火星の砂嵐というと、空が砂ぼこりで覆われて暗くなる、太陽光がさえぎられる、視界が悪くなる——そんな「暗さ」の害がよく知られています。ところが最近の研究で、砂嵐にはもうひとつの顔があるかもしれないことが分かってきました。砂嵐の中の大気が静電気を帯び、場所によっては放電(電気の火花)が起きかねない状態になっている可能性がある、というのです。
米アラバマ大学ハンツビル校(UAH)とNASAマーシャル宇宙飛行センターの研究チームが、2018年に火星全体を覆った大砂嵐のデータを解析した結果で、査読誌The Planetary Science Journalに掲載されました。将来の探査車や有人ミッションにとって、砂嵐は「視界と電力の問題」だけでなく「電気の問題」でもあるかもしれない——そんな話です。
惑星全体を覆う火星の砂嵐
砂嵐そのものは地球にもあります。ただ、火星の砂嵐は規模が桁違いで、数年に一度、惑星全体をすっぽり包み込むほどに発達することがあります。地球でいえば、サハラ砂漠の砂嵐が広がりつづけて、ついに地球の空をまるごと覆ってしまうようなものです。
今回の研究が対象にしたのは、2018年半ばに起きた全球規模の砂嵐です。火星の暦で「火星年34」(火星の1年は地球の687日、およそ2年弱にあたります)に発生したこの砂嵐は、当時火星にいた複数の探査機——地上のキュリオシティ、上空のマーズ・リコネッサンス・オービターやMAVENなど——が同時に観測していたため、火星の気象現象としてはもっともよく調べられた事例のひとつになっています。
この砂嵐には、探査の歴史に残る「実害」もありました。太陽電池で動いていたNASAの探査車オポチュニティが、日光を長期間さえぎられてバッテリーを充電できなくなり、そのまま復旧せずミッション終了に追い込まれたのです。設計寿命を大きく超えて15年近く走りつづけた名機の最期が、この砂嵐でした。砂嵐が探査の脅威であることは、このときすでにはっきり示されていたわけです。
砂嵐の下層大気にたまる電荷
では、今回新たに何が分かったのか。研究チームがこの火星年34の砂嵐を調べたところ、砂嵐の下層大気には、場所や高度によって電荷(プラスやマイナスの電気)の偏りが持続しうる領域が生じており、モデル上の電場は放電が起こりうる強さに近づいていた、というのです。
つまり、砂嵐の中は一様に砂っぽいだけの空間ではなく、「電気的に危ない場所」と「そうでもない場所」がまだらに分布した、構造のある静電気環境になっている可能性がある——それがこの研究の言いたいことです。
なぜ砂嵐で電気がたまるのでしょうか。仕組み自体は身近な静電気と同じです。冬にセーターを脱ぐとパチッとくるのは、こすれ合った物同士の間で電気が移動するからですが、砂嵐の中でも、舞い上がった無数の砂粒が衝突をくり返すことで、粒の間で電荷のやり取りが起きます。地球では大気がある程度電気を逃がしてくれますが、火星の大気は二酸化炭素が主体でとても薄く、電気をほとんど通しません。そのため、いったん偏った電荷が逃げ場を失い、たまりつづけやすいのです。
公開気象データを使ったモデル解析
研究チームが使ったのは、Mars Climate Databaseという公開データセットのバージョン6.1です。これは火星の大気をコンピューター上で再現するシミュレーション(大気大循環モデル)に基づいた、高解像度の「火星の気象データベース」で、誰でも利用できます。
チームはこのデータから火星年34の砂嵐の期間を取り出し、砂の量、大気の構造、乱流、大気の電気の通しやすさ、電荷のたまり方といった要素を物理法則でつなぎ合わせて、「いつ・どこで電場が放電しうる強さに達するか」を診断する枠組みを組み立てました。筆頭著者はUAH宇宙科学科の博士課程3年、Chali Idosa Uga(チャリ・イドサ・ウガ)さん。指導にあたったUAHのGary Zank教授と、NASAマーシャル宇宙飛行センターのDennis Gallagher博士との共同研究です。

探査車・有人ミッションへの影響
この結果がなぜ重要かというと、将来の火星探査に直結するからです。もし砂嵐の中で放電が起きたり、機器が強く帯電したりすれば、電子機器への干渉、機体の導電部分の間で起きるアーク放電(火花)、露出した観測機器の損傷といったトラブルにつながりかねません。
さらに、砂そのものの振る舞いも変わってきます。帯電した砂は、ただ積もる「汚れ」ではなく、静電気の力で機体や観測装置の表面に張りつきやすくなります。太陽電池パネルやカメラのレンズ、宇宙服の表面に砂がまとわりつく——これは月探査のアポロ計画でも問題になった現象で、火星の砂嵐ではそれが惑星規模で起こりうるわけです。
Ugaさんは「将来の火星探査では、大規模な砂嵐を、大気・熱・視界のハザードとしてだけでなく、構造を持った静電気環境としても評価すべきだ」と指摘しています。NASAは今後10年ほどのうちに有人火星探査を実現したい考えを示しており、宇宙飛行士が火星の地表で安全に活動するには、こうした「砂嵐の電気的な顔」も設計段階から織り込んでおく必要が出てきそうです。
火星の化学と生命探査への波及
影響は機器だけにとどまりません。もし大気中で放電が起きるなら、その場所の化学反応の環境が変わる可能性があります。放電は分子を壊したり、ふだんできない物質を作ったりするからです。
火星の地表近くには、過塩素酸塩という酸化力の強い塩類が広く存在することが知られており、有機分子(生命の材料になりうる炭素化合物)がどのくらい壊されずに残るかを左右すると考えられています。砂嵐の放電がこうした化学に関わっているとすれば、「火星に生命の痕跡は残っているか」を探るうえでのデータの読み方にも影響してくる——研究チームはそう指摘しています。
解釈上の留意点
ここまでの話には、はっきりさせておきたい前提があります。この研究はシミュレーションに基づく気象データを解析したもので、火星で実際に放電や雷が観測されたわけではありません。Ugaさん自身も「特定の探査機や居住施設、観測機器へのリスクを定量化したものではない」「雷の検出を主張する研究ではない」と明言しており、示されたのはあくまで「放電が起こりうる条件が、いつ・どこで整うか」という物理的な条件のほうです。
チームは今後、実験室での検証や大気電気モデルの改良を進め、将来の探査ミッションの観測で「モデルが予測した電気的に危ない領域」が実際に検出できる信号を出しているかを確かめたいとしています。モデルの予測が本物かどうかは、これからの観測が答えを出すことになります。
出典
この研究は2026年5月にThe Planetary Science Journalに掲載されました。より詳しく知りたい方は、以下のリンクからどうぞ。


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