金属探知機が反応したのは、ローマ時代の硬貨だった。イングランド南西部デヴォン州の農地で、趣味の探知をしていたジョン・ヒル氏がそれを見つけたのは2004年のこと。同じ畑には小さな色つきの石のかけらも落ちていて、それがモザイクのタイルだと分かった。
そこから20年あまり。掘り返された土の下から、12㎡の多色モザイクの床が姿を見せた。エクセター大学とコッツウォルド考古学(Cotswold Archaeology)が7月20日に発表したもので、ローマ時代のブリテンで、ヴィラ(郊外に建てられた邸宅)から見つかった多色モザイクとしては、いちばん西の例になる。

一枚の硬貨から始まった調査
場所はハルバートンとサンプフォード・ペヴェレルという2つの村のあいだに広がる農地。2004年に地元の探知愛好家がローマ時代の硬貨や金属製品を拾い始めたところから、話が動き出した。
ティヴァートン考古学グループとサンプフォード・ペヴェレル協会が、州の考古学担当者の後押しを受けて、畑を歩きながら地表に出ている遺物を拾い集めた。集まったのはモザイク用の小さな石のタイル(テッセラ)、土器のかけら、屋根に使うスレート、平たいタイル。続いて地中を探る物理探査——地面に電気や磁気を通して、掘らずに地下の構造を読み取る方法——を行うと、建物の基礎がいくつも並んでいることが分かった。畑の下に、ヴィラとその周辺施設がまとまって埋まっているらしい。
2019年、ボランティアが2本の細長い試掘溝(トレンチ)を掘り、モザイク床の一部が顔を出した。2021年には地元の考古学会社が13本のトレンチを追加し、遺構がどこまで広がり、どのくらい残っているかを確かめた。
そして2025年、国立宝くじ遺産基金の助成を受けて、エクセター大学が加わった本格的な発掘が始まる。計画の名前は「SHARE(Saving Halberton’s Ancient Roman Environment=ハルバートンの古代ローマ環境を守る)」。2025年から2030年までの取り組みで、現地の発掘は年1回ずつ3回に分けて行う。今回はその1回目にあたり、2か月をかけて、大学の考古学専攻の学生65人と地元のボランティアが2本の大きなトレンチを掘った。
ヒル氏の探知歴は40年、いまは80歳近い。BBCの取材には、自分が生きているうちに発掘を見られるとは思っていなかったと語っている。
12mm角のタイルが描く花
モザイクの色は赤、白、濃い青灰色の3色。石を1辺12mmの立方体に切り出したものを、数千個も敷き並べてつくられている。学校のノートの1cm方眼より、少し大きいくらいの粒だ。
中央には円形の枠があり、そのなかに8枚の花びらをもつ花が描かれている。花びらは涙のしずくのような形で、少しずつ重なり合う。まわりを囲むのは、正方形を斜めにずらして組み合わせた模様と、2本の紐を編んだような帯。この帯は「ギヨーシュ」と呼ばれ、ローマのモザイクでは定番の柄だった。
外周だけは、つくりが違う。人の行き来が多い場所に合わせて、白っぽい石灰岩の、もっと大きくて粗いタイルが使われている。全体で12㎡、畳を7枚ほど並べた広さで、小さな部屋の床を覆っていた。発掘チームは食堂だったと見ていて、来客を通す応接の間だった可能性も挙げている。細かい絵柄の中心を人が歩く場所からずらしてある構成からしても、見せるための床だったのだろう。
増改築を重ねた本館
ヴィラは最初から大きかったわけではない。始まりは、両端が翼のように張り出した、質素な長方形の建物だった。それが時代とともに何度も手を加えられていく。北側と南側に部屋が足され、前面のくぼんだ部分が埋められ、玄関のポーチが付け足された。
建物の裏手には、張り出した壁と深い溝がある。片流れの屋根から落ちる雨水を受けるためのもので、その下は物置か台所として使う実用的な空間だったらしい。木の階段があった痕跡も見つかっていて、一部は2階建てだった可能性がある。

