ドイツ・ベルリンの放射光施設BESSY IIで、新しいX線分光器が動き始めました。光子(光の粒)をつかまえる効率が、従来型のおよそ100倍から1000倍。「試料が薄すぎる」「目的の元素が少なすぎる」という理由でこれまで測定を諦めてきた対象に、現実的な時間で手が届くようになります。
装置の心臓部は、超伝導が消える瞬間を利用したセンサーです。同じ仕組みの分光器がX線施設に置かれているのは世界でまだ6か所目で、欧州では初めてになります。
放射光施設が抱えていた制約
BESSY IIは、電子をほぼ光速まで加速してリング状に周回させ、そこから出てくる強いX線を実験に使う施設です。こうした施設は放射光施設と呼ばれ、日本ではSPring-8が同じ仲間にあたります。
ここでよく使われる手法のうち、X線発光分光(XES)と共鳴非弾性X線散乱(RIXS)は、試料に強いX線を当てたあと、試料そのものが出してくる光を拾って調べます。当てた光が通り抜けた量を測るのではなく、返ってくる光を見る。これで、その物質の中で電子がどう配置され、どう動いているかがわかります。
やっかいなのは、返ってくる光がとにかく少ないことです。そのうえ従来の分光器は、戻ってきた光を回折格子で波長ごとに分けてから検出する仕組みでした。プリズムで虹を作るのと同じ理屈です。この方式では、一度に受け取れるのは狭い角度・狭い波長範囲だけで、せっかく届いた光の大半は捨てることになります。
結果として、XESとRIXSは目的の元素がたっぷり詰まった大きめの試料でしか使えませんでした。原子数層ぶんの薄膜や、微量の不純物といった対象は、そもそも信号が立ち上がらなかったのです。
熱として光子を数える検出方式
今回入った装置が使っているのは、TES(Transition Edge Sensor=遷移端センサー)と呼ばれる検出器です。名前のとおり、超伝導が「切り替わる境目」を狙います。
超伝導体は、ある温度より冷やすと電気抵抗がゼロになります。その切り替わりは、温度に対してごく狭い幅で急激に起こります。TESは超伝導体の薄膜を、ちょうどその切り替わりの途中——抵抗がゼロと通常の中間にある、いちばん敏感な点——に保っておきます。

そこへX線の光子が1個飛び込むと、膜がほんのわずかに温まります。温度が少し上がるだけで超伝導の状態が崩れ、抵抗が跳ね上がる。しかも跳ね上がり方の大きさは、飛び込んできた光子が持っていたエネルギーに比例します。つまり、光を波長ごとに分ける工程そのものが要らない。届いた光子を1個ずつ、エネルギー込みでその場で数えられます。
抵抗の変化はごく小さいので、読み出しにはSQUID(超伝導量子干渉素子)という、極めて弱い磁気を捉えられる素子を使います。
光を分散させないぶん、検出器は広い立体角で光を受け止められます。これが100倍から1000倍という効率差の正体です。捨てていた光子を捨てなくて済むようになった、というのが一言でいえば今回の中身になります。
248個のセンサーと25ミリケルビンの冷却
BESSY IIに設置されたのは、このセンサーを248個並べたアレイです。動作温度は25ミリケルビン。絶対零度(マイナス273.15℃)よりわずか0.025度だけ高い温度です。宇宙空間を満たしている背景放射でさえ約2.7K(マイナス270℃)ですから、それよりさらに100倍ほど冷たい状態を作っていることになります。
ここまで冷やすのに使われているのが、ヘリウム3とヘリウム4を組み合わせた希釈冷凍機です。量子コンピューターの冷却に使われているものと同じ種類の装置になります。

