火星に家を建てるとき、いちばん困るのは材料です。コンクリートを固めるセメントを地球から運ぶのは重すぎるし、現地の砂を使う方法はどれも大量の熱を要求します。香港科技大学の研究チームが出した答えは、パン酵母でした。砂とゼラチンと、遺伝子を組み換えた酵母を混ぜる。それだけで、低強度のコンクリートに匹敵する建材になります。
火星の砂を固める、これまでのやり方
火星の地表を覆う細かい砂や岩のかけらは「レゴリス」と呼ばれます。量はいくらでもあるので、これを建材に変えるのが現地調達の王道です。ただ、その方法として有力視されてきたのは、焼き固める「焼結(しょうけつ)」でした。レーザーやマイクロ波、あるいは集めた太陽光でレゴリスを1000℃前後まで熱し、粒どうしを溶かしてくっつけます。
できあがるものは丈夫です。問題は電力で、ざっくりした見積もりでは、1立方メートル分を焼き固めるのに太陽光パネル一枚の出力を何日も使い切る計算になります。初期の火星基地で、電力がいちばん貴重な資源になるのは目に見えています。しかも1000℃を出す炉は重くて大きく、ロケットで運んで現地で組み上げる装置としては扱いにくい。
地球のコンクリートをそのまま持ち込む手も使えません。ポルトランドセメントは水を介して砂利や砂を固めますが、火星の地表に水を出せば凍って、そのまま昇華して気体になります。固まる前に骨組みが崩れてしまうわけです。水を使わない方法が必要——というのが、これまでの前提でした。
酵母を接着剤にする発想
研究チームが作ったのは、パン酵母(ビールの発酵にも使うサッカロミセス・セレビシエ)を接着剤に仕立てた建材です。論文では MLBM(火星の生きた建材)と呼んでいます。
仕込んだ遺伝子は大きく二系統。ひとつは、酵母の細胞どうしを強く結びつけるもの。もうひとつは「ムール貝足糸(そくし)タンパク質」と呼ばれる接着タンパク質で、これはムール貝が波に洗われる岩にしがみつくために分泌しているものです。これを細胞の表面に生やすことで、酵母が砂粒に直接くっつくようになります。
混ぜるのはこの酵母と、ゼラチン、そして砂。ゼラチンは全体をつなぐ土台になり、酵母が住みつく場所にもなります。砂は重さと骨格を受け持ちます。役割分担は普通のコンクリートと同じで、砂利や砂にあたる「骨材」を、セメントの代わりに生き物由来の糊が固める形です。酵母を入れなかった対照実験では、材料が砂粒から剥がれてしまったので、接着の主役は確かに酵母のタンパク質でした。

火星の寒さと真空を、硬化の工程に使う
この研究のいちばん面白いところは、混ぜたあとの固め方です。熱を加えません。火星の環境にさらすだけです。
実験では、マイナス55℃・気圧ほぼゼロの条件に48時間置きました。材料に含まれる水は凍り、氷のまま蒸発して(昇華して)抜けていきます。あとに残るのは、ゼラチンと酵母のタンパク質が砂粒を抱え込んだ、多孔質のスカスカな骨組み。要するに、凍結乾燥です。
ここが発想の切り替えどころでした。火星の低温と低圧は、水を使う建材にとっては材料を壊す条件です。それを、固める工程そのものに使っている。チームの責任著者である邱吉深(Jishen Qiu)氏は、着想のもとをフリーズドライの果物だと話しています。乾かすと硬くなる、あれです。
3Dプリンターで押し出す試験も、マイナス30℃・0.01気圧の模擬火星環境で行いました。おかしなことに、より厳しく冷たい条件のほうが、少し緩い条件よりもきれいに固まっています。極端な低温のおかげで、材料の中の水が沸騰して泡になるのを抑えられたためと見られています。真空に近い環境では、水は常温でも沸いてしまうのです。
強さの実測値と、壊しても作り直せる性質
固まったブロックと梁(はり)を、壊れるまで押しつぶし、曲げて測っています。押しつぶす力(圧縮強度)には10〜12MPaまで耐えました。低強度のコンクリートと同程度です。曲げる力には約6MPaまで耐えていて、これは同じくらい軽いセメント系の材料と比べると最大で2倍にあたります。ひび割れるまでに吸収できるエネルギーも、丈夫さを狙って作られた鉄筋コンクリートに近い水準でした。
Qiu氏は、この強度なら地球でも1〜2階建ての建物は建てられるとしています。火星の重力は地球の約3分の1なので、同じ材料でもっと高い建物が成り立つ、という言い方です。ただし、実際に作れたのは高さ45mm・幅30mmの小さなドームで、ワインのコルクくらいの大きさです。
もうひとつの利点は、作り直せることです。壊れた部材を砕き、45℃ほどに温めてゼラチンを溶かし、同じ手順で固め直す。これを4回繰り返しても、強度も硬さもほとんど落ちませんでした。中の酵母も生きたままで、蛍光の目印を使って顕微鏡で確認しています。建て替えのたびに材料を地球から運ばなくてよく、解体した構造物から酵母を回収して培養槽で増やせば、また次の建材が作れます。焼結との比較では、加工に必要なエネルギーが1〜2桁少ないという見積もりです。

