手のひらサイズの結晶に「量子もつれ」——シュレーディンガーのアリ塚が示したもの

科学・宇宙
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量子もつれというと、原子や光1個といった、目には見えない極微の世界の話だと思われがちです。ところがウィーン工科大学(TU Wien)のチームが、手のひらに乗る1センチほどの結晶の中に、その強い兆候を直接とらえました。「量子の不思議は小さな粒だけのもの」という感覚を、はっきりくつがえす結果です。

ミクロの現象を、手のひらサイズで

量子もつれ(quantum entanglement)は、複数の粒子が別々のようでいて、実は連動してひとつの状態をつくっている、という量子の世界の現象です。ふつうは原子・分子・光子(光の粒)をていねいに外界から隔離し、ごく少数だけを扱ったときにしか見えません。粒の数が天文学的に多い「大きな物体」では、量子の効果はすぐにかき消されてしまう、と長く考えられてきました。

今回は、そのかき消されるはずのものが、センチメートル単位の固体の中にはっきり残っていた、という話です。研究チームは、指でつまめるほどの大きさの結晶の内部に、強い多者間もつれ(たくさんの粒子がまとめてもつれ合っている状態)の直接的な証拠を見つけました。

「猫」ではなく「アリ塚」

大きな物体に量子論を当てはめられるのか、という問いは量子論そのものと同じくらい古くからあります。有名なのがエルヴィン・シュレーディンガーの「猫」の思考実験で、箱の中の猫が生きていると同時に死んでもいる、という奇妙な重ね合わせを許してよいのか、と問いかけたものです。

研究を率いたシルケ・ビューラー=パッシェン教授(固体物理学研究所)は、自分たちのやり方は猫とは違うと言います。結晶そのものを丸ごと「生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせ」に持っていこうとするのではなく、結晶を構成する粒子たちが集団としてもつれ合った状態にあるかどうかを問う、というアプローチです。

教授はこれを、猫よりもアリ塚(ありづか)にたとえます。アリ塚を突くと、1匹のアリだけが反応するのではなく、群れ全体がひとかたまりになって動く。今回とらえたのも、そういう「集団としての応答」でした。この愛称から、研究は「シュレーディンガーのアリ塚」と呼ばれています。

中性子1個への、9個以上の応答

使われたのは、セリウム・パラジウム・ケイ素からできた結晶です。これは「ストレンジメタル(strange metal)」と呼ばれる、ふつうの金属の理論ではうまく説明できない、風変わりな性質を示す物質のひとつです。

実験はフランス・グルノーブルの中性子研究施設ILL(ラウエ・ランジュヴァン研究所)で行われました。博士課程のフェデリコ・マッツァさんが、この結晶に中性子(原子核をつくる粒のひとつ)を当て、物質がどう応じるかを測ります。ふつうの物質なら、飛び込んだ中性子はエネルギーを1個の粒子に受け渡すと予想されます。ところが今回のデータは、そうした「独立した粒子1個ずつの反応」では説明がつかないものでした。少なくとも9個の粒子がもつれ合い、まとまって応答している——それが素直な読み方だったのです。つまり、手に持てる大きさの固体の中に、はっきりした多者間もつれがある証拠が得られました。

量子フィッシャー情報という物差し

この「まとまった応答」を数字でつかむために使われたのが、量子情報の理論から来た量子フィッシャー情報(quantum Fisher information)という量です。これは、量子系が外からのちょっとした変化にどれだけ敏感に反応するかを表す物差しだと考えると分かりやすいです。

バラバラに動く独立な粒子の集まりなら、それぞれが自分のぶんだけ反応するので、全体の反応にも限りがあります。ところが粒子どうしがもつれていると、全体は「各粒子の反応を足し合わせた以上」に強く応じることができます。だから、系が変化にどれだけ強く反応するかを測れば、逆算してどれくらいもつれているかを見積もれる、というわけです。この考え方の理論的な土台は、インスブルックの量子物理学者ペーター・ツォラーらが築きました。固体物理と量子情報という、これまで別々だった分野を橋渡ししたところが、この研究の新しさです。

ストレンジメタルの謎とのつながり

そもそもこの研究の動機は、ストレンジメタルの奇妙な振る舞いを理解することにありました。似た性質は高温超伝導体など他の物質でも見られ、近年さかんに調べられています。

ヒントになるのが、TU Wienとアメリカのライス大学が2025年に報告した「この種の物質では電流がおどろくほど静かに(ノイズ少なく)流れる」という発見です。今回のもつれの発見は、その理由を説明できるかもしれません。粒子たちが消えてしまったのではなく、互いに歩調を合わせて電流のゆらぎを抑え込んでいる、という見立てです。理論を主導したヴュルツブルク大学のファーヘル・アサードさんは、これは特定の1つの物質の細部の話ではなく、より一般的な物理の原理らしいと述べています。強いもつれが、ストレンジメタルの風変わりな振る舞いと直に結びついている可能性がある、ということです。

量子計測への展開

もつれによって「変化への敏感さ」が増すという性質は、ごく小さな信号をできるだけ高い精度で測りたい量子計測(quantum metrology)にとって、そのまま役に立つ資源になります。研究チームは次の目標として、知識の流れを逆向きにも通わせたいと語っています。つまり、量子情報の手法で固体を調べるだけでなく、ストレンジメタルのような物質が、いつか高精度計測などの量子技術に使えないかを探る、という方向です。

留意点

今回とらえられたのは、結晶を丸ごと重ね合わせにした「巨大な猫」ではなく、内部の粒子たちが集団としてもつれている状態です。もつれの規模も「少なくとも9個」という下限であって、そこで打ち止めという意味ではありません。また、もつれがストレンジメタルの謎を説明するという部分は、有力な見立てではあるものの、これからさらに詰めていく段階です。とはいえ、大きな物体でも深い量子性を直接測れると示した意義は大きく、成果は査読つきの学術誌 Nature Physics に掲載されています。

出典

研究の詳細やプレスリリースは、以下で確認できます。

TU Wien プレスリリース「Quantum Entanglement: Schrödinger’s Anthill」

原論文:F. Mazza et al., “Quantum Fisher information in a strange metal,” Nature Physics (2026), DOI: 10.1038/s41567-026-03298-0

ScienceDaily による紹介記事

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