樹冠の下から400基近い幾何学構造。アマゾンに想像より大きな文明があった

歴史・考古学
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ブラジル・アマゾンの森の上を、小型機がレーザーを撃ちながら飛ぶ。葉のすきまを抜けた光が地面ではね返り、往復にかかった時間から地形の凹凸が割り出される。そうして描かれた地図に、幾何学的な溝と土手のかたまりが432基も並んでいました。しかもそのうち、これまで記録があったのはたった36基。残る396基は、誰も存在を知らなかったものです。

調べたのは南西アマゾンの約4500平方キロメートル。ヘルシンキ大学のマルッティ・パルシネン氏らのチームが、2026年7月29日付の学術誌 Nature に発表しました。研究チームはこの結果をもとに、一帯にはまだ2万4000〜3万基の同種の構造が眠っていると見積もっています。

森に隠されていた幾何学構造

アマゾンに「ジオグリフ」と呼ばれる幾何学模様の土木構造があること自体は、1970年代から知られていました。円、四角、八角形、四角の中に円——溝を掘り、掘った土を外側に盛り上げて土手にする、という同じ作り方で、大小さまざまな形が作られています。

ただ、見つかり方には偏りがありました。上空からの写真や衛星画像で探すやり方では、木が茂っている場所は見えません。つまりこれまで数えられてきたのは、ほぼすべて森が伐られてしまった土地にあったものだけ。最初に報告された数は60基、その後200基、2024年時点でも1279基どまりでした。皮肉なことに、森林破壊が進んだ場所ほど遺構が「見つかっていた」わけです。

森の下がどうなっているのかは、長いあいだ空白のままでした。この空白を埋めないと、この文明がどこまで広がっていたのかも、どのくらいの人が暮らしていたのかも、まともに見積もれません。

樹冠を透かして地面を測るライダー

そこで使われたのがライダー(LiDAR)です。飛行機から地面に向けて毎秒何十万発ものレーザーを撃ち、はね返ってくるまでの時間を測ることで、地表までの距離を1点ずつ記録していきます。

ポイントは、レーザーの束のうちごく一部が、葉と葉のすきまを運よく通り抜けて地面まで届くことです。1発ずつで見れば大半は葉に当たって返ってきますが、数を撃てば必ず地面に届く分が出てくる。その「地面に届いた分」だけを選り分けて集めれば、木を消し去った地形図——専門的には数値地形モデル(DTM)——ができあがります。

上の図のように、木の下に隠れていた溝や土手の形が、そのまま浮かび上がってくる。今回の調査では平均で1平方メートルあたり31.2点という密度でデータが取られ、50センチメートル刻みの地形図が作られました。この解像度があれば、幅10メートル前後の溝は十分に見分けられます。

一度の調査で見つかった432基

飛行は2024年6月6日から7月1日にかけて、ブラジルのアクレ州とアマゾナス州で行われました。幅1キロメートルの帯を10本、飛行距離にして4430キロメートル、面積にして4497平方キロメートル分をスキャンしています。

そこから見つかったのが、冒頭の432基です。溝を掘って囲いを作るタイプ(いわゆるジオグリフ)に加えて、溝のない四角形・多角形の土塁が予想よりずっと多いことも分かりました。土塁だけの構造は衛星画像では特に見つけにくく、これまで数えられていなかったものです。

もうひとつ、この研究でいちばん効いている数字があります。すでに森が伐られていて衛星画像でも見えるはずの区画を、同じ場所についてライダーで測り直したところ、衛星画像で30基しか見つけていなかった範囲から156基が出てきました。つまり5倍。森に隠れているぶんを差し引いてもなお、これまでの数え方は5分の1しか拾えていなかったことになります。

一方で、飛んでも何も出てこなかった場所もありました。プルス川とジュルア川にはさまれた内陸部、約800キロメートル分の飛行では、遺構はひとつも検出されていません。研究チームはこれを、レーザーが届かないほど森が濃かった可能性と、そもそも人が定住しない緩衝地帯だった可能性の両方を挙げて、断定を避けています。この「出てこなかった線」があるおかげで、文明の広がりの外側の境界も引けるようになりました。

