月の土でイネが穂を出した——といっても、舞台は仙台の実験室です。東北大学とJAXAの研究チームが、空気と電気だけで窒素肥料を作る小さな装置を開発し、その肥料水を使って月の土を模した「模擬レゴリス」でイネを育てました。種をまいてから4か月後、イネは出穂期(しゅっすいき/穂が出はじめる時期)まで到達しています。
しかも装置が使う電力は100ワット未満。白熱電球1個分ほどの電気で、月面基地の空気から肥料を作り出せる、という話です。

月の土に足りないもの
月の表面を覆う灰色の砂——レゴリスには、有機物がまったく含まれていません。地球の土は、微生物や植物の遺骸が長い時間をかけて分解されてできたものですが、月にはその歴史がない。結果として、植物が育つのに欠かせないアンモニアや硝酸(しょうさん)といった窒素源が、ほぼゼロなのです。
さらに厄介なのは、月に大気がないこと。窒素肥料を現地で作ろうにも、原料になる空気そのものが手元にありません。使えるのは、密閉された居住区の中に閉じ込めた空気だけ。地球から運んだ、あるいは現地で作った、貴重な空気です。
肥料を地球から打ち上げ続けるのは、長期滞在を考えると現実的ではありません。だからこそ、その限られた空気を肥料に変えられるなら、話は大きく変わります。
空気と電気だけでつくる窒素肥料
チームが使ったのは「プラズマ」です。気体に強い電圧をかけて電子を飛び回らせると、ふだんは反応しにくい窒素分子や酸素分子が壊れて、活発な状態の分子に組み変わります。この性質を使って、空気から窒素化合物を合成する研究は以前から進んでいました。
この研究グループが得意としてきたのは、その中でも五酸化二窒素(N2O5)という気体を選んで作り出す技術です。ポイントは、水への溶けやすさにあります。N2O5は水に触れるとほぼ100%が溶けて、硝酸イオン——植物がそのまま吸える窒素——に変わります。同じ条件で比べると、一酸化窒素や二酸化窒素の混合ガスの30倍以上という溶解効率です。
この装置の消費電力が100ワット未満。太陽光パネルでまかなえる範囲です。空気と電気さえあれば、その場で肥料水が作れる。月面農業の文脈で見ると、これはかなり筋のいい組み合わせです。
模擬土壌の中和とミネラルの溶出
ここからが、この研究のおもしろいところです。作ったN2O5溶解水を、月の海(黒っぽい平原)の土を再現した模擬レゴリス「LMS-1」に注いだところ、肥料として働く以上のことが起きました。
レゴリスは強いアルカリ性で、水に浸したときのpHは9.09。植物にはかなりつらい環境です。そこにN2O5溶解水(硝酸10ミリモル相当)を加えると、pHが6.76まで下がりました。ほぼ中性の、作物向きの値です。
中和が起きると、土の中で固まって動けなかったミネラルがほどけ出します。カルシウムは130 mg/L(約3.2ミリモル)、マグネシウムは20 mg/L(約0.82ミリモル)。植物の培養によく使われる標準的な培地(MS培地)のカルシウム3.0ミリモル、マグネシウム1.5ミリモルと比べて、多すぎも少なすぎもしない濃度でした。カリウムも同様に溶け出しています。
逆に、抑え込まれたものもあります。アルミニウムイオンです。レゴリスには酸化アルミニウムが多く含まれていて、溶け出すと根の成長を阻害します。ところが水だけを与えた場合に0.08 mg/L検出されたアルミニウムイオンが、N2O5溶解水では検出限界(0.008 mg/L)を下回りました。アルミニウムの溶けやすさはpHに強く依存するため、中和がそのまま毒抜きになった格好です。
つまりこの肥料水は、窒素を与えると同時に、土のpHを直し、必要なミネラルを引き出し、有害なイオンを引っ込めていた。ひとつの処理で、複数の問題が一度に片づいていたわけです。
出穂期まで届いたイネ
実際に育てたのは、ササニシキです。栽培容器に模擬レゴリスを入れ、水だけを与えた区と、N2O5溶解水を与えた区を比べました。
種まきから3か月後、N2O5溶解水の区のイネは、水だけの区よりはっきり大きく育っていました。そして4か月後には出穂——穂ができはじめる段階まで進みます。米になる手前の段階まで、月の土もどきの上で到達したことになります。

