沈没船の石に埋まっていた鉱物が、400年前の物流を語り出す

考古学
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オランダ東インド会社の旗艦バタヴィア号は、1629年にオーストラリア西岸で座礁しました。その船倉に積まれていた石から、文書には一行も残っていない400年前の調達ルートが読み取れた——という研究が発表されています。

手がかりになったのは、石そのものの見た目ではなく、石の中に埋まっていた砂粒ほどの鉱物でした。カーティン大学(オーストラリア)のアンソニー・クラーク氏らが、2026年7月29日付で学術誌『Journal of Archaeological Science: Reports』に発表したものです。

バタヴィア号といえば、沈没後に生存者のあいだで起きた惨劇のほうがはるかに有名です。ただ今回の研究は、その事件とは関係がありません。話の中心はあくまで、船が運んでいた石のほうです。

船倉に積まれていた石造の門

バタヴィア号は1628年10月29日、オランダのテセル島から船団の一隻として出港しました。乗っていたのは341人。目的地は、東インドにあったオランダの植民地の中心都市バタヴィア(現在のインドネシア・ジャカルタ)です。

積荷には銀貨の入った箱や高価な宝飾品もありましたが、船底を占めていたのはもっと重たいものでした。大量のレンガと、あらかじめ切り出して彫刻まで済ませてある巨大な砂岩ブロックです。

この砂岩ブロックは、バタヴィアに築かれていた城の門を飾る「ポルティコ」——柱と切妻でつくる、堂々とした玄関部分——になる予定でした。つまり船は、門を1セット分バラして運んでいたことになります。ブロックの表面には、どれをどの順で積み上げるかを示す石工の印が刻まれていました。組み立て説明書が石に直接書いてある、と考えると分かりやすいと思います。

こうした重い建材は、当時の船乗りに「稼ぐバラスト」と呼ばれていました。バラストは船を安定させるために積む重しのことですが、レンガや石材なら着いた先でそのまま使えて元も取れます。重しと商品を兼ねさせていたわけです。

1629年6月4日の未明、船はホウトマン・アブロホス諸島のモーニング・リーフに全速力のまま乗り上げます。門になるはずだった石は、そのまま海底に沈みました。沈没船が見つかったのは1963年で、1972年から1976年にかけての発掘で、ポルティコ用のブロックが137個、合わせて約37トン引き揚げられています。うち97個を組み上げた復元は、西オーストラリア州ジェラルトンの博物館で見ることができます。

見た目で区別できない砂岩

この石がどこから来たのかは、長いあいだはっきりしていませんでした。

東インド会社は、当時としては桁外れに詳しい記録を残した組織です。それでも、建材をどの採石場から買ったかまでは、この積荷については残っていませんでした。

では石を直接見て判断すればよさそうですが、これが難しい。ドイツ北西部で採れる建築用の砂岩は、そもそも種類が違っても色や粒の細かさがよく似ています。そのうえ400年間海に浸かっていたことで、色も、砂粒どうしをくっつけている成分も変質してしまいました。従来の見立てでは、ブロックはすべてベントハイム産の砂岩だろうと考えられていました。

ジルコンが持つ年代の指紋

そこで研究チームが目をつけたのが、砂岩の中に含まれるジルコンという鉱物です。

砂岩は、もともと別のどこかにあった岩が削れてできた砂が、長い時間をかけて固まったものです。だから砂岩の中には、その砂を供給した「もっと古い岩」のかけらが混ざっています。ジルコンはその代表格で、硬くて化学的にも壊れにくく、川に流されようが海に沈もうが残り続けます。

そしてジルコンの粒の中には、ウランが鉛に変わっていく速さを利用した時計が入っています。粒ごとに「いつできたか」を測れるので、1つの砂岩から数百粒を測ると、年代の分布ができあがります。この分布のかたちが、産地ごとにかなり違う。これが「地質の指紋」と呼ばれる理由です。

ポイントは、この指紋が海水では消えないことです。石の色や表面は変わっても、中のジルコンは400年前のまま。研究チームは、西オーストラリア博物館が保管しているブロックからごく少量の試料をとり、そこに含まれるジルコンの年代を1つずつ測っていきました。

別々の採石場から来た2つのブロック

今回測ったのは、ポルティコ用のブロック2個です。管理番号でBAT1145とBAT1166Aと呼ばれています。見た目はほとんど同じで、並べても違いは分かりません。

ところが年代の分布は、はっきり別物でした。

BAT1166Aのほうは、25億〜10億年前という古い年代の粒が目立ちます。さらに30億年級の、地球史でもかなり初期にあたる粒も少量混じっていました。これらはスカンジナビア半島の古い岩から削れてきたものと考えられます。この特徴は、ドイツ北西部のベントハイム産の砂岩と一致しました。

一方のBAT1145は、3億5000万〜3億年前と6億5000万〜5億5000万年前の粒が多いという、まったく違うかたちをしていました。こちらは南側にあったバリスカン造山帯——ヨーロッパを横切っていた古い山脈——から供給された砂です。特徴が合ったのは、オーバーンキルヒェン産の砂岩でした。

比べ方も目分量ではありません。年代の分布どうしを統計的な検定にかけて、参照試料と区別がつくかどうかを数字で判定しています。

ベントハイムとオーバーンキルヒェンは、どちらもドイツ北西部の白亜紀前期の地層から採れる石材で、オランダには昔から大量に輸入されていました。1648年に建てられたアムステルダムの旧市庁舎(現在の王宮)も、この2種類の砂岩でできています。ちなみにオーバーンキルヒェンの地層は、恐竜の足跡化石が数多く見つかる場所としても知られています。

ただ、この2か所は約140km離れていて、しかも別々の川の水系に属しています。石を運び出すルートが最初から違う、ということです。同じ門の一部として彫られた2つのブロックが、そもそも別の場所から出発していた——それが今回分かったことでした。

一か所に集めてから送り出す仕組み

ここから逆算すると、石がたどった道筋が見えてきます。

2つの採石場から切り出された石は、それぞれの川筋を下って別々にオランダへ運ばれ、どこか一か所に集められた。そこで同じ規格に彫られ、組み立て番号を振られ、1つの積荷にまとめられて船に積まれた。集約地としてもっとも可能性が高いのは、東インド会社の拠点だったアムステルダムです。

そこから船は喜望峰を回り、地球の反対側のバタヴィアへ向かいました。産地の異なる石が途中で1セットに組み直されていたことを、研究チームは「驚くほど洗練された」供給網と表現しています。

面白いのは、この段取りを記した文書が1枚も見つかっていないことです。採石場で石を切った人、船着き場まで運んだ人、川船の船頭、仲買人、外洋船の船乗り——ヨーロッパ北西部の各地にいた人たちが、確かに1つの流れの中で動いていた。それを示しているのが、いまのところ石の中の鉱物だけなのです。

記録の空白を埋める鉱物分析

この研究の意味は、石の産地が2か所だったと分かったこと自体よりも、「文書が残っていなくても物流をたどれる」と示したところにあります。

大航海時代の交易については、帳簿や航海日誌が失われている部分がどうしても多く、そこは推測で埋めるしかありませんでした。今回のやり方なら、モノそのものに書き込まれた情報を読み出せます。しかも海に沈んでいた資料でも使える。海洋考古学にとっては、使える資料の範囲が広がる話です。

研究チームは今後、バタヴィア号の残りのブロックや、他の沈没船の石材にも同じ手法を広げ、比較用のヨーロッパの採石場データを増やしていく予定だとしています。

解釈上の留意点

いくつか、押さえておきたい点があります。

まず、ジルコンを測ったブロックは2個です。引き揚げられた137個のうちの2個なので、「少なくとも2か所から来ていた」とは言えますが、「2か所だけだった」かどうかは分かりません。残りのブロックを調べれば、産地はもっと増える可能性があります。研究チーム自身も、分析を広げる予定だと述べています。

産地の特定も、断定ではありません。ジルコンの年代分布が、ベントハイム砂岩・オーバーンキルヒェン砂岩の参照試料と一致した、という結果です。これらの石材が採れる範囲はそれなりに広いので、どの採石場のどの切り出し面か、というところまで絞り込めているわけではありません。プレスリリースや論文でも「〜と見られる」という書き方になっています。

アムステルダムに集約したという筋道も、地質の結果から導いた推定です。裏づけになる同時代の文書は見つかっていません。この研究の魅力は「地質学だけで物流が見えた」ところにありますが、裏を返せば、ほかの証拠と突き合わせられていないということでもあります。

また、今回ジルコンで年代を測ったのは、ポルティコ用の砂岩ブロックです。同じ船が積んでいたレンガや、そのほかのバラスト石がどこから来たのかは、論文の中でも「まだ分かっていない」とされています。

出典

研究論文(Journal of Archaeological Science: Reports、2026年7月29日):Clarke et al., “Bricks, Ballast, and the Batavia: Provenancing Dutch East India Company Cargo from a 1629 Shipwreck”

プレスリリース(カーティン大学、2026年7月29日):Ancient shipwreck cargo reveals surprising global trade secrets of the 1600s

研究者本人による解説(The Conversation):Tiny crystals from a 17th-century shipwreck hold secrets of a global supply chain at the dawn of capitalism

バタヴィア号の来歴と発掘の記録(西オーストラリア博物館):Batavia’s history, 1628-1963

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