水風呂をそなえた別棟と出土品
本館とは別に、石造りの建物が2棟見つかっている。一方には大きな水槽が少なくとも2つあり、オプス・シグニヌム——砕いた土器を混ぜてつくる、水を通さないローマのコンクリート——で仕上げられていた。冷たい水につかる浴槽と見られ、壁には彩色した漆喰も残っていた。7月の発表では、この別棟を凝った造りの浴場として扱っている。
もう1棟は長い長方形の建物で、トレンチの外まで続いている。周辺からは動物の骨と、加工した跡のある角が大量に出ており、農作業に使う建物か、骨や角を扱う作業場だったのではないかと考えられている。
出土品も豊かだ。青いガラスに勝利の女神を彫ったインタリオ——指輪にはめて、蝋に押しつけて書類を封じるための彫刻——が見つかっている。モザイクの上に載るような形で出てきた銅合金の細い腕輪、部屋のひとつから出た銀めっきのスプーン、3世紀末から4世紀ごろの飲み物用のコップ、ライオンの口の形をした注ぎ口がついたすり鉢、そして大きな貯蔵用の壺。絵の具か化粧品を練るのに使ったらしい火打ち石のかけらもあった。
発掘を率いるエクセター大学のスーザン・グリーニー博士は、これほど凝った浴場が出てくるとは予想していなかったと述べている。ここに住んでいたのが裕福で地位の高い人たちだったことは、まず間違いないという見方だ。
帝国の縁にあったデヴォン
ローマ時代のヴィラは、イングランド南部の各地に残っている。ただしデヴォンでは事情が違う。発掘によって確かめられたものは、今回の遺跡以外に2件だけ。「そうかもしれない」という候補もわずかしかない。まして、モザイクを備えたヴィラとなればさらに珍しい。
デヴォン州議会の考古学担当ビル・ホーナー氏は、この多色モザイクがローマ時代のブリテンでヴィラから出たものとしては最も西にあたると説明している。ローマ文明のしつらえと、豊かさを示す品々がここまで揃っているということは、属州の端に近いこの土地も、それだけ帝国の中に組み込まれていたということになる。
周辺には、もうひとつ気になる材料がある。近くの畑では大量の鉄のスラグ(製鉄のときに出る、鉄以外の成分のかす)が見つかっており、ローマ支配の末期にこの地で製鉄が行われていたことを示している。ローマが撤退したあとも産業が続いていたかどうかを考えるうえで、重要な手がかりになるかもしれない。
農耕による損傷と救出発掘
この発掘には期限がある。畑には長いあいだ鋤が入ってきたため、遺構はすでにひどく傷んでいる。1950年代にこの土地を買った持ち主の家族も、下に何かが埋まっているとは気づいていなかった。プロジェクトの公式サイトは、これ以上の耕作で失われる恐れがあり、救出のための発掘ができる時間の窓は狭いと書いている。
モザイク自体も、その場に残っていたのは一部だけだ。中央の花の部分は比較的よく残っていたが、そのまわりは、外周の粗いタイルが2か所と、細かいモザイクが横に1本残っている程度。表土に混じったり、元の位置から動いてしまったタイルが数多く見つかっている。もともと敷かれていた漆喰かモルタルは失われたらしく、モザイクは土の層に埋め込まれたような状態で見つかった。
だから専門家は、床をその場に置いておくという選択をしない。いま慎重に持ち上げて保存処理をし、ほかの出土品と一緒にティヴァートンの博物館(Tiverton Museum of Mid-Devon Life)で展示する予定になっている。現場は主要な調査期間中は毎日見学でき、脇を通るグランド・ウェスタン運河の遊歩道からは、掘っているところを見下ろせる。
つまりこの発掘は、新しいものを見つける作業というより、消えかけているものに間に合わせる作業だ。20年あまり前に拾われた一枚の硬貨が、屋敷と浴場をまるごと掘り出させ、床を博物館に移すところまで来た。
解釈上の留意点
いくつか、押さえておきたい点がある。
まず、これは完結した発掘の報告ではなく、進行中の調査の途中経過だ。2026年の発掘は3回のうちの1回目で、来年以降は隣接する土地に広がる屋敷全体の範囲を調べる予定になっている。
「最も西」の範囲にも注意したい。これはローマ時代のブリテンで、ヴィラから見つかった多色モザイクという枠のなかでの話であって、ローマの支配がデヴォンより西に及んでいなかったという意味ではない。
ヴィラの持ち主や部屋の使い方も、あくまで推定だ。食堂だったという読みも「おそらく」の域にある。浴場についても、6月の時点で発掘チームは、この建物を浴場と呼べるかどうかはまだ決められないと書いていた。7月の発表では浴場として扱われているが、建物の全体の形と広がりは、これからの調査で確かめる課題として残っている。
もうひとつ。今回の話は「趣味の金属探知機が屋敷を掘り出した」とまとめたくなるが、実際には、見つけたものを届け出て専門家と組んだからこの結果になっている。コッツウォルド考古学の現場責任者ダン・ソーシンズ氏も、今回の成果は責任ある金属探知の好例だと述べている。


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