論文によると、260〜900電子ボルトの範囲で0.7〜1.8電子ボルトの分解能が出ています。光子1個のエネルギーを、数百分の1の細かさで読み取れる計算です。この帯域は軟X線と呼ばれ、炭素・窒素・酸素といった軽い元素や、鉄・ニッケルなどの金属の内側にある電子を狙うのに使われます。生体分子や触媒、磁性材料の研究と相性のいい領域です。
読み出しにはマイクロ波SQUID多重化という方式が採られていて、従来のTES読み出しに比べて最大10倍の速さで信号をさばけます。アレイ全体で毎秒1万個の光子まで、性能をほとんど落とさずに処理できるとのことです。
分光器は専用の超高真空チャンバーにつながっていて、試料の温度を10Kから室温まで制御できます。設置先はUE52-SGMというビームライン(放射光を実験装置まで導く経路)で、X線の偏光の向きを自在に変えられるのが特徴です。
測定時間と対象試料の変化
わかりやすい効果は時間です。これまで数時間かかっていたXES・RIXSの測定のうち、数分で終わるものが出てきます。放射光施設のビームタイム(実験に割り当てられる時間)は取り合いになるので、1回あたりが短くなればそれだけ多くの研究が回せます。
ただ、より大きいのは対象が広がることのほうです。原子1層ぶんの厚さしかない膜、ナノメートル寸法の構造、材料の中にごくわずかだけ混ざり込んだ不純物。信号が弱すぎて手が出なかったものが、測定の射程に入ってきます。
装置を担当したHZBのレジス・デッカー氏は、分子化学や分子生物学に加えて、低次元系の量子的な性質にも新しい手がかりが得られるとしています。ARPES(角度分解光電子分光=物質中の電子がどんなエネルギーと運動量を持っているかを直接調べる手法)のような既存の方法を、別の角度から補う位置づけになります。
世界6台目という位置づけ
TESはもともと、天体観測のために育てられた技術です。遠くの天体から届くごくわずかな光子を、1個も取りこぼさずに評価する。その要求から生まれた検出器が、地上の実験装置に降りてきた形になります。
X線源に併設されたTES分光器は、これまで世界に5台しかありませんでした。うち4台がアメリカ、1台が日本です。BESSY IIのものが6台目で、欧州では初めて、そして現時点で唯一になります。
装置はHZB(ヘルムホルツ・センター・ベルリン)と、ドイツのマックス・プランク化学エネルギー変換研究所(MPI-CEC)、アメリカのNIST(国立標準技術研究所)の共同で作られました。NISTはTES検出器の開発で長年の実績を持つ組織です。
今後は試料の準備まわりを強化するほか、磁場をかけた状態での測定にも広げる計画が示されています。XMCD(X線磁気円二色性)やRIXS-MCDといった、磁性を調べる手法に対応させる方向です。
性能上の限界と今後の見通し
効率が上がったといっても、あらゆる面で従来型を上回るわけではありません。
TESは光子のエネルギーを熱として測る「エネルギー分散型」の検出器です。半導体を使う同系統の検出器よりはずっと細かくエネルギーを分けられますが、回折格子で波長を分ける「波長分散型」の分光器と比べると、エネルギーの刻みは粗くなります。細かいエネルギー構造をぎりぎりまで精密に見たい実験では、これまでどおり従来型のほうが向いています。
100倍から1000倍という数字も、あくまで光子をつかまえる効率の比較です。信号が弱すぎて測定そのものが成立しなかった対象に手が届くようになった、という意味での前進で、既存の分光器を置き換えるものではありません。
また、稼働が始まったのはついこの間で、これで何がわかるかはこれからの話です。HZB側も外部の研究者からの実験提案を待っている段階だとしています。装置ができた時点ではまだ何も測っていないわけで、成果が出てくるのは数年先になるはずです。
出典
- Superconducting TES array X-ray spectrometer goes into operation at BESSY II(HZBプレスリリース・2026年6月15日)
- A superconducting transition edge sensor array for synchrotron soft x-ray emission spectroscopies of low-dimensional and impurity-level concentration systems(Review of Scientific Instruments 97, 065208・2026年6月10日・査読済み)
- EurekAlert!(同内容のリリース配信ページ)


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