ゴキブリに潜水服を着せたら、水中を3時間歩けるようになった

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ゴキブリの背中に小さな電子装置を載せて、電気信号で歩く向きを操る——「サイボーグ昆虫」と呼ばれるこの技術は、災害現場のがれきに入り込む探索手段として10年以上研究されてきました。ただし弱点がひとつありました。水に浸かると数十秒で動けなくなってしまうことです。シンガポールの南洋理工大学(NTU)と早稲田大学のチームが、そこに「潜水服」を着せました。水中で最大3時間、歩き続けられます。

水没した現場という壁

サイボーグ昆虫は、生きた昆虫に電子コントローラーを取り付けたハイブリッド型のロボットです。歩くのは虫自身の筋肉なので、モーターを回す小型ロボットと比べて消費電力が桁違いに小さい。体が小さくて丈夫で、散らかった場所や狭いすき間にも入っていける。だから災害救助やパイプライン点検の道具として期待されてきました。

ところが、生きものを使う以上、その生きものが生きられる環境からは出られません。ゴキブリは胸の側面にある「気門(きもん)」という小さな穴から空気を取り込み、体の中に張りめぐらされた気管に送って呼吸します。水中の酸素を取り込む仕組みは持っていないので、水没すればそれまでです。

実際、今回の研究の対照実験では、潜水服なしのサイボーグゴキブリを水中に歩かせたところ、45秒で脚の動きが止まりました(研究チームはすぐ引き上げて乾かし、数分で回復したと報告しています)。豪雨や洪水のあとの現場には、水たまりや半分水没した通路がふつうにあります。そこで止まってしまうなら、使いどころはかなり限られる。

潜水服の構造

作られた装置は3つの部品でできています。腹部を包む柔らかい防水シェル、その中に収まる酸素発生タンク、そして気門につなぐ4本のシリコンチューブです。

シェルは壁の厚さ1ミリの柔らかい樹脂製で、ゴキブリの腹の形に合わせた円錐状。後ろからすっと差し込むように装着します。体との境目はニトリルゴムの薄い膜(厚さ0.16ミリ)でふさぎ、水の侵入を止めつつ、歩くときの体のねじれには追従できるようにしてあります。シェルの内側は、そのまま酸素をためておく空間も兼ねています。

装置を背中に載せなかったのは、実験の結果です。最初は背側に取り付けたのですが、水の抵抗が大きくなるうえ重心が高くなり(地上から約1.7センチ)、姿勢が不安定になってひっくり返ってしまった。腹側は地面とのすき間が2〜3ミリしかなく、そもそも入らない。それで腹部の後端に置き、シェルごと包み込む形に落ち着きました。

過酸化水素からつくる酸素

酸素をどう供給するかが、この研究のいちばんの工夫どころです。圧縮酸素ボンベを積むには重すぎるし、電気で水を分解するなら電源が要る。チームが選んだのは、電子部品をいっさい使わない化学反応でした。

1センチ角のセルロース製スポンジに二酸化マンガンの粉を塗り付けておき、そこへ3%の過酸化水素水を1ミリリットル注ぎ込む。二酸化マンガンは触媒としてはたらき、過酸化水素をゆっくり分解して、水と酸素に変えます。オキシドールが傷口で泡立つのと同じ反応です。

粉と液を直接混ぜると激しく泡立って虫の姿勢が崩れてしまうため、あえてスポンジに染み込ませ、固体と液体が触れる無数の微小な点でじわじわ反応させる設計にしています。タンクのふたには、目の大きさ0.22マイクロメートルの疎水性フィルムを張ってあり、気体は通すが液体は通さない。過酸化水素も二酸化マンガンの粉も、生じた水も、すべてタンクの内側に閉じ込められる仕組みです。

チューブは、開いたままの前胸気門と、小さな穴しか見えない中胸気門という、形の違う2種類の気門にそれぞれ合わせたコネクタで接続します。前者はスプーン状のふたで覆い、後者には外径0.4ミリの細い管を差し込む。実験後は取り外せ、接着に使った膜も磨き落とせるとしています。

スーツの中の酸素濃度

過酸化水素1ミリリットルから出てくる酸素は、累計で6.2ミリリットルほど。スーツ内の酸素濃度は注入から8分でピークの47%前後まで上がり、そのあとゆるやかに下がって、3時間後で約15%でした。昆虫が正常に活動するには十分な濃度です。