全域で2万4000〜3万基という試算

スキャンできたのは幅1キロメートルの帯だけで、帯と帯のあいだは10キロメートル空いています。言い換えれば、対象地域の10%しか見ていない。研究チームはこの比率を使って、帯の外側にも同じ密度で構造があると仮定し、全体の数を外挿しました。

出てきたのが約2万4000基。衛星画像から積み上げた別の計算では約2万9500基。さらに、森が濃くてレーザーが地面に届かなかった割合(区画によって11.5〜54.5%)を考えると、実数は3万基に近い可能性もあるといいます。結論として論文が示した数字が、2万4000〜3万基です。

この数は、2023年に別のチームが「アマゾン全体でまだ1万基以上が森の下に隠れている」と推定した値を、この一地域だけで上回ってしまいます。ただし2万4000〜3万基のすべてが同時代のものではありません。放射性炭素年代測定によれば、このうちおよそ3分の2が今回の主役である時代の構造で、残りは西暦1000年以降に作られた別タイプの集落跡です。

あわせて、文明の分布域も引き直されました。以前の見積もりは約6万平方キロメートル。今回はその3倍、約18万3000平方キロメートルになっています。研究チームはこの文化圏を「アキリ(Aquiry)」と呼んでいます。

最盛期の人口をめぐる推定

ここからが、いちばん数字が独り歩きしやすいところです。

研究チームの計算はこう組み立てられています。まず、これだけの溝を掘って維持するには1基あたり300人ほどの人手が要る、という2009年からの見積もりを使う。次に、年代測定の重なり具合から、同じ時期に使われていた構造は全体の25〜60%と見る。アキリ期の構造の総数を約1万6660基とすると、同時に使われていたのは4165〜1万基。そこに300人を掛けて——125万〜300万人という数字が出てきます。

ピークとされるのは西暦100〜300年ごろ。この人数を面積で割ると、1平方キロメートルあたり7.1〜16.5人になります。比較のために現在のアクレ州を見ると、16万4000平方キロメートルに83万人で、1平方キロメートルあたり5.1人。2000年前のほうが、いまのアクレ州より人口密度が高かった、という計算です。

もちろんこれは推定を三段重ねにした値で、研究チーム自身も幅を持たせています。レーザーが届かなかった分を足し戻せば160万〜380万人まで上がりうるし、逆に「1棟の建物に1家族しか住んでいなかった」という前提を取れば25万〜60万人まで下がる。ただし後者については、当時の住居のつくりから見て「きわめてありそうにない」と退けています。

定住地ではない儀礼の場

ここは誤解されやすいところなので、はっきりさせておきます。見つかった溝と土手の囲いは、人が住んでいた街ではありません

これらの構造からは、恒常的に人が住んでいた痕跡も、防御用の設備も出てきていません。研究チームの見立てでは、外から招かれた人びとが集まるための、公共的・儀礼的・政治的な場。集会や意思決定、首長による気前のよさの誇示、踊り、音楽、饗宴、競技といったことが行われた広場です。ふだんは使われず、必要なときに人が集まってくる。人びとが暮らしていたのは、その周囲に散らばった集落のほうでした。

この地域では西暦1200年代以降、マウンド(土を盛った建物の基礎)を並べた村が現れます。1つの村はおよそ1.28ヘクタール、マウンドは平均11.75基。それぞれが5〜6家族が住む長い共同住宅だったとすると、1つの村におよそ300人。先ほどの「1基あたり300人」という数字と、別の道筋から出した数字がだいたい一致する、というのが研究チームの論拠のひとつになっています。

暮らしを支えていたのはトウモロコシ、カボチャ、キャッサバ、サツマイモ、トウガラシ、豆、ピーナッツ。それにブラジルナッツやモモヤシ(ペーチパーム)などの木を植え、実を採っていた痕跡も見つかっています。アクレ一帯の土は、アマゾンの非氾濫原としては養分が最も豊かな部類に入ることが、近年の土壌図からも確かめられました。「アマゾンの土は痩せているから大人口は無理」という長年の前提が、少なくともこの地域には当てはまらないということです。

