2025年7月17日の朝、オーストラリア東海岸のゴールドコースト沖で、1頭のザトウクジラが子を産みました。子は生きていませんでした。母親はそのあと、海底に沈んだ子のところへ何度も潜っていき、頭と胸びれで体に触れ、目と目が合う位置でじっと動かずにいました。
この朝の記録をまとめた報告が、2026年9月16日に学術誌『Discover Animals』で公開されました。著者はグリフィス大学の海洋生態学者ヤン=オラフ・マイネッケさんと、シーワールド財団で救助艇の船長を務めるアンドリュー・マルヴィルさんの2人。ザトウクジラの母親が死んだ子に付き添う行動を、映像つきで詳しく記録した例はこれが初めてです。
釣りの朝に届いた一本の連絡
撮影したのは、共著者のマルヴィルさん本人です。この日は息子と釣りに出ていましたが、職場のシーワールド財団から連絡が入りました。ゴールドコーストのパームビーチ・リーフ付近、岸から1キロほどの浅い海に、2頭のザトウクジラがずっととどまっている。心配した住民からの通報でした。
午前8時ごろ、全長5メートルの小さなボートで現場に着くと、体長12〜13メートルの大人のクジラが2頭、水面近くでゆっくり動いていました。追いかけ合うような激しい動きはありません。少し大きいほうの1頭は、水面で背中を弓なりに反らせては2分足らずの短い潜水をし、また同じ場所に浮かんできます。エンジンを止めて漂っているボートに、クジラのほうが20メートルほどの距離まで近づいてきました。
8時半ごろ、水面に羊膜(ようまく:胎児を包んでいた膜)が浮かびました。出産があったということです。ところが、子クジラの姿がどこにもありません。マルヴィルさんは手持ちのGoProを水中に入れて、撮影を始めました。
8時45分ごろの映像に、海底に横たわる小さな子クジラが映っていました。体長は4メートルに届かないくらい。ザトウクジラの新生児はふつう3.96〜4.57メートルなので、やや小さめだった可能性があります。動きも、呼吸のようすもありませんでした。
海底の子に向けられた行動
母親とみられるクジラは、子の横に並ぶように近づき、頭と胸びれで体に触れました。それから子の目の前に自分の目がくる位置で止まり、少なくとも1分間、そのまま動かずにいます。浮上して息を継ぎ、また潜る。これが何度も繰り返されました。

上の画像は報告の内容をもとにした想像図です。実際の水中映像の一場面は、記事の最後に挙げた論文とスミソニアン誌のページで見られます。
もう1頭の大人は、その間ずっと近くにいました。ザトウクジラでは、出産前後のメスに別の個体が付き添うことがよくあり、研究者は「エスコート」と呼んでいます。オスのこともメスのこともあります。水中では大きな鳴き声も聞こえましたが、母親とエスコートのどちらが出していたのかは分かっていません。
マルヴィルさんが現場を離れたのは午前10時。到着から2時間、子の姿を確認してからでも1時間以上、母親の行動は変わりませんでした。撮影できた映像は合計15分で、そのうち12分に子クジラが映っています。
翌18日と19日にも、同じ海域で大人のザトウクジラ2頭が目撃されました。陸上からのクジラ調査と、住民からの報告です。ただし個体の照合はできていないので、同じ2頭だったとは言い切れません。母親の尾びれの写真は個体識別のデータベースに登録されましたが、東オーストラリアの1万5800頭あまりの中に一致する個体はいませんでした。著者たちは、まだ若いメスだったのかもしれないと書いています。
水面へ押し上げなかった母親
この記録でいちばん目を引くのは、母親が「しなかったこと」です。
クジラの子は、生まれたらすぐ水面で最初の息を吸わなければなりません。ザトウクジラの母親は、産んだ直後の子を鼻先や背中に乗せて水面へ押し上げます。これまでに記録された出産の半数以上で、この行動が確認されています。
死んだ子に対しても、同じことをする種がいます。イルカやシャチなどのハクジラ類(歯のあるクジラの仲間)では、母親が死んだ子を水面で支えたり、頭や背に乗せて運び続けたりする例が数多く報告されてきました。有名なのは2018年のシャチ「タレクア」で、死んだ子を17日間、1500キロ以上にわたって運びました。
今回の母親は、一度も子を持ち上げようとしませんでした。潜っていって、触れて、そばで止まる。それだけです。

