそこまでは見えていません。観測されたのは、あくまで「なだらかな傾斜」です。
そのうえで、事象の地平面のスケールで場所ごとの分光指数が測れたのは今回が初めてで、降着流やジェットの理論モデルを絞り込むための材料が一つ増えたことに変わりはありません。
出典
上海天文台(中国科学院)プレスリリース:From Seeing a Black Hole to Understanding Its Physics
論文:Spatially Resolved Spectral Properties of M87* on Event Horizon Scales(The Astrophysical Journal Letters, 2026年7月20日)
3.5ミリでの輪の観測:A ring-like accretion structure in M87 connecting its black hole and jet(Nature, 2023年)
Universe Today:New Images Reveal the Stunning Properties of the Black Hole at the Center of M87


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