「手つかずの原生林」という前提の見直し

溝の規模を思い浮かべると、この作業量の意味が見えてきます。幅は9〜13メートル、深さは地表から最大5メートル。5メートルは建物の2階分の高さです。それを、金属の道具も荷役に使える大型家畜もない状態で、円や八角形の形を保ったまま掘り抜いている。1基の平均は2.98ヘクタール、最も大きいものは約50ヘクタールに達します。

共著者でアクレ連邦大学の地理学者アルセウ・ランジ氏は、この結果について「手つかずのアマゾンという古い考えは崩れる」と述べています。実際、いま私たちが見ている森の土壌の性質、樹種の構成、生物多様性には、この人びとが残した影響が今も残っている可能性がある。研究チームは、アマゾンの気候モデルや土地利用の計画も、それを織り込んで考え直す必要が出てくると指摘しています。

もうひとつ触れておきたいのは、この研究の進め方です。著者にはアプリナ族の研究者フランシスコ・アプリナ氏が名を連ねており、現地の先住民の協力者からは、これらの広場がかつてどう使われ、何人のために作られたのかについての知識が提供されました。それが今回の人数の見積もりとも整合しているといいます。また、現在の先住民居留地の中で見つかった遺構については、正確な位置を地図にもデータベースにも載せていません。

解釈上の留意点

「アキリ」という名前は、この文明が自ら名乗っていたものではありません。研究チームが2021年の著書で、この地域(アクレの古名)にちなんで付けた呼び名です。実際には複数の言語集団が関わった多文化的な社会だったと考えられており、ひとつの民族の名前として読まないほうがよいでしょう。

125万〜300万人という人口も、遺跡から人骨や住居を数え上げた値ではありません。「1基あたり300人」「同時使用は25〜60%」といった前提を重ねた推定で、前提のどれかが変われば結果も動きます。考古学の人口推定は幅が出るのが普通で、論文自身も25万〜380万という広い可能性を示したうえで、その中で最も妥当と考える範囲として125万〜300万を挙げています。

ライダーも万能ではありません。今回の調査でも、森が濃すぎて地面のデータが十分に取れなかった範囲が、区画によって41.9%から54.5%に達しています。大きくて溝の深いジオグリフに限っても、11.3〜17.8%は完全に見えていません。「見つからなかった=なかった」とは言えない、ということです。

そして、ライダーによる遺跡発見自体は新しい手法ではありません。ボリビアのモホス平原(2022年)やエクアドルのウパノ渓谷(2024年)でも同じ技術で大規模な遺構が見つかっており、マヤ低地では以前から使われてきました。今回の新しさは、技術そのものではなく、森に覆われた広い範囲を系統立ててスキャンし、そこから文明の広がりと人口を見積もるところまで進めた点にあります。

最後に、範囲の話を正確にしておきます。「アマゾン全体の3%弱」という言い方をされることがありますが、この3%というのは、今回推定されたアキリの分布域18万3000平方キロメートルが、アマゾン全域(約670万平方キロメートル)に占める割合です。実際にレーザーで測ったのは、そのうちのさらに4497平方キロメートル。つまり「アマゾン全体にこれと同じだけ遺構がある」という話ではありません。研究チームが言っているのは、他の地域でも似た結果が出るなら、コロンブス以前のアマゾンの人口はまるごと見直す必要が出てくる——という条件付きの提起です。

出典

論文(オープンアクセス・査読済み):Pärssinen, M. et al. “Over 20,000 precolonial earthworks in the Southwest Amazonia.” Nature (2026). DOI: 10.1038/s41586-026-10835-7

報道:Mysterious Shapes Hidden Beneath the Amazon Canopy Reveal a Sprawling Ancient Civilization Much Bigger Than Researchers Expected(Smithsonian Magazine)

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