根の遺伝子を調べると、変化ははっきりしていました。硝酸を運ぶ役割の遺伝子(NPF6.5/NRT1)の発現が増え、アルミニウム毒性に反応して働く遺伝子(STAR1)の発現は減っていた。溶液の分析で見えた「窒素が入り、アルミニウムが引っ込んだ」状態を、イネ自身の反応が裏づけた形です。
葉への噴霧で変わる性質
もうひとつ、予想外の効果が見つかっています。N2O5を気体のまま葉に吹きかける、という使い方です。
すると、ジャスモン酸とエチレンという植物ホルモンの経路が動き出し、病気への抵抗力(全身獲得抵抗性)が高まりました。防御や免疫にかかわる遺伝子の発現も上がっています。閉鎖環境で作物を育てる場合、いちど病気が入ると逃げ場がありません。農薬を持ち込まずに植物自身の守りを固められるなら、それだけで価値があります。
もうひとつが、徒長(とちょう/茎がひょろひょろと伸びすぎること)の抑制です。ガスを浴びたイネは茎や節間の伸びが抑えられ、背は低くなりました。ただし単位長さあたりの重さ(生重量/長さ)はいちばん高く、要するにずんぐりして密な体つきになっています。
これが宇宙で効いてきます。低重力の環境では、植物は支える必要が減るぶん茎が徒長し、リグニンも減って、頭でっかちで折れやすい姿になりがちだと指摘されてきました。背丈を抑えて中身を詰められる手段は、そのまま対策として使える可能性があります。
地球の畑への応用
研究を率いた金子俊郎教授が強調しているのは、この技術の使い道が月に限らない点です。
現在の窒素肥料は、そのほとんどがハーバー・ボッシュ法で作られています。高温高圧でアンモニアを合成する方法で、化石燃料に大きく依存し、二酸化炭素の排出量も相当なものです。対してプラズマによる窒素固定は、電気だけで動きます。再生可能エネルギーでまかなえば、肥料づくりを化石燃料から切り離せる——月のための技術が、そのまま地球の脱炭素の話につながっていく、というわけです。
ちなみにこの研究、東北大学やJSPS科研費などと並んで、バンダイナムコ研究所の「ガンダムオープンイノベーション」からも支援を受けています(論文の謝辞に記載)。プラズマ研究とガンダムの取り合わせは、金子教授の研究室ではおなじみのようです。
解釈上の留意点
いくつか、押さえておきたい点があります。
まず、実験は「模擬」月面土壌で行われたものです。使われたLMS-1は、月の海の岩石組成を地球の材料で再現した土であって、本物のレゴリスではありません。実際のレゴリスには、宇宙線や微小隕石の衝突でできた鋭いガラス質の粒や、地球にはない微量成分が含まれます。アポロが持ち帰った本物のレゴリスでシロイヌナズナを育てた別の研究(2022年)では、必要な栄養をすべて与えてもなお、金属イオンによって成長が阻害されたと報告されています。模擬土壌でうまくいったからといって、本物でも同じとは限りません。
実験環境も地上です。温度30℃・16時間照明の栽培チャンバーの中の話であって、低重力・真空・放射線といった月面の条件は再現されていません。徒長抑制の効果が「低重力で有効」というのも、既知の性質からの見通しであって、低重力下で確かめられたわけではないことになります。
それから、米が採れたわけではありません。到達したのは出穂期までで、登熟して収穫できたという報告ではない点は、正確に受け止めておきたいところです。
そして、肥料としてはまだ足りていません。窒素は解決しましたが、リンが残っています。模擬レゴリスから溶け出すリン酸の量は、N2O5溶解水を使っても水だけでも同じように低いままでした。実際、2週間目の苗を、N-P-Kを含む市販の肥料を与えたものと比べると、生育にはっきり差が出ています。論文自身が、レゴリスからリンを溶かし出す技術の開発が必要だと述べており、リン溶解菌との組み合わせを次の手として挙げています。
月面農業は、水・空気・電力の確保から廃棄物の再利用まで、課題が山積みの分野です。今回の成果は、そのうち「窒素」の一マスを埋めたもの——ただし、そのマスの埋め方がかなり鮮やかだった、と受け取るのがちょうどいい距離感だと思います。
出典
この研究は、2026年5月2日付で学術誌 npj Microgravity に掲載されています(査読済み、オープンアクセス)。


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