ジグソーパズルの1000ピースといえば、休みの日をまるごと使うくらいの分量。イタリア・ポンペイの修復チームがいま向き合っているのは、それとだいたい同じ数の漆喰(しっくい)の破片だ。ただし完成図はない。ピースの形もそろっていない。そもそも全部そろっているのかどうかも分からない。
ポンペイ考古学公園は2026年7月24日、火山灰の下から出てきた天井の破片を組み直し、もとの絵の4分の1あまりを復元したと発表した。描かれていたのは、酒と陶酔の神ディオニュソスと、クレタの王女アリアドネの神話。ポンペイでは壁のフレスコ画が数え切れないほど見つかっているのに、天井のフレスコ画はごくわずかしか残っていない。
二階の宴会場から落ちた破片
破片が出たのは、ポンペイの「レジオIX(第9区)」と呼ばれる区画だ。2023年から発掘が続いているエリアで、そのなかにパン屋を併設した一軒の家がある。天井があったのは、その家の二階。ラテン語でケナクルムと呼ばれる、客を招いて食事をする部屋だった。
西暦79年のベスビオ火山の噴火で建物が壊れたとき、この天井はそのまま真下に崩れ落ちた。落ちた場所に落ちたまま埋もれてくれたおかげで、考古学者は破片がどの部屋の天井のものかを迷わず特定できたという。しかも発掘している最中から、隣り合っていた破片どうしのつながりが次々に見つかった。パズルの箱をひっくり返したら、何組かはくっついたまま出てきた、という状態に近い。復元作業は、その現場での組み合わせを引き継ぐ形で始まっている。
曲面を再現する支持台
こうした壁画の破片は、ふつう平らなパネルに貼りつけて展示する。ところがこの部屋の天井は、かまぼこ形に丸まったヴォールト(曲面天井)だった。平面に並べたのでは絵のつじつまが合わない。そこで修復チームは、もとのカーブを再現した支持台を作り、その上で破片を組んでいくことにした。

やっかいなのは、そのカーブの具合が最初は分からないことだ。天井は崩れて散らばっているので、もとの丸みは残っていない。破片を並べていくうちに、だんだん曲率が見えてくる。だから支持台の設計と復元作業は、どちらかが先ではなく同時に進んだ。公園はこの支持台の設計こそがプロジェクト全体でもっとも新しい部分だとしている。
台はモジュール式、つまり部品を組み合わせる方式で作られている。あとから新しい破片が見つかっても、すでに組み上げた部分をこわさずに足していける。倉庫にはこの天井のものとみられる破片がまだ別に保管されているし、家の発掘が進めばさらに出てくる可能性もある。公園はこの仕組みによって、修復が「開かれた、更新できる作業」になったと説明している。
置く破片を選ぶ基準もはっきりしている。今回組み込まれたのは、もとの位置が十分に裏づけられる破片だけ。位置のあやしいものは無理に押し込まず、外してある。あとから取り外せること、どこが復元でどこが本来の部分かが見て分かること——現代の修復が守る原則に沿った判断だ。つまり今回いちばん新しいのは、絵そのものではなく、絵を組むための台のほうだった。
中央に描かれた神話の場面
復元された部分から浮かび上がったのは、中央に大きな一枚絵を置き、そのまわりを装飾で囲む、という構成だった。
中央にいるのはディオニュソスとアリアドネだ。アリアドネはクレタ島の王ミノスの娘で、牛の頭を持つ怪物ミノタウロスが閉じ込められた迷宮に、アテナイの英雄テセウスが討伐に向かうとき、糸玉を渡して帰り道を作らせた人物として知られる。ところがテセウスはその後、彼女をナクソス島に置き去りにしてしまう。そこへ通りかかったのがディオニュソスで、二人は結ばれた。この結婚は「聖婚(ヒエロガミア)」と呼ばれ、古代の美術で好んで描かれてきた主題だ。
公園の説明によると、中央では車に横たわるディオニュソスと、向かい合ってハープを奏でるアリアドネが描かれている。そばには竪琴を弾く小さな愛の神エロースがいて、車を引いているのは楽器を持った2頭のケンタウロスだ。