持っていくものが、セメントから菌に変わる
もっとも、これで地球から運ぶ荷物がゼロになるわけではありません。いちばん性能が出た配合のゼラチンは豚の皮から作ったもので、当面は地球で用意して運ぶしかない材料です。酵母を育てる栄養分も同じです。チームはゼラチンを使わない配合も試していて、そちらは強度が落ちるものの形は保ちました。地球依存を減らす道筋は一応見えている、という段階です。Qiu氏自身、実際の建設には地球から数百トン規模の貨物が要るだろうと見積もっています。
試験がすべて地球上の模擬環境で行われている点も押さえておきたいところです。本物の火星の土で酵母が生き延びられるかは分かっていません。火星のレゴリスには過塩素酸塩をはじめ、生き物に強い毒性を示す成分が多く含まれています。紫外線にさらされ続けたときに材料がどうなるかも未検証です。
できあがる材料が多孔質である以上、それ自体では空気を保てません。研究チーム自身、これは「その場で印刷でき再生できる構造部材」であって、気密や耐圧、放射線遮蔽まで担う住居の外殻ではない、と書いています。実際の火星の居住施設は、膨張式や組み立て式の与圧モジュール、気密のライナー、水を入れた放射線遮蔽層といった層を重ねたものになり、この材料はその外側の構造体と隕石よけを受け持つ形になりそうです。
加えて、寒さや真空や放射線に耐える酵母を作るということは、火星で増えられる地球の微生物を作るということでもあります。論文でも、惑星保護の方針づくりが今後の課題として挙げられています。
熱ではなく生き物で固めるという選択肢
この研究が示したのは、火星に家が建つという話ではありません。1000℃で焼き固める以外にも、常識的な強度の建材を手に入れる道がある、という一点です。エネルギーが最大の制約になる場所で、加熱をまるごと省けるなら、それだけで検討する価値はあります。
セメントを運ぶ代わりに、菌を運ぶ。菌は自分で増えるので、一度届けばあとは現地で回せる可能性がある——そこが、これまでの現地調達案と性格の違うところです。火星の建材が将来どんな組み合わせに落ち着くにせよ、選べる手札が増えるのは悪いことではありません。
出典
Liu, N., Huang, W., Lam, S. C., Yi, Q., Dou, C., Tang, Y., Qin, S., Weng, Y., Sun, F., & Qiu, J. (2026). Engineered living building material for low-energy construction on Mars. Chem Circularity, 1, 100120. https://doi.org/10.1016/j.checir.2026.100120(オープンアクセス)
Cell Press / EurekAlert!: Scientists want to 3D print houses on Mars with the help of yeast(2026年9月10日)
Universe Today: Genetically Engineered Yeast Could Build the First Martian Outposts(2026年9月17日)
Space.com: Mars settlers may live in houses made of yeast and gelatin(2026年9月17日)


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