著者たちは、母親が産んでまもない段階で、子が死んでいることを分かっていたのかもしれないと考えています。息をさせるための行動を取らなかったのは、その必要がないと分かっていたから、という読み方です。
とはいえ、論文はこの解釈だけに絞っていません。ハクジラ類とヒゲクジラ類でそもそも行動が違う可能性、子が海底に沈んでいて持ち上げようがなかった可能性も並べて挙げています。1件の観察から言えるのはここまで、という線の引き方です。
ヒゲクジラで記録がなかった理由
死んだ仲間に付き添う行動は、水生哺乳類全体で106件、そのうちクジラ類で81件が過去の総説にまとめられています。中身はほとんどがハクジラ類で、なかでもイルカの仲間が報告の9割以上を占めます。ザトウクジラを含むヒゲクジラ類では、死んだ子への付き添いはほぼ報告がありませんでした。
では、ヒゲクジラはそういうことをしない動物なのか。論文が指摘するのは、もっと単純な事情です。ヒゲクジラの新生児は脂肪の層がまだ薄く、死ぬとすぐに沈みます。ハクジラの新生児はたいてい浮きます。水面に浮いた子を運ぶイルカは船から見えますが、海底で起きていることは水面からは見えません。
マイネッケさんはオーストラリアの通信社の取材に、こうしたことは過去にも起きていたはずで、ただ海面の下に隠れていて誰も知らなかっただけだろう、と話しています。ザトウクジラは出産の記録そのものが少なく、マイネッケさんによればこれまでに報告されたのは世界で20例ほど。死産の記録は、2人が調べた範囲では今回が初めてです。
今回は、岸に近い浅い海で、風も波も穏やかで、エンジンを止めたボートのそばにクジラのほうから寄ってきて、そこにカメラがあった。それだけの条件が重なって、ようやく残った映像でした。
同じ月に相次いだ新生児の死
論文は、この1件をもう少し広い範囲の中にも置いています。2025年7月、クイーンズランド州のガリ(旧称フレーザー島)からニューサウスウェールズ州バリナにかけての海岸で、ザトウクジラの新生児の死亡が7件確認されました。今回の死産はそのうちの1件です。
出産の場所も、典型的とは言えません。この個体群のおもな繁殖海域はグレートバリアリーフ南部で、今回の現場はそこから500キロ以上南にあたります。当日の海面水温は20.5度。これまで記録された出産は22〜28度の海で起きていて、今回はその範囲のいちばん低い側よりも、さらに少し冷たい海でした。著者たちは、何らかの異常があって、本来より早く、本来より南で産むことになった可能性に触れています。
新生児の死が相次いだ原因は分かっていません。夏のあいだ南極海で食べるオキアミの量の変動が関係しているかもしれない、というのが論文の挙げる候補ですが、これも今後の検証待ちです。
「悲しみ」と断定しなかった研究者たち
海外の報道の見出しには「grieving(悲しんでいる)」という言葉が並びました。論文のほうは、その言葉の扱いにかなり慎重です。
野生のクジラからは、心拍もホルモンも脳の活動も測れません。だから悲しみを証明するのは難しい、と著者たちは最初に断っています。母親の行動は、精神的な苦痛の表れかもしれないし、子への愛着、混乱、あるいは本能的な世話の行動かもしれない。結論に書かれているのは、悲しみに関連する行動の一つである「可能性がある」という表現までです。
一方で、可能性を支える材料も挙げられています。ザトウクジラの脳には紡錘(ぼうすい)細胞と呼ばれる神経細胞があります。ヒトや類人猿、ゾウにも見つかっている細胞で、社会的な認知や感情の処理に関わると考えられているものです。ザトウクジラが網に絡まった仲間のそばを離れなかった例や、シャチに襲われている別の種の動物を助けに入った例も報告されています。
マイネッケさんはシドニー・モーニング・ヘラルド紙に、クジラの感情の状態は私たちのものと同じとは限らないが、そこにはかなり強い何かがある、と語りました。本人たちに聞けたらずっと楽なのに、とも付け加えています。
研究に関わっていないマッコーリー大学のクジラ研究者ヴァネッサ・ピロッタさんは、オーストラリア放送協会の取材に対し、クジラの行動を擬人化すべきではないと述べたうえで、観察から学ぶことはできるし、それこそが科学だと話しています。
25年にわたってクジラの救助と保護に関わってきたマルヴィルさんにとっても、あの朝は強く心に残るものだったそうです。水中には、母親ともう1頭の声が響いていました。
動物は死を悼むのか。この記録はその問いに答えを出していません。残ったのは、2025年7月17日の朝、パームビーチ・リーフの海底で、1頭の母親が子を持ち上げようとはせず、ただそばにい続けたという事実です。海の底で起きていて、これまで誰にも見えていなかった行動が、初めて日付と場所のついた記録になりました。
出典
Meynecke, J.-O., Mulville, A. “First documentation of humpback whale (Megaptera novaeangliae) post-mortem attendance of a stillborn” Discover Animals 3, 88(2026年9月16日公開、オープンアクセス)
https://doi.org/10.1007/s44338-026-00232-9
Smithsonian Magazine “A Humpback Whale Mom Stayed With Her Stillborn Calf, Repeatedly Touching It and Staring Into Its Eyes. Was She Grieving?”(2026年9月18日、Sarah Kuta)
スミソニアン誌の記事(水中映像あり)


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