比較として、酸素発生装置を入れずにスーツだけ着せた場合は、呼吸で消費されるだけなので1時間で6%台まで落ちます。昆虫は5%を切ると活動が抑えられ、死に至ることもある。つまり装置なしなら1時間ももたない。

分解反応は熱を出すので温度上昇も心配されましたが、赤外線カメラで見るかぎり23.6〜24.0℃の範囲に収まっていました。使う量が少なく(二酸化マンガン2ミリグラム、過酸化水素は3%溶液)、反応点が分散しているためです。

水中での動きの変化

陸上での前進速度は平均87.5ミリ毎秒。これが水中では78.4ミリ毎秒に落ちました。1割ほどの低下です。ところが旋回になると差がはっきり出て、左回り58.6度毎秒→35.2度毎秒、右回り58.1度毎秒→28.2度毎秒と、4〜5割の低下でした。

前進より旋回のほうが落ちるのは、体を横に振ったときに水を受ける面積が増えるためだと説明されています。スーツを着たゴキブリの体は細長い楕円形なので、まっすぐ進むぶんには水を切りやすいけれど、向きを変えようとするとまとまった抵抗を受ける。3時間の連続運用では、疲労と刺激への慣れもあって前進速度は52.3ミリ毎秒まで落ちていきました。

体長あたりの速さに直すと、陸上1.1体長毎秒、水中1.0体長毎秒。既存の水陸両用ロボットの多くが陸上1.0未満、水中0.8未満であることを考えると、生きた虫のほうが速いということになります。

二酸化炭素と水の複合コース

実際の災害現場を想定した試験も行われています。長さ1.7メートル、断面5センチ角の透明トンネルを作り、前半を二酸化炭素で満たし、後半を水で満たす。途中に30度の傾斜も入れた、意地の悪いコースです。

スーツなしのサイボーグは、二酸化炭素の区間に入って数秒で脚の動きが乱れ、刺激に反応しなくなりました。麻酔がかかった状態です。水の区間だけを別個体で試すと、45秒で動かなくなった。スーツを着た個体は、3回の試行すべてでコース全体を歩き通しています。

もうひとつ、高さ2センチの狭いすき間を水中でくぐる試験もありました。ここでは背中のバックパックが引っかかってしまうため、コントローラーと電池を体内に埋め込んだ「完全埋め込み型」の個体を使っています。突起がなくなるぶん通り抜けられ、重心も体の中心軸に近づいて安定したとのことです。

なぜロボットではなく生きた虫なのか

この研究のおもしろさは、「歩く」という一番エネルギーを食う部分を生きものに任せている点にあると思います。センチメートル級のロボットを水陸両用にしようとすると、防水も推進も姿勢制御もすべて自前でやらなければならず、バッテリーはすぐ尽きます。ゴキブリはそれを自分の筋肉と自分の脚でこなす。人間側が用意するのは、刺激を送る小さな回路と、今回の場合は呼吸を助ける殻だけです。

マダガスカルゴキブリ(体重約5.5グラム、体長約6センチ)が背負える重さは15グラムほど。潜水服が5.5グラム、防水処理をしたバックパックが0.7グラムなので、8.8グラム分の余裕が残っています。研究チームは、この余裕にセンサーや電源を足していきたいとしています。

解釈上の留意点

実験室の水槽での成果であって、災害現場で使える段階ではありません。テストは澄んだ水を張った50センチ角の水槽やアクリル製のトンネルで行われており、泥水・瓦礫・流れのある水といった要素は入っていません。水中では浮力を打ち消すために5グラムのおもりを追加しています。

酸素の供給は一度きりの「充填」です。過酸化水素を注いだあと紫外線硬化接着剤で封をしてしまうので、途中で足すことはできません。3時間というのは、その1ミリリットルを使い切るまでの時間です。研究チーム自身、酸素濃度センサーと小型ポンプを組み合わせて供給量を調整する仕組みが今後の課題だと書いています。

また、狭いすき間を通った試験ではコントローラーを体内に外科的に埋め込んでいます。生きた昆虫を道具として使うことへの倫理的な議論は、この分野につきまとうものです。論文では、実験後にスーツを外せること、5個体を3日間観察して全個体が正常に生存したことが記されています。

ひとつ紛らわしいのは、NTUのプレスリリースが「佐藤教授のサイボーグ昆虫は2026年3月28日のミャンマー地震(M7.7)の救助活動で実際に使われた」と述べている点です。これは同じ研究室のこれまでのサイボーグ昆虫であって、今回の潜水服が現場に投入されたという話ではありません。

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