そのまわりを埋めているのが、小さな祠(ほこら)をかたどった枠、帯状の縁飾り、花と果実をつづった綱、四季を擬人化した姿、翼を持つ精霊たち。綱のあいだには演劇の仮面や、酒を神に捧げるための器も混ざっている。どれもディオニュソスと結びつく品で、天井全体が中央の一組を祝う作りになっていたことが分かる。色数も多く、注文主がかなりの費用をかけたことがうかがえる。
ディオニュソスは、ポンペイ考古学公園が2026年の活動テーマに選んでいる神でもある。同じレジオIXの「ティアソスの家」では2024年から2025年にかけて、この神の行列を描いた大型のフレスコ画が見つかっており、今回の天井もその流れのなかに置かれている。8月28日から9月26日までの金・土曜には、公園の夜間開場に合わせて、ディオニュソスの密儀をテーマにした演劇イベントも予定されている。
天井画が残りにくい理由
ポンペイで見つかった天井のフレスコ画は、これまでに20ほど。ニューヨーク・タイムズが伝えている数字だが、壁のフレスコ画の数とは桁が違う。
理由は作り方にある。ローマの家の天井は、木の梁(はり)に葦(あし)の束を張り、その上から漆喰を塗って絵を描く、という構造が一般的だった。石やレンガを積んだ本物のヴォールトではなく、軽い材料で丸天井らしく見せる作り方だ。安く早く仕上がるうえ、見た目は石造りの丸天井とほとんど変わらない。
ただし木と葦は有機物なので、地中では腐って消えてしまう。支えを失った漆喰は落ちて割れ、土に紛れる。壁の絵が壁ごと立ったまま残るのとは、条件がまるで違う。今回のように、崩れた場所に破片がまとまって埋もれ、しかも組み直せるだけの量がそろっている例は、それだけで珍しい。
同じ建物にあったパン屋
この家については、天井の話が出る前から知られていることがある。2023年12月、同じ建物の作業場部分から「牢屋のようなパン屋」が見つかったと発表されていた。
外に向かう出入り口はなく、明かり取りの窓は高い位置に小さく開いていて、鉄格子(てつごうし)がはまっている。唯一の出口は家の内側へ向かっていた。床には、ロバが同じ円を歩き続けるための溝が刻まれていた。目隠しをされたロバと、それを追う人が、石臼(いしうす)を回して小麦を挽(ひ)く場所だ。ガブリエル・ツフトリーゲル所長は当時、ここで働かされていたのは移動の自由を制限された立場の人々だったとみられる、と述べている。
噴火のとき、この家は改装の途中だった。上の階には費用をかけた宴会場があり、同じ屋根の下には窓に鉄格子のはまった作業場がある。ひとつの家が両方を抱えていた——今回組み直されている天井は、そういう建物の一部だ。
解釈上の留意点
いくつか、距離をとって見ておきたい点がある。
まず、これは新しく掘り出された発見ではなく、2023年から続いている作業の途中経過だ。復元されたのは全体の4分の1あまりで、残りは埋まっていない。公園自身、この組み直しはまだ終わっていないと明言している。「完成した天井画が見つかった」という話ではない。
中央の場面の読み取りにも幅がある。ディオニュソスとアリアドネという主題の特定は、残った破片だけから決まったわけではない。中央の場面は断片的にしか残っておらず、ほかの古代作品と見比べた結果として組み立てられたものだ。今後、破片が加われば細部の解釈が変わることもありうる。
破片の数についても一言。「およそ1000個」という数字は各メディアが伝えているもので、公園の公式発表には具体的な点数が書かれていない。おおよその規模感として受け取っておくのがよさそうだ。
出典・もっと知りたい人へ
- Il restauro del soffitto della Casa con Panificio della Regio IX(ポンペイ考古学公園・2026年7月24日):公式発表。イタリア語だが、支持台の設計思想と装飾の内訳がいちばん詳しい。
- See a Rare Ceiling Fresco From Pompeii That Archaeologists Are Carefully Reassembling, Piece by Piece, Like an Ancient Puzzle(Smithsonian Magazine):破片の数、天井フレスコが20例ほどという数字、パン屋との関係はこちら。
- Pompeii unveils reconstructed frescoed banquet hall ceiling, as restoration continues(Euronews):公開の経緯と所長のコメント。復元途中の写真も掲載されている。
- Pompeii Ceiling Fresco Restored(Archaeology Magazine):中央の場面と周囲の装飾のまとめ。
- Archaeologists Discover a Brutal ‘Bakery-Prison’ at Pompeii(Smithsonian Magazine・2023年):同じ建物のパン屋について。
破片はまだ倉庫に残っていて、発掘が進めばさらに出てくる。支持台はそれを見越して作られている。この天井がどこまで埋まるのかは、これから何年かかけて分かっていくことになりそうだ。


コメント