回路そのものを糸にする——縫い込んだ1本で、まばたきと呼吸を測る

テクノロジー
スポンサーリンク

体を測る機械は、たいてい硬いです。基板があって、電池があって、それを樹脂で固めた塊を腕や胸に当てる。タフツ大学の研究チームがやったのは、その前提そのものを外すことでした。回路のほうを、1本の糸にしてしまったのです。

金でコーティングした細い糸に、ミリ単位のトランジスタを数珠つなぎに並べる。それだけで、弱い信号を増幅する回路がひとつできあがります。実験では、こめかみに当てた糸でまばたきを、横隔膜のあたりに当てた糸で呼吸の変化を拾ってみせました。

成果は、アメリカ化学会の学術誌 ACS Applied Materials & Interfaces に2026年5月に掲載されています。

ウェアラブル機器が抱えてきた制約

スマートウォッチやスマートリングは、もうめずらしいものではありません。タフツ大学の発表によれば、アメリカの成人の3分の1以上が使っていて、その多くに健康を記録する機能が付いています。

ただ、この手の機器はどれも平らな板です。中身の集積回路がシリコンの平面の上に作られている以上、製品の形も平面から大きくは離れられません。いっぽう体は曲がっていて、動けば形が変わる。結果として、機器を体に合わせるのではなく、体のほうが機器に合わせることになります。腕時計を締める位置、指輪のサイズ、パッチを貼る角度——どれも「機器が壊れない範囲で体を使う」という話です。

論文の書き出しも、そこを問題にしています。いまの柔らかいエレクトロニクスは平面で、しかも見た目に目立つ、と。

1本の糸に並ぶトランジスタ

研究チームの答えは、平面をやめて糸にすることでした。

骨格になるのは、表面を金でコーティングした細い糸です。この糸に、1ミリに満たないすき間を作ります。すき間の両側は金なので電気を通しますが、あいだは切れている。ここを、電気を通すプラスチックのような材料で橋渡しすると、電子の通り道ができます。

そのうえに載せるのがゲートです。橋渡しの部分にゼリー状の材料を重ね、そこにもう一系統の電流を流すと、通り道を流れる電子の量が変わります。プレスリリースは、これを蛇口とバルブの関係にたとえています。バルブをひねると蛇口から出る水の量が変わる。ここではバルブがゲートで、水が電子にあたります。これがトランジスタで、研究チームは有機ユーテクトゲル・ゲート型電気化学トランジスタ(OEGET)と呼んでいます。

ひとつのトランジスタの大きさはミリ単位。米粒より小さい部品が、1本の糸の上に数珠つなぎで並びます。この並べ方だけで、1段の増幅回路も、それをつないだ多段の増幅回路も作れました。しかもできあがった回路は糸なので、折り曲げられるし、ねじれるし、伸びている面から外れる方向にも曲がります。平面の基板ではどうやってもできない動き方です。

ゲルに求められた条件

この仕組みの成否を握っているのは、ゲートに使うゲルです。

似た試みで以前から使われてきたのはハイドロゲル、つまり水を含んだゼリーでした。ただ、水は乾きます。乾いてしまえば電気の通り道としては働きません。封をして水分を閉じ込める手もありますが、そうすると糸の柔らかさも通気性も失われます。

そこで使われたのが、深共晶溶媒(しんきょうしょうようばい)と呼ばれる液を固めたゲルです。深共晶溶媒とは、2種類以上の物質を混ぜたときに、それぞれ単独でいるときより融点がぐっと下がって、常温で液体になる組み合わせのこと。この液は蒸発しにくいので、置いておいても乾きません。それをゼラチンで支えてゼリー状にしたものが、ユーテクトゲル(深共晶溶媒ゲル)です。ゲル材料を専門とするマシュー・パンザー教授が共同研究者に入っており、この部分は同じ研究室が長く手がけてきた材料でもあります。

乾かないので、封をせずにそのまま使えます。ゲル自体が柔らかく、肌に触れても差し支えありません。研究チームの以前の報告では、空気を通す性質もあるとされています。

もうひとつ、このゲルは修復がききます。ゲルが切れてしまっても、切れた面どうしを合わせて軽く温めると、機械的な強さも電気的な働きも戻ったといいます。ただし、これはあくまでゲルの話です。糸そのものが切れた場合は元に戻りません。

クリーンルームを使わない製法

実用の話としていちばん効いてくるのは、おそらくここです。

ふつうの集積回路は、フォトリソグラフィという工程で作られます。基板の上に感光性の膜を塗り、光で模様を焼き付け、要らない部分を溶かす。この作業には塵ひとつない部屋——クリーンルーム——が要り、途中で高温にかける工程も入ります。設備の値段も、動かす費用も、けた違いです。

糸の回路には、そのどれも要りません。フォトリソグラフィも、高温処理も、クリーンルームも使わずに作れます。裏返せば、熱に弱い柔らかいポリマーや繊維に近い材料を、素材のまま扱えるということでもあります。研究チームは、この作り方なら低コストの製造につなげられると見ています。

半導体は「巨大な工場と莫大な投資」とセットで語られがちですが、糸の回路はそこから外れた場所に立っています。

まばたきと呼吸の検出実験

実証として組まれたのは、糸のひずみセンサーと糸の増幅回路をつないだ装置です。

ひずみセンサーは、伸びたり縮んだりすると電気の通り具合が変わる部品です。皮膚の上に置けば、その下で起きた小さな動きが、わずかな電気の変化として現れます。ただし変化はごく小さいので、そのままでは読み取れません。そこで、同じ糸の上に作った増幅回路で信号を大きくします。

まず、センサーをこめかみに置きました。まばたきをすると目のまわりの皮膚がわずかに動きます。その動きがひずみとして拾われ、増幅されて、まばたきとして読める波形になりました。

次に、横隔膜のあたりに置きました。息を吸えば胴まわりが広がり、吐けば戻る。この繰り返しが、呼吸のパターンと回数として記録できています。

回路にかけた電圧は、プラスマイナス1.6ボルト。単三電池1本が1.5ボルトなので、それとほぼ同じくらいです。体に着けて使う前提なので、電圧を低く抑えたと論文には書かれています。

つまり、測る部品と、測った信号を使える大きさにする回路の両方が、1本の糸の上に載った。それが今回の中身です。

想定される用途

研究チームがまず挙げているのは、服に縫い込む使い方です。糸なので、作業着でもスポーツウェアでも、生地の一部として組み込めます。肌に直接貼って使う形も想定されています。

そこから取れたデータをAIで処理すれば、運動、医療、けがや病気からの回復といった場面で使える形にまとめられるだろう、というのが研究チームの見立てです。具体的な候補として名前が挙がっているのは、乳幼児の呼吸の見守り、高齢者の転倒リスクの評価、体の動き方から体力や認知機能の衰えの兆しを読み取ること。傷の治り具合を追う縫合糸、という案も出ています。

サミール・ソンクサレ教授は、平面のパッチから自由な形の糸へ電子回路を移したことで、ハードウェアというより繊維に近いウェアラブル生体電子機器への道が開けた、と述べています。柔らかく、伸び、体のほうに機器を合わせさせるのではなく体の形についていくものになる、という言い方です。

解釈上の留意点

ここまでの話は、すべて研究室の中で確かめられたことです。製品ではありませんし、製品化の見通しが立っているわけでもありません。

筆頭著者で電気工学の博士課程にいるウェンシン・ゼン(Wenxin Zeng)氏は、この技術基盤はまだ初期段階だとしたうえで、作る速さと精度、そして糸の集積回路にもっと複雑な機能を持たせることが今後の課題だと述べています。開発した本人がそう言っている段階です。

まばたきと呼吸を拾えたのも、条件を整えた実験での実証です。日常生活のなかで、汗をかいたり洗濯したり体をひねったりしながら安定して測れるかどうかは、別に確かめる必要があります。

糸が切れたら直らない、という弱点も残ります。修復がきくのはゲルの部分だけです。服に縫い込む以上、引っかける、洗う、擦れるといった場面は当然出てくるので、ここは実用化の手前に置かれた課題として見ておくところです。

それから、実証に使われた回路は完全に糸だけでできているわけではありません。センサーの感度を調整するために、市販の可変抵抗が1つ直列に入っています。論文自身も「主に1本の繊維の糸の上に作られた」という書き方をしています。

縫合糸として体内で使う話は、いまのところ構想です。動物実験の報告も出ていません。「将来こういう使い方もありうる」という段階のものとして読むのが正確です。

出典

Wenxin Zeng, Rachel E. Owyeung, Nafize Ishtiaque Hossain, Atul Sharma, Matthew J. Panzer, Sameer Sonkusale, “Free-Form Three-Dimensional Integrated Circuits on a Thread Using Organic Eutectogel-Gated Electrochemical Transistors”, ACS Applied Materials & Interfaces 2026, 18(21), 30211–30226. https://doi.org/10.1021/acsami.5c25103(本文が無料で読める形で公開されています)

タフツ大学プレスリリース「And You Thought a Smart Ring Was Discreet」(2026年7月10日):https://now.tufts.edu/2026/07/10/and-you-thought-smart-ring-was-discreet

New Atlas「New electronic thread revolutionizes discreet wearable medical monitoring」(2026年8月1日):https://newatlas.com/wearables/thread-ectronic-wearables/

コメント

タイトルとURLをコピーしました