月の裏側の石が書き換える「隕石の大爆撃」。43億年前から30億年かけての長い下り坂

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月の裏側から持ち帰られた石の破片を28粒ならべて、それぞれが「いつ衝突の熱で溶けたか」を一つずつ測ってみたら、年代は43億3000万年前から11億3000万年前までばらばらに散らばっていました。30億年以上にわたる幅です。教科書に載っている「後期重爆撃期」——太陽系の内側に小惑星が集中的に降りそそいだ短い嵐の時代——の絵が、この結果で少し形を変えることになりそうです。

分析したのは、中国の嫦娥(じょうが)6号が人類初の月裏側サンプルリターンで持ち帰った試料。中国科学院広州地球化学研究所を中心とするチームが、7月23日付の学術誌『Science Advances』に発表しました。

「後期重爆撃期」という定説の成り立ち

話の出発点は1970年代のアポロ計画です。アポロ15号・16号・17号、それにソ連のルナ20号が持ち帰った石の中に、衝突の熱で一度溶けてから固まり直した岩がありました。この手の岩は、溶けて固まった瞬間に「時計」がゼロに戻る性質があるので、衝突がいつ起きたかを知る手がかりになります。

ところが年代を測ってみると、多くが39億年前あたりに固まって集まりました。しかも、この時期にできたとされる大きな盆地がいくつも並んでいる。そこから、41億年前から38億年前のどこかで小惑星や彗星が急に増え、月と地球に集中的に降りそそいだ、という考えが生まれます。これが「後期重爆撃期(Late Heavy Bombardment)」です。

引き金として語られてきたのは、巨大惑星の引っ越しでした。木星や土星のような大きな惑星が太陽系の初期に軌道を移動し、その動きに引きずられた小さな天体が内側へ振り落とされた、という筋書きです。そして期間は、地質学の時間感覚ではかなり短い。2000万年から2億年ほどのあいだに一気に起きて、そのあと急に収まったと説明されてきました。

この話が月の年代学の外まで影響を持ったのは、時期がきわどいからです。地球で見つかっている最古の生命の痕跡は38億年前ごろのもの。爆撃がやんだ直後に生命が現れたことになると、「地球の表面が何度も溶かされる時代が終わって、やっと生命が芽生えられた」という順序の物語が成り立ちます。後期重爆撃期は、月の岩の話でありながら、生命の起源をめぐる議論の土台にもなってきました。

表側の岩石に潜む偏り

ただ、この定説には前から弱点が指摘されていました。年代の根拠になった石が、すべて月の表側で採れたものだったのです。

アポロ計画の着陸地点もルナの回収地点も、全部が地球を向いた側にあります。そしてその表側には、直径1000キロを超える巨大なくぼみ「雨の海」(インブリウム盆地)があります。この盆地を作った衝突は、およそ39億2000万年前。それほど大きな衝突が起きると、砕けた岩が広い範囲に飛び散ります。飛び散った岩のことを「イジェクタ」と呼びますが、雨の海のイジェクタは表側をかなり広く覆いました。

つまり、表側で拾った石には、この一発でできた岩や、熱を受けて時計をリセットされた岩が大量に混ざっている可能性が高い。だとすると年代が39億年前に集まるのは自然なことで、「その時期に衝突が集中していた」証拠にはならないかもしれません。「その時期の一発が、表側の記録を上書きした」だけかもしれないわけです。

この疑いを晴らすには、雨の海の影響が届いていない場所の石が必要になります。それが月の裏側でした。ただ、裏側の石は長いあいだ手に入りませんでした。

下の画像は、左が表側、右が裏側です。黒っぽい溶岩の海に広く覆われた表側と、大小のクレーターだけで埋め尽くされた裏側。同じ天体の別の顔と言っていいほど、見た目からして違います。

人類初となる月裏側の試料

その空白を埋めたのが嫦娥6号です。2024年5月3日に打ち上げられ、6月2日、月の裏側にある「南極エイトケン盆地」の中の「アポロ盆地」(直径約524キロ)の南部に着陸しました。ロボットアームとドリルで地表と地中から岩石や砂を採取し、6月25日に内モンゴル自治区へ帰還。回収された試料は1935.3グラムでした。月の裏側からのサンプルリターンは、これが世界初です。

着陸地点となった南極エイトケン盆地は、月でいちばん大きく、いちばん古い衝突盆地です。直径はおよそ2500キロ。月そのものの直径が約3475キロですから、7割ほどが一つの衝突跡で占められている計算になります。深さは13キロほどあり、月の内部の岩まで掘り返されていると考えられています。

そして裏側は、表側とたどってきた道が違います。表側は溶けた岩が広く流れ出して黒い「海」を作り、地表の記録を何度も塗り替えました。裏側にはその大規模な塗り替えがほとんど起きていないので、古い衝突の記録がそのまま残りやすい。今回の分析でチームが強みとして挙げているのも、この点です。カーティン大学の共著者フレッド・ジョーダン博士は、月をタイムカプセルにたとえています。地球では侵食やプレートの動き、火山活動で消えてしまった記録が、月には残っている、と。

30億年以上に散らばった衝突の年代

チームが試料の中から選び出したのは、衝突溶融岩——衝突の熱で一度溶けて固まり直した岩——のごく小さな破片です。それを28粒、一粒ずつ別々に年代測定にかけました。

使ったのは40Ar/39Ar法(アルゴン・アルゴン法)という方法です。岩に含まれるカリウムが時間をかけてアルゴンという気体に変わっていく性質を利用して、「最後に高温にさらされて固まった時期」を読み取ります。一粒ずつ測るのが大事なところで、まとめて測ると別々の衝突の記録が混ざって平均されてしまい、何回の衝突が記録されているのか分からなくなります。

結果が冒頭の数字です。年代は43億3000万年前から11億3000万年前まで、30億年以上に散らばりました。うち3粒は約41億6000万年前を示し、これはアポロ盆地そのものの形成年代として別途報告されている値とぴたりと合います。着陸地点を作った衝突の記録が、ちゃんと試料の中に入っていたことになります。

そして肝心なのはここです。定説が山を作るはずの40億年前から37億年前のあいだに入る年代は、たった2つしかありませんでした。表側の石があれほど39億年前に集まったのに、裏側の石にはその山が見えない。代わりに、43億年前より前から始まって少しずつ間隔が開いていく、長い下り坂のような分布になっていました。

つまり爆撃は、短期間に集中した一度の大変動ではなく、太陽系ができた直後から30億年以上かけてだらだらと減っていった現象だった——それが今回のデータの読み方です。ときおり大きな衝突が挟まりはしますが、全体としてはなだらかな減衰。ジョーダン博士も「一度の破滅的な爆撃ではなく、長い減少だった」という言い方をしています。

クレーター年代学からの裏づけ

この結論は、今年2月に出ていた別の研究とも噛み合います。

中国科学院地質・地球物理研究所の岳宗玉らのチームは、同じ嫦娥6号の試料から得られた年代——玄武岩が28億700万年前、ノーライトと呼ばれる岩が42億4700万年前——と、月面のクレーターを数え上げたデータを組み合わせて、月の「クレーター年代学モデル」を作り直しました。クレーターの数から地表の年齢を推定するための換算表のようなもので、これまでは表側の試料だけを基準に作られていたものです。同じ『Science Advances』の2月4日付で発表されています。

そちらの結論も、初期の衝突頻度はなめらかに減っていったという形でした。急に跳ね上がる山は支持されなかった。加えて、表側と裏側で衝突の頻度がほぼ同じだったことも確認されています。

岩の年代を直接測る方法と、クレーターを数える方法。手法としてはまったく別のアプローチが同じところに着地したという点で、今回の結果はそれなりに手応えのあるものと言えます。

初期の地球と生命誕生をめぐる示唆

月の衝突史を知りたい理由の大半は、実は地球にあります。

月と地球は一緒にできて、同じ方向から同じものを受けてきました。ところが地球側の記録は、侵食とプレートの動きと火山活動でほとんど消えています。40億年前の地球に何が降ってきたかを知る手立ては、地球にはもう残っていない。だから月に刻まれた一発一発が、若い地球が置かれていた環境を語る資料になります。

ここで爆撃の形が変わると、地球の初期環境の見え方も変わってきます。「39億年前に集中砲火があった」という描像なら、地球の表面はその短い期間に繰り返し溶かされ、芽生えかけた生命は何度も潰されたことになります。一方、なだらかに減っていく形なら、その手の壊滅的な中断は起きにくく、生命が落ち着いて成立できる時期はもっと早くから訪れていた可能性が出てきます。

もちろん、月の石の年代だけで生命史が書き換わるわけではありません。ただ、議論の前提として置かれていた「短期集中の大爆撃」という設定そのものが揺れているというのは、そこそこ大きな話です。

解釈上の留意点

いくつか気をつけておきたい点があります。

まず、今回の試料は南極エイトケン盆地の中のアポロ盆地という一か所から採れたものです。しかも1935グラムのうちのごく一部。月全体、まして太陽系全体の衝突史をここから決めきるには、まだ材料が足りません。2月のクレーター年代学の研究が独立に同じ方向を指したのは追い風ですが、それでも一か所であることは変わりません。

次に、これは「後期重爆撃期はなかった」という話ではありません。太陽系の初期に激しく天体がぶつかっていたこと自体は否定されていません。見直されているのは、その激しさが短い期間に固まっていたのか、それとも長い時間をかけて薄れていったのか、という期間と減り方の部分です。「大爆撃は嘘だった」と要約すると、内容から外れてしまいます。

手法にも限界があります。40Ar/39Ar法が読み取るのは「最後に高温にさらされた時期」なので、あとの時代に別の衝突で熱を受けた岩は、時計が部分的に巻き戻されていることがあります。裏側は表側ほど塗り替えられていないとはいえ、その影響が完全にないとは言えません。

年代の数値にも幅があります。得られた28粒の年代にはそれぞれ誤差がついていて、40億〜37億年前に入った2つのうち一方は誤差が大きめです。南極エイトケン盆地そのものの形成年代も、まだ確定していません。今回いちばん古かった43億3000万年前は、2月の研究が盆地の年代の候補として挙げた42億4700万年前より古いので、この最古の一粒が何を記録したものなのかは今後の検討課題になります。

出典

この記事は以下の情報をもとに書いています。

・元論文:The bombardment history on the lunar farside revealed by 40Ar/39Ar geochronology of Chang’e-6 impact melt rocks(Wan-Feng Zhangほか、Science Advances、2026年7月23日、DOI: 10.1126/sciadv.aee8718)

・カーティン大学プレスリリース:Rocks from unexplored far side of the moon help rewrite lunar history(2026年7月24日)

・クレーター年代学の研究:Lunar chronology model with the Chang’e-6 farside samples and implications for the early impact history(Zongyu Yueほか、Science Advances、2026年2月4日、DOI: 10.1126/sciadv.ady9265)

・解説記事:Universe Today(2026年7月28日)/Science News

嫦娥6号の試料からは、水や揮発性物質の運ばれ方、太陽風との関わりなど、別の切り口の成果も続々と出ています。裏側という新しいフィールドから何が見えてくるのか、引き続き追いかけていきます。

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