回転しているブラックホールは、その回転そのものにエネルギーを蓄えています。うまい手を使えば、その一部を外へ持ち出せる——ロジャー・ペンローズが1969年に示したこの理屈が、ニューヨークの実験室で、机の上の電子回路の上に再現されました。しかも装置はぴくりとも動いていません。「回っていないのに、波から見れば回っている」状態を電気的に作り出し、そこに当てた電波が本当に強くなって出てきた、という報告です。

ペンローズが示したエネルギーの取り出し方
ブラックホールが回転していると、その周りの時空そのものが、コマの回転に引きずられるように回されます。事象の地平面(一度入ったら戻れない境界)のすぐ外側には、この引きずりが強すぎて、どんなものもその場に静止していられない領域があります。これがエルゴ球です。
ペンローズは1969年、ここに粒子を投げ込む思考実験を考えました。エルゴ球のなかで粒子が2つに割れ、片方がブラックホールに落ち、もう片方が外へ逃げる。このとき条件をうまく整えると、逃げた側は投げ込んだ粒子より多くのエネルギーを持って出てくるのです。増えた分はどこから来たのか——ブラックホールの回転エネルギーです。取り出したぶんだけ、ブラックホールの回転はわずかに遅くなります。魔法ではなく、回転を燃料にした引き出しです。
ゼルドビッチの予言と、立ちはだかった実験の壁
この発想を波に広げたのが、旧ソ連の物理学者ヤコフ・ゼルドビッチでした。1971年から72年にかけて、彼はこう予言します。ぐるぐる回るような性質を持った波を、十分に速く回っている物体に当てると、波は吸い込まれるどころかエネルギーを奪って増幅されて返ってくる——これが回転超放射と呼ばれる現象です。ブラックホールでなくても、条件さえ整えば起きるはずだ、というわけです。
ところが、ここに厄介な壁がありました。「十分に速く」の中身が、途方もないのです。電波を金属の円柱で増幅しようと思えば、その円柱を毎秒10億回といったオーダーで回さなければならない。機械の部品でそんな回転数を出せば、遠心力で粉々になります。理屈は50年前からあるのに、電磁波でそれを見た人はいませんでした。回すこと自体が無理だったからです。
機械を回さずにつくる「合成回転」
ニューヨーク市立大学大学院センターの先端科学研究センター(CUNY ASRC)のチームは、この壁を正面から越えるのをやめました。物を回すのが無理なら、波にとって「回っているのと同じ」状況を作ればいいと考えたのです。
使ったのは、電波の周波数帯で働く共振器(特定の周波数で強く振動する電気回路)を、リング状にぐるりと並べた回路です。この共振器一つひとつの性質を、リングを一周するように順ぐりに、しかも高速で変えていきます。電光掲示板の文字が、電球そのものは動かないのに流れて見えるのと同じで、変化のパターンだけがリングの上を回っていく。ハードウェアは一切動きません。
この、時間と空間の両方に周期をつけた変調はフロケ変調と呼ばれます。そして、こうして作られた「見かけの回転」は、実際の物体を回すときのような制約を受けません。研究チームは、実効的には光速を超える回転に相当する領域にまで到達しました。機械では絶対に入れない領域です。

観測された角運動量選択的な増幅
この状態のリングに電波を送り込むと、何が起きたか。結晶のなかで電子のエネルギーに「入れない帯(バンドギャップ)」ができるように、この時空の格子には角運動量のバンドギャップが現れました。角運動量とは、波の「回り方」のこと。渦を巻くように進む電磁波には、右回り・左回り、そして巻きの強さの違いがあります。
そして、このギャップに入った波だけが、回転している媒質からエネルギーを吸い上げて増幅されました。どの波でもよいわけではなく、合成回転と噛み合う「回り方」をした波だけが強くなる。つまり、ペンローズとゼルドビッチが描いた過程の核心部分——回転する何かからエネルギーを引き出す波——が、電子回路の上で実際に測定できる形で立ち上がったわけです。報道によれば、実験で得られた正味の増幅は最大で7.8デシベルほど(ざっと6倍)とされています(この数値はNature本文由来ですが、本文は有料公開のため報道経由の情報です)。
研究を率いたAndrea Alù教授は、選ばれた回転の性質を持つ波が、時間的に設計された合成回転からエネルギーを取り出し、広い帯域にわたる選択的な増幅が生まれる、という新しい波と物質の相互作用だと説明しています。
極限の物理を持ち込める実験台
この成果のうまみは、「ブラックホールを模した」という一点にとどまりません。合成回転は、実在の物体では届かない回転の領域を自由に設定できます。つまり、これまで紙の上でしか扱えなかった極限的な回転の物理を、電源を入れれば何度でも再現できる装置に落とし込めたということです。条件を変えて何度でも試せる実験台ができた意味は小さくありません。
用途の面でも見どころがあります。特定の回り方の波だけを選んで増幅できる仕組みは、無線通信や光学、フォトニクス、さらに量子技術の分野で使い道が考えられます。ただし研究チーム自身、実際の装置として使えるようにするには、まだ追加の研究が要るとしています。
解釈上の留意点
刺激的な話なので、範囲は正確におさえておきたいところです。
まず、本物のブラックホールを作ったわけではありません。この回路のなかに重力もエルゴ球もなく、時空は曲がっていません。再現されたのは、ペンローズ-ゼルドビッチ過程を成り立たせている数式の骨組み——回転するものと波のあいだで起きるエネルギーのやり取り——であって、ブラックホールそのものではない。同じ物理を別の舞台で演じる類似実験という位置づけです。
次に、増幅に使われたエネルギーの出どころ。回転超放射では、増えたぶんのエネルギーは回っている物体から来ます。今回の合成回転にはそもそも回転する実体がなく、共振器を変調するために外部から電力が注ぎ込まれています。何もないところからエネルギーが湧いたわけではないという点は、押さえておく必要があります。
「光速を超える回転」という言い方についても同じです。超えているのは変調パターンの見かけの回り方であって、物質や情報が光速を超えて動いたわけではありません。行列の人が動かずに、順番に手を上げていくウェーブなら、手が上がっていく速さはいくらでも速くできる。それと同じ話です。
とはいえ、50年以上ものあいだ「原理的には正しいはずだが、確かめる手立てがない」とされてきた予言に、確かめる手立てのほうを用意した、という点は動きません。回すのが無理なら、回っているように見せればいい——その発想の転換が壁を越えました。
出典・もっと知りたい人へ
元論文:Hadiseh Nasari, Hady Moussa, Yoshiaki Kasahara, Arno Thielens, Andrea Alù「Observation of Floquet rotational super-radiance」Nature(2026年7月8日オンライン公開)/DOI: 10.1038/s41586-026-10725-y(査読済み・本文は有料)
発表元の解説(無料で読めます):Physicists recreate black hole energy extraction in the lab(ScienceDaily/CUNY ASRC提供)
もとになった理論の論文:R. Penrose & R. M. Floyd「Extraction of rotational energy from a black hole」Nature Physical Science 229, 177–179(1971年)/Ya. B. Zel’dovich「Amplification of cylindrical electromagnetic waves reflected from a rotating body」Sov. Phys. JETP 35, 1085–1087